第341話 未来への希望
王都バレシウスにおける夜の酒場はたいそう騒がしい。
この世界で最もポピュラーな娯楽が飲酒であるからだ。
魔動具の放つ光に包まれながら、戦い終えた冒険者や仕事終わりの商人たちがこぞって酒を飲み比べているのが見える。
「はぁ……いいな、楽しそうで」
楽し気に会話する様子を横目に、私は溜息をつかずにはいられなかった。
真っ白な吐息は空を舞う粉雪に混じって夜の闇に消えていく。
ティナが倒れてから数日、私は陰鬱な気持ちのまま過ごしていた。
治療院で診察を受けた結果は『流行り病』とのこと。
「……ふざけやがって」
この世界の医療技術は遅れている。
いや、遅れているというよりも病というものに対するスタンスが違うのか。
治療院で働く、先生と呼ばれる人たちは病原が理解できない時に決まってその診断結果に「流行り病」という名の文言を記録する。
それは誰もが罹るリスクのある病気で、あなたは運が悪かっただけなのだと言わんばかりに、自らの無能を棚に上げ適当な診断結果をでっちあげる。
マリン先生の時もそうだった。具体的な病名もなく、明確な対処もできず、ただ経過を観察するだけで医者を名乗れてしまうのだ。
とはいえ、だからといって何の医療知識も持たない私ができることもない。
この世界の自称医者よりも今の私は役立たずなのだ。
「くそっ……!」
足元に積もった小さな雪山を足蹴にして鬱憤を晴らしていると、
「よう、随分と荒れてんじゃねぇか。らしくねぇぞ」
私の前に、葉巻を咥えながら肩で風を切って歩く師匠……マフィ・アンデルが現れた。
いつもの真っ赤なコートに、真冬だというのに大きく開けられた胸元、周囲の男達の視線を独占する師匠はざむざむと雪を踏み荒らしながら近づいてくる。
「ティナがウチでやってた家政婦の仕事、お前が代役になるって話だっただろうが。こんなところで何やってやがる」
「…………」
「黙ってたら分かんねぇだろうがよ」
師匠が真っ黒なブーツで足元の雪を抉るように蹴ると、飛んできた雪の固まりが私の足元にぶつかる。いつもの師匠なら直接腹部に蹴りが飛んできたところだ。今日は随分と優しいね。
「……師匠のところで働いてたって事態は何も好転しないでしょう」
「夜の街をほっつき歩いてりゃ好転すんのか? 一人になりたい気持ちは分かるが、周りに心配をかけんな。そもそも夜の街は危ねぇから出歩くなってオレ、言ったよな?」
「いつの話をしてんですか。もう私は子供じゃありませんよ」
「手前一人で生きてるつもりになってるうちは幾つになってもクソガキさ」
ぺっ、と葉巻を捨てた師匠は懐からキセルを取り出し、慣れた手つきで刻み煙草を火皿に乗せると、魔術で火を点け吸い始める。
「で、これからお前はどうするんだ? まさかいつまでもぶらぶら歩いてる訳にもいかねぇだろ。そろそろ現実を見たらどうだ?」
「……分かってますよ」
師匠に言われるまでもない。そんなこと言われるまでもなく、分かっていた。
「分かってるんですよ……でも、分かっていても動けないんです。病に伏せるお母様の姿を見ていると、どうしても嫌な想像が頭を過ぎって……傍にいてあげることすら、私には……できない」
ティナは私に傍にいて欲しいのだろう。
だが、私にはどうしても衰弱してくばかりの状態のティナを直視できなかった。
「……重症だな」
「流行り病ってのはそういうものでしょう?」
「バカ、お前がだよ」
後ろ頭を掻きながらキセルを口元から離した師匠は、泥と雪が混じった地面に膝をつき私と視線を合わせると、
「はぁ、仕方ねぇ。向こうについてから話をしようと思ってたんだが……一つだけ、お前の母親を助ける方法を思いついた」
真剣な表情のまま、私にそう言った。
「この話、詳しく聞きたいか?」
◇ ◇ ◇
師匠に連れられた先は彼女の自宅だった。
交差点の角に建てられた建物は真夜中近くになっても灯りが漏れている。
誰か起きているのか? シアだったらお説教しなくちゃ。
「うぅ、さぶさぶ……この時期に出歩くもんじゃねぇな」
玄関のコート立てに一張羅を吊るし、二階へと向かっていく師匠。
その背を追いながら、私は気になっていたことを尋ねてみる。
「あの、師匠。さっきの話ですけど……」
「慌てんなって。この件については、発起人はオレじゃねぇ。どうせだったらそいつの口から聞くのがいいだろ」
それ以上話すつもりはないらしい師匠に、私もそれ以上何も言えなかった。
そのまま二階に上がった師匠はとある一室の前で立ち止まる。
そこは私も良く知る部屋だった。
「……研究室、ですか?」
「ああ、そいつはこの中にいる──邪魔するぜ」
言いながらノックもなしに部屋へと入っていく師匠。
「あ、マフィ。お帰り。ルナは……無事に見つかったみたいね。よかった」
師匠の背中越しにこちらに気付いた様子のアリスが笑顔で手を振ってくる。
「アリス? ……アリスが私を呼んだの?」
「ううん。違うわ。ルナを呼んだのはアイツ」
くいっ、とアリスが頭で示した先は大量に積まれた本の山だった。
一瞬、アリスの言っている意味が分からず頭の上に?マークを浮かべる私だったが、
「うう……なんダ? やっと来たのか? 遅いぞ、ルナ」
本の山からもぞもぞと這い出してきたノアが眠たげな瞳で私を見る。
そう言えばノアは師匠の研究を手伝っているんだったっけ。
「ノア、久しぶりだね。元気にしてた?」
「まあ、そこそこだナ。それより聞いたぞ。お前の母親がピンチなんだってナ」
「うん。その件で何か解決策があるって聞いたんだけど……」
「ああ、そうダ」
「!」
ノアの言い方に確信めいたものを感じた私は、彼女に駆け寄ってその手を取る。
「お願いノア! お母様が救えるなら私はなんだってする! だからその方法を私に教えて!」
「もちろんダ。だが、先に言っておくとこの方法にはかなりのリスクが伴う。それに……この方法そのものをルナは嫌がるかもしれナイ」
「嫌がる? なんでさ。お母様が助かるなら私は……」
「ノアが母の死を受け入れたのはルナの言葉があったからダ。だが、この方法はその時のルナの言葉を否定しかねナイ」
「え……?」
ノアの母、つまりマリン先生に関することか。
ノアはキーラの元でずっと過去に戻る方法を探していた。
その研究の副産物が『ノアの箱舟』という固有魔術だと聞いているが……
「どういうこと? 詳しく説明して」
「ああ。ノアの思いついた方法はシンプルなものダ。ルナの母を助ける医療技術は現代に存在しナイ。ならば、存在する時代から治療法を持ち帰ってくればいい」
「え……」
ノアはもったいぶった話しぶりだったが、何が言いたいのかはすぐに分かった。
「それってつまり……そういうこと?」
「ああ、そうダ」
逸る気持ちの私に、ノアの菫色の瞳が真っすぐに向けられる。
「──ルナ、お前はこれから未来へ行くんダ。ノアの持つ固有魔術……『ノアの箱舟』を使ってナ」




