第340話 レストン家の再出発
「……やはり吸血鬼の角と同質のものように見えるな」
「そうですか……お父様がそう言うのなら間違いありませんね」
銭湯で額に生えた角を確認した私は真っ先に家族の待つ長屋へと向かっていた。
仕事の都合ですぐには会えず、何時間も悶々と待つことになったが私の目的の人物……お父様に会うなり確認してもらったのだ。その結果は予想通り、残念なものだったけど。
「これも『吸血』を繰り返してきた影響なのでしょうか?」
「分からん。『太陽の園』から聞いた情報はそれほど多くはないのでな……すまん」
しゅん、と下を向くお父様は申し訳なさそうに視線だけこちらに向けてくる。
怒られるのを怖がっている子供みたいでなんだか微笑ましい。
「とはいえ、そこまで大きくないのは幸いだった。これなら前髪を伸ばしているだけで隠せるだろう。派手な動きをするときには気を付けるべきだろうが」
「ですね」
角のサイズは額から1センチほど斜め上に飛び出ている感じだ。
お父様の言うように前髪で普段は隠せるだろうし、いざとなったら先ほど湯船で奴隷紋を隠したように、『変身』スキルで隠すことも可能。
万全を期すなら番台のおばちゃんがしていたみたいに鉢巻のようなものをしてもいいだろう。可愛さ重視ならリボンとかありだ。いや男的にはナシだけど。
「あなた~? ルナちゃ~ん? そろそろお話は終わった~?」
私達が玄関近くで話していると、居間の方からティナの声が聞こえてくる。
お父様とアイコンタクトして二人で戻ると、ティナはなぜかふくれっ面を浮かべていた。
「もう、ダレンとばっかり仲良くしちゃって。お母さん悲しいわ」
どうやら私がお父様と秘密のお喋りをしていたことにお冠らしい。子供か。
「いや、仲良くとかそういうわけじゃないですよ?」
「……そういうわけじゃない、のか?」
お父様もそこでショックを受けたような顔をしない。子供か。
「姉上! お母様を悲しませたらダメですっ!」
さらにティナの背後でルカがむすっとした顔で両手を腰に当て「怒ってます」のポーズで現れる。子供だ。
「あー、はいはい。みんな大好き大好き」
「まったく、久しぶりに帰ってきたと思ったのに姉上は冷たいです。冷血女です」
「へぇ、私は冷たいか。それじゃあルカに温めてもらおうかねぇ」
いまだぷりぷりと怒っている様子のルカを抱っこし、くるりと遠心力で回すように振り回しながら椅子に座る。私の膝の上に座らされた形のルカが抗議の声を上げようとしていたので……すっ、と両手をルカのほっぺたに当ててやる。
「ひゃわっ……!」
「おお、ルカのほっぺはあったかいのう」
めっきり気温が下がり始めた今日この頃、玄関口で話し込んでいた私の手はさぞかし冷え込んでいたことだろう。ついでに首筋から背中に手を突っ込んでやれ。
「あ、姉上……んっ、そ、そこは……っ」
「……こんなことされてなんで喘いでんのお前?」
「あ、あえいで?」
喘ぐという言葉の意味すら知らないのにこの艶めかしい声音……こやつ、将来はさぞかし魔性の女となることだろう。性別が男でなければ。
その後、口喧嘩からヒートアップした私とルカが互いにほっぺを引っ張ったり尻を叩いたりして仲良くスキンシップならぬ兄弟喧嘩をして時間を潰していると微笑ましいものを見るような目をしながら両手にお皿を乗せたティナがやってくる。
「ほら、二人ともちゃんと席につきなさい。お夕食にするわよ」
ことん、とテーブルに置かれた皿の上には香ばしい匂いを放つ蒸し魚の料理が並んでいる。
今日は魚料理の日だったか、これはツイてる。魚好きなんだよね、私。
「ルナがいるからってルカがわざわざ買いに行ってくれたのよ」
「ちょっ、母上……っ!?」
「本当のことでしょう? お姉ちゃん想いでいいことじゃない」
ティナにネタ晴らしされたのが恥ずかしいのか、私の腕の中でバタバタと暴れ始めるルカ。
「~~~~というか、いつまで抱っこしてんですか姉上っ!」
「え? いいじゃん。このまま食べようよ」
「い~や~で~す~っ!」
私の両手を振り払って席を降りると、ルカはそのままティナの隣の席に行ってしまう。
「お母様、弟が反抗期です。どうしましょう」
「ルナの気持ち、私には分かるわ。私もルナの反抗期には毎晩枕を濡らしたものよ」
え……今の私ってティナと同レベルなの……?
ちょっとルカへのスキンシップは控えるべきだろうか……でもいじると可愛いんだよなぁ。
「料理が冷めるぞ」
料理人として品質の劣化が見過ごせないらしいお父様の声に合わせ、家族仲良くいただきます。
それから私達は家族水入らずで他愛もない話をしながら食事を楽しんだ。
師匠が夕方まで起きてこなかったせいで治療院へ運ぼうか迷ったという話。
お父様の働き先でようやく下働きから包丁を持たせてもらった話。
ルカのシアと一緒に特訓して汗を流した話。
家族の話を聞きながら食べる食事は遅々として進まなかった。私も雇い主のカレンが寝ぼけてスカートを履かないままパンモロ(パンツもろ見えの意)で登校しようとして全力で止めた話などをしていると……
自然と、ずっと前からこうして過ごしていたような気分になってくる。
私達は四人で過ごした時間が極端に短い。それでもこうして気兼ねなく話ができるのはやはり家族だからなのだろう。
(この時間を守れて……本当に良かった)
心の底からそう思う。たとえその代償として人の身であることが失われたのだとしても。
額に生えてきた角のせいで私の生活は脅かされつつある。だが、そのことに対する後悔は微塵もなかった。きっと過去に戻れたとしても私は同じことをするだろうという確信があった。
「……と、いうことは一旦仕事の区切りはついたってことか?」
「そうですね。カレンお嬢様には申し訳ないですが、近いうちに辞職させていただくことになると思います。次の仕事をどうするかとかはまだ決めてないんですが……」
今回の騒動をそのまま、それこそ暗殺者の話などは流石にできなかったので、学内の揉め事が解決したというていで話をしておく。
従者を辞めたらクレアに誘われている喫茶店の仕事なんかもいいなーと、実は思っていたりする。もちろんメイド服を着て接客をするわけじゃないぞ? あくまで事務仕事とか、調理担当とか裏方で手伝えることがあるだろうと思ってのことだ。
そんな形にもなっていない構想を話そうかどうか悩んでいると、
「……それなら一度アインズの村に戻らないか?」
「え……?」
お父様の口から意外な言葉が飛び出してきた。
いや……意外、ということもないか。王都に戻ってきたときには出ていた話だ。
その時にはクレアのことがあったから強く王都に残ることを私が希望して流れてしまった話なのだが、お父様の中ではいまだに有力な候補として残っているらしい。
「アインズには空けたままになっている店と家があるし、生活を再開するならちょうどいいタイミングかと思ってな。俺の勝手で終わってしまった生活だが……改めてあの村でやり直したいと思っているんだ。この四人で」
長い話になると思ったのかティナがお茶を淹れてくれる。
その様子を見て分かったが、これ二人の間ではすでに固まっている話らしい。
「その……お前達二人はそれぞれ迷惑をかけた。そんな俺が今さらこんなことを望む資格なんてないのは分かっている。だが、それでも俺は……今度こそ、ちゃんと家族と向き合いたい」
言葉を選ぶように語るお父様の瞳は真剣だった。
「だから、あー……ついてきてくれるか? も、もちろん生活面で苦労はさせない。将来もお前たちの自由にすればいいと思うし、それを全力で応援もする。それまでの数年間、いや数ヶ月だけでも一緒にいられたら……」
不安のせいか、最後は早口になってしまっているお父様を前に、私はルカと顔を見合わせ……くすっ、と小さく笑ってしまう。
「父上」
「お、おう」
「父上はしょうがない人です」
「え、あ……そ、そうだな……うん」
いきなりのルカの罵倒にお父様が見たことないほどにテンパっている。
戦場ではあれだけ堂々としている人がどうしてこんな子供相手にあたふたしているのか、おかしくて仕方がない。
この空気をルカも楽しんでいるのか、たっぷりと間を取った後、
「しょうがない人だから……僕が一緒についていってあげましょう」
いつのも調子で尊大にそう告げるのだった。
「ルカ……っ」
感極まった様子でうる目になっているお父様、これは激レアシーンだね。
人は変われば変わるもんだ。うんうん、と感慨深く頷く私に今度はお父様の視線が向く。
「ルナ、今回の話はお前にとっても悪くない話だと思う。人の少ない所ならお前のつ……身体のこともいくらか気が休まるだろう」
角の件を遠回しに告げているのだろう。確かに人目の少ない田舎の方がバレるリスクは減る。が、今のは言い方がよろしくなかった。
「「えっ!? ルナちゃん(姉上)どこか身体が悪いの(ですか)っ!?」」
ガタンっ! と飛び上がる勢いで立ち上がり私を見る過保護二名の視線が痛い。
今の完全に、『治療できない難病を抱えた美少女が田舎の療養地で静かに余生を過ごす』ってなシチュエーションじゃん。
「あー、身体は元気だから心配しないで。むしろ元気すぎて困ってるくらい」
「「よかった……」」
両手を振って否定するとほっと胸を撫でおろす二名は置いておいて……
「アインズに戻る、か……」
「ああ。どうだ……? もちろん無理にとは……」
「分かりました。行きましょう、いや、帰りましょう。私達の故郷に」
「……いいのか?」
あまり考え込まなかった私の様子に心配そうな表情を浮かべるお父様。
「ええ、大丈夫です。私のやりたかったことも別に今すぐにやらないといけないわけじゃないですからね。ただ、条件というかお願いが一つだけあるんですが……」
「なんでも言ってくれ。可能な限り叶えよう」
「……その、本人が望むならシアも一緒でいいですか? 以前に一緒にいようねって約束したので。家計の負担にはなるでしょうけど、そこは私も頑張って働きますし……」
「いいじゃない、それ! シアちゃんが一緒ならルカも嬉しいでしょうし!」
「母上、僕は別にあんな奴……」
「嫌よ嫌よも好きの内ってね、ルカとルナは本当によく似ていて分かりやすいわ」
ぐっ……ティナの中では私の反応も満更でもないことになってんのか……?
ルカとシアの関係と繋げられたせいで否定しにくいのが悔やまれる……ッ!
「それにお金のことについては心配いらないわ。頼りになるお父さんがしっかり稼いでくれるから、ね」
「ああ。生活については任せてくれ。子供ひとりくらい増えてもなんとかする」
おお、ここにきてお父様がなんとも頼もしい。
実際に頼りになるかどうかは置いておいて頼もしいぞ。
「俺としてはそれでいいのだが……ルナ、お前は本当にいいのか? こっちには友達もたくさんいるだろう? もしも離れるのがつらいというのなら……」
「大丈夫ですよ、お父様」
何度も気を使うお父様に、私は内心で苦笑する。
「確かにこっちには友達も多いですけど、アインズでやり直したいってお父様の気持ちは理解できますから。それに……」
王都で友達に囲まれた生活、アインズで家族に囲まれた生活。
二つを天秤にかける訳じゃない。どっちも大切で心から送りたいと思える生活だ。
ただ……そうは思っても、やはり自分の心には嘘がつけない。
失われた生活、あるはずだった家族との夢の生活……
「それに……私も家族みんなで一緒にいたいからさ」
それをやり直したいというお父様の気持ちに、私は一番共感してしまっていた。
クレアには申し訳ないが、喫茶店経営のお手伝はしばらく先の話にさせてもらおう。
なに、クレアの商才を考えれば数年でお店を潰してしまうということもないだろうさ。
自然と零れた私の笑みに、お父様とティナがはっとした表情を浮かべる。
「ルナが……敬語を、やめた……?」
「え?」
「ルナちゃんが……ついに、ついに……デレたわあああああっ!!」
わーいわーいと万歳しながら喜ぶティナに私はさっき、無意識で敬語をやめていたことに気が付く。とはいえたかがそれだけのことで……え、なんかお父様とティナがいきなり抱き合って涙を流し始めたんですけど。え……そんな大ごと? たかが敬語をやめただけで?
「長い、あまりにも長い反抗期だったなぁ……」
「ええ、私達は本当によく耐えたわ……」
私としては特に深い意味はなかったのだが……二人からしたら娘が自分に敬語で話をするというのはそれなりにショッキングな出来事だったらしい。
それは……まあ、確かにそうなのかもしれない。私も今まで二人に対して、前世の両親のことがあったからどこかで距離を取っていたところがあるし。
それが今、本当に無意識の内になくなって話し方に現れたのだ。
だとしたら……
(私も二人のことを、ちゃんと本心から両親として向き合えたってことなのかな)
自分のことながらよく分からない。
二つの人生を歩むということは、二つの心を持つということに等しい。
だから自分の中でも答えが分からなくなってしまうことがある。だから、本当にそうなのかは分からない。だけど……そうならいいなと、そう思った。
「あーんもう! ルナちゃんがようやく素直になってくれてお母さん嬉しい!」
感極まった様子でテーブルから身を乗り出し、ティナが私の頬に頬ずりしてくる。
このバグった距離感さえなければ文句もないんだけどなぁ……
「あー、それとアインズに戻るにしてもすぐには無理だからね。こっちでやっておかないといけないこともまだまだあるし」
銀の矢が完全に手を引いたかどうか動向を見守る時間は必要だ。
そうでなくても王都を離れるなら結構な数の挨拶回りが必要になる。
「ああ、分かってる。急ぐようなことでもないし、大丈夫だ。時間はある」
私の言葉に優しい笑みを浮かべ、頷き返すお父様。
確かに、今までの慌ただしい生活とは違い、これからは何に追われることもなくなる。
そこで失われてしまった家族の時間を取り戻すこともできるだろう。
お父様がいて、ティナがいて、ルカがいる家族との日々。
それはきっと楽しくて、穏やかで、幸せと呼べるものになるだろう。
この場の全員が家族みんなで暮らす未来を想像していた。
そう……
それから三日後、ティナが病に倒れてしまうまでは。




