第339話 銭湯って響きがまずいいよね
レインを治療院に運び込んでから半日が経過した。
吸血モードが続いている間は『変身』スキルで普通の人間の姿に擬態していたため大きな問題にもならずレインの身柄を運び込めた私は、治療術師の『命に別状はない』との診断を受け、一人でクレアの待つ借家へと向かっていた。
日傘を携帯していない今、物影を隠れるように移動しながら最小限の照射だけでやり過ごしているのだが……マジで痛い。最近ではほとんど日光を浴びることもなかったせいで耐性が落ちているのかもしれない。今度、耐久訓練でもするべきか。下手したら死んでしまいそうだけど。
日光の中でのたうち回る私をアンナが「ふれーふれーお姉さまっ!」と励ましている様子を想像しながらようやく借家に辿り着いた私は、
「……遅いっ!」
玄関で出待ちならぬ入り待ちをしていたらしいクレアに見つかってしまう。
できればこっそりと帰りたかったのだが……
「あー……ただいま、クレア」
「なにしてたの?」
「えっと、それは、その……」
詰問するような口調に思わず口ごもっていると、こちらに歩み寄ってきたクレアが……ぎゅっ、と私の身体を包み込むように抱きしめてきた。
「本当に……心配したんだから……」
ずびっ、と鼻をすする声にクレアが泣いていたのだと察する。
もしかして起きてからずっと私が帰ってくるのをここで待っていたのだろうか。
「ごめん」
「許さない」
「……ごめん」
対人スキルが底辺の私はこういう時になんと言っていいか分からず謝罪の言葉を繰り返すことしかできない。どうしたら機嫌が直ってくれるかと思案していると、
「……でも、おかえり」
いじけた口調ではあったが、おかえりと、クレアはそう言ってくれた。
その言葉に私はほっと胸を撫でおろす。私はここにいて良いんだと、そう言ってもらえたような気がして……
「──臭い!」
「え?」
クレア、今……なんて?
「どうしたのルナ、あなた酷い匂いよ?」
そう言って鼻をつまみながら心なしか距離を取るクレア。
嘘、だろ……このルナちゃんが臭い……だと?
いやまあ、下水道まで通って逃げていたのだから服や髪に匂いがついても不思議ではないのだが……匂いになれてしまったせいか、まったく不快に思わなかった。
「これは一度お風呂に入るしかないわね。さあ、行くわよ」
◇ ◇ ◇
クレアに連れて行かれたそこは大衆浴場……いわゆる銭湯であった。
家に浴場がない場合(というかほとんどの場合はそう)は週に何度かこうして大衆浴場で体を洗い、衛生管理をするのが王都でのポピュラーな過ごし方だ。
「ちょっと、クレア。私、こういうところは……」
「そのまま部屋にあげるわけにはいかないんだから四の五の言わない」
今までは師匠やクレアの屋敷に浴場があったため利用することはなかったが、ここは大衆浴場……つまり不特定多数の女性が利用する銭湯なのだ。
男性を自覚する私としては立ち入りづらい場所の一つと言える。
「この子が使わせてもらうわ。タオルを一枚ちょうだい」
「はいよぉ」
番台で従業員と思われる手拭いを額に巻いたお婆ちゃんに慣れた様子で銅貨を渡し、代わりにタオルを受け取るクレアは懐から取り出した紙にぽん、と台に置いてあったハンコを押している。
何をしているのかと覗き込めば、どうやら紙はスタンプラリーのようなものらしく枠内に押されたスタンプの数からクレアがここのヘビーユーザーであることが発覚する。
屋敷にいた頃は毎日のように入っていた習慣が抜けないのだろう。
毎日風呂に入るなんて贅沢な平民はいないのだが、散財……というほどの価格ではないか。大衆浴場は衛生管理を目的とした国営施設のため、利用料が格安だし。
「ほら、せっかく私が払ってあげたんだから無駄にしないでよね」
クレアはそう言って私にタオルを押し付け、女と書かれた垂れ幕へ背中を押してくる。
女湯に入るのに抵抗感はあるが……実際、女性として生活するならこの手の問題は避けては通れない。
せめてなるべく周りを見ないように気を付けるとしよう。
「分かった。それじゃあちょっと待ってて」
覚悟を決めた私が垂れ幕を潜り、廊下を少し歩いていくと脱衣所と思われる場所に出た。
等間隔に並べられた籠は衣服を置いておくためのものなのだろう。見たところ、他の利用者はいないようだ。真昼近くのこの時間帯は利用者が少ないのかもしれないね。
気兼ねなく服を脱ぎ捨てた私はそれを籠に入れつつ、幸か不幸か貸し切りになった女湯へ入っていく。
簡単な仕切りで脱衣所と区切られた浴室は石造りの簡素なものだった。
石で出来た天然の浴槽の縁には木桶が置いてあり、これで体を洗ってから入浴するのがマナーだとか。
一通り体を洗った後、早速湯船に入ってみるのだが……
「ふわぁ……」
これがなんとも気持ちがいい。
お湯の温度も、熱めの湯が好みな私にちょうどいい塩梅。体の芯まで温まっていくと同時に疲労感まで溶け出していくかのようだった。
(そういえば匂いはもうとれたかな……?)
クレアに言われた言葉を気にした私は髪の毛を湯船につけて匂いを取ろうとするが、髪の毛が長すぎて思うように洗えない。面倒になった他の利用者がいないのをいいことにざぶん、と湯船に潜ってみる。悪戯心が芽生えた私はそのまま平泳ぎでちょっとだけ泳いでみるのだが、これが思いのほかに楽しい。
一人で公共施設を好き勝手に利用している罪悪感がスパイスとなってそのままクロール、背泳ぎ、できもしないバタフライと遊んでいると……ひた、ひたと誰かの足音が聞こえてきた。
『変身』スキルで背中の奴隷紋を隠しつつ、慌てて湯船から立ち上がると、そこには……
「ふふ、ずいぶんと楽しそうね。ルナ」
くすくすと笑いながらこちらに歩み寄る全裸のクレアの姿があった。
「く、クレアっ……!? 外で待ってたんじゃ……っ」
「折角なら私も入ろうかと思ってね。ルナと一緒にお風呂に入ってみたかったし」
そう言いながら慣れた様子で木桶に汲んだお湯で体を洗い始めるクレア。
湯気のせいではっきりとはしないのだが、一糸まとわぬクレアの無防備なシルエットはばっちりと目に入ってしまっている。
ミルクのように滑らかで真っ白な肌から肉付きの良い四肢まで。さらに桶でお湯をすくおうと屈んだ瞬間にぐぐっと存在を主張する胸元は同年代と比べても明らかに成長していると言える。アリスあたりが見たら発狂しそうなサイズ感だ。
従者時代からクレアの着替えなどを手伝っていた私は薄々気付いていたのだが……クレアは低身長の割りに発育が良い。いわゆるロリ巨乳という体型だ。
前世で私はロリ巨乳と言う属性を互いが互いの良さを打ち消し合うミスマッチな関係だと断定していた。しかし、事ここに至りその認識は誤りだったと言わざるを得ない。
ロリ巨乳は……良い。
小柄な女の子の可愛らしさと豊満なエロスを併せ持つロリ巨乳は一粒で二度おいしい贅沢な属性だったのだ。さらに相反する属性はギャップとなって、より強い主張を放っているようにも思える。
小柄な体型だからこそより大きく見える巨乳、あどけなさの残る仕草からは背徳感のようなものさえ感じてしまう。
「顔が真っ赤だけど大丈夫?」
気付けば私の隣にやってきたクレアが心配そうに顔を覗き込んでくる。
端正な顔立ちはまさしく美少女……あれ? もしかしてクレアって世界一美しい女性なのでは?
「急に入ってきて怒った? でも怒ってるのは私の方なんだからね」
ちゃぷんと水音を立てながらクレアは、私の左腕にぴったりと寄り添うほど距離を詰めてくる。
「私に黙って出ていくなんて……ルナのくせに生意気よ」
「そ、それに関してはごめん……」
「許さない。だからお仕置き。ルナは抵抗したらダメだからね」
既に緊張でいっぱいいっぱいの私の背中に回ったクレアは「えいっ!」という声とともに抱き着いてきた。
「ほんっとうに心配したんだからねっ!」
ぎゅ~っ! と私に抱き着きながら首筋に顔を埋めるクレア。
その瞬間、先ほど目が釘付けになっていた巨乳がふにゅん、と私の背中に直に押し付けられるのを感じる。そして同時に私は限界を迎えた。
「の、のぼせそうだからもう出るっ!」
するり、と吸血鬼の身体能力でクレアの手元を抜け、追いかけてこようとするクレアの顔面に湯船の水を使って水弾! 「目が~っ! 目が~っ!!」とム〇カみたいなことを言っているクレア背を向け浴室から離脱する。
あ、危なかった……今の状況で『色欲』が発動しなかったのが奇跡のようだ。もしも発動していたら今頃クレアを滅茶苦茶にしてしまっていたことだろう。
そっちのケがあるのではと疑惑されているクレアは拒まないような気がするし、これ以上『色欲』の被害者を出してはならない。
(クレアには悪いけど、今日はこのまま家に帰ろう)
これ以上一緒にいたら暴走の危険があると判断した私は手早く身支度を整えようとがしがし髪の毛をタオルで拭いていたのだが……こつん、と額の近くにある固いこぶのようなものに指がぶつかってしまう。
「ん……?」
違和感を覚えてそっと指先で額を確認してみる。そして理解した。
「…………マジか」
直接見たわけではないから絶対ではないのだが、私は確信に近い思いでそれを指先でなぞる。この手触り、間違いないだろう。これは……鬼の角だ。
吸血モードにのみ発現していた漆黒の角。
それがノーマルモードの私にも生え始めていたのだった。




