第338話 閃血
体中を巡る血液が沸騰しているかのように熱い。
今まで何度もこの力に頼ってきたけど、今夜の吸血モードは別格だ。
身体能力の強化や魔力感知の鋭さはいつもと変わらない。
いつもと違うのは感情の昂ぶりが感じられないということ。
吸血モードの自分を完全に御しきれている。そんな自覚があった。
(『吸血』スキルの熟練度が上がったせいか……?)
疑問に対する答えはない。ならば今は置いておこう。
それより……
「……ルナちゃん、君、吸血種だったのか」
「あれ、『銀の矢』は亜人禁制だった?」
「……いや、出自に問題を抱えているメンバーも多い。何も問題はないよ。むしろ君にとってより好条件になったと言っていい。我々のギルドは君の良い隠れ家になるだろうからね」
私の視線の先でくるりと杖先を回転させ、左手にぱしっと持ち帰るヴェルト。
その背後には嬉しそうに破顔するリィルの姿もある。
「やっぱりオレの目に狂いはなかったなァ! お前もオレ達と同じ、こっち側の人間だったって訳だ!」
「同じ? ……心外だな」
リィルの姿を確認した時に気付いた道端に伏せっているレインの姿を尻目に、
「少なくとも私はか弱い女の子を虐めて喜ぶようなゲスになった覚えはない」
きっ、と戦意を込めた視線をリィルに向けてやる。『威圧』スキルのおまけつきで。
「はっはぁ! そりゃ趣味の違いってやつだろ! お前にだってないとは言わせないぜ? 戦いに勝利した時の高揚感! 弱者をいたぶることへの愉悦ってやつがな!」
私の視線に対してリィルはどこ吹く風と言った様子で詠唱を開始する。
こいつ、『威圧』が効かない上に詠唱の速度が……早い。
「穿て──『魔弾の射手』!」
リィルの起動した魔術はレインの使用していた魔術と酷似していた。というか同じものだろう。
ただし、その熟練度には大きな差があるのか飛来する水弾の速度はレインの比ではない。
(まあ、今の私にはどっちでも一緒だけど)
既知の魔術ということに加え、吸血モードになっている今の私にはその水弾の進行がスローモーションのように見えていた。
──パァァァァンッッッ!
鋭い炸裂音を響かせながら、私は両手に生成した影魔法のナイフでその弾丸を叩き切る。
「ちっ……!」
たまたまガードが間に合ったのだと思ったのか、舌打ち交じりにリィルは水弾を次々に放ってくる。
どうやら一度の詠唱で放てる弾丸は一つだけではないらしい。
肩、肘、膝と動きを封じる為か関節を狙ってくるその攻撃を両手に持った影ナイフで弾きながら、体勢を低く構える。
周囲に水飛沫が飛び散る中、視界の奥でリィルが驚愕の表情を浮かべるのを確認した私は……一直線に駆けた。
陸上のクラウチングスタートのように低い姿勢から飛び出した私の頭上を水弾が通過していく。
滑らかな体勢移動からの爆発的加速はそれだけで観測者の視界をバグらせる。
プロ野球の選手が150㎞を超える剛速球を打ち返せるのは単純に動体視力が優れているからだけではない。イメージ記憶と呼ばれる経験則から投球の軌道を予測し、事前に行動を開始しているから高速で向かってくる球に対応することができるのだ。
これは戦闘においても同じことで、人は常に相手の動きの流れから次の行動を予測して動いている。その予測を裏切ること、いわゆる虚を突くことさえできればどんな攻撃だろうと必中となる。
とはいえ私は武術の達人でもなんでもない。
私にできることは人間を越えた動きを実現することだけ。
要は圧倒的な身体能力によるゴリ押しだ。
(射程距離5メートルに……入る!)
私の影魔法の射程にリィルを捉えようとした時、私とリィルの間に割って入る影。
咄嗟に体を止めた私は前のめりになりつつ、猫のようにその場をジャンプする。
足元を這うように過ぎ去ったヴェルトの仕込み杖が月光を受けてぎらりと鈍く光っていた。
こいつ……私の動きを見切っていた?
「その歳なのに目が良いんだね」
「いやいや、ただの勘。まぐれだよ」
ちっ、まぐれで私の攻撃を防げるかよ。とぼけた爺さんだ。
「リィル! レイン君をやりなさい!」
更に私に相対したまま、背後のリィルにそんな指示まで飛ばし始める。
上司(?)の命令は無視できないのか、レインに向けて掌を向けるリィル……まずいっ!
「させるかっ!」
「させないよ」
ほとんど同時にそう言いながらリィルの元へ駆けだそうとする私へ、ヴェルトの鋭い突きがやってくる。回避する時間も惜しかった私はその攻撃を受けながら走り出すのだが……ずぶり、と足元にイヤな感触。これは……『沼男』!?
しまった……杖を突いて魔法陣を展開しなければ使えない魔術だとばかり思っていた。詠唱がなかったところを見るに無詠唱で使えるか、遅延展開できるかそのどちらかだろう。最初から分けて使った方が楽だろうにヴェルトのやつ、この一瞬の隙を作るために隠してやがったな。
(くそっ……足が、止まる……!)
私とレインの距離は5メートルを超えている。ここからでは影法師も届かない。
「レイン! 逃げろっ!」
必死に呼びかけるが足を怪我しているのかレインは立ち上がることすらできない様子。
そんな彼女に対し、リィルの詠唱が……完成する。
(レイン……ッ!)
この状況からレインを守る術を必死に模索する。
この場から動けない私、射程距離の向こうで行われる射撃攻撃……手持ちの札でそれを防ぐ手段は私にはない。
レインが死ねばクレアに危険が及ぶ。そんな方程式が頭の中を過ぎる。
何とか懇願してクレアだけは見逃がしてもらえるようにするか?
(……違うだろうがッ! 私!)
時計塔でレインを殺せなかったのはどうしてだ?
それは女の子一人を犠牲にして事態を解決するというやり方が気にくわなかったからだ。
ああ、確かにレインは嫌な奴だ。
だけど……頑張っていたじゃないか。
クレアを守るために命を賭けてたった一人で戦っていた。
そのやり方は間違っていたかもしれない。それでも、私は頑張っている奴が好きだ。応援したくなる。それが女の子だっていうのならなおさら……
(守ってやらなきゃダメだろッ!)
打開策がない? だったら作れ! 今、この瞬間に!
必死に『集中』スキルを発動させる私の指先に……つぅ、と血が流れてくる感触。先ほど無防備に受けたヴェルトの突きが私の右腕から血を滴らせ、それが指先に到達したのだ。
それは偶然の出来事だった。私にとって好機と呼べる偶然。
私は直感に任せて、右腕、その指先に意識を集める。
イメージは西部劇のガンマン。ホルスターから拳銃を抜き、一息に敵を射撃する。そんな空想。
問題はこの技が私に扱えるのかという問題だが……
(──できる。事実、私は一度それをやっているんだから)
解除魔術への対策として生み出した自身の血液へ魔力を纏魔させる技術。
闇系統と風系統の両方を同時に発動させる魔法……つまりは『複合魔法』。
(『血界──』)
流れる血に魔力を纏魔、そして右腕を高速で振り上げるとともに弾丸を発射。
レインやリィルが周囲の水分を弾丸としていたように、私も自分の血液を弾丸とする。
何度も見たから魔術の仕組みは理解している。言わばこれは私流の『魔弾の射手』。
名付けるなら──
「──『閃血』」
言うが早いか抜き放たれた右腕からまさしく深紅の弾丸と化した血が、リィルへと迫り……
──パァァァァン──
短い破裂音と共に、リィルの体が激しく転倒する。
地面を流れる血が、リィルの負傷を示していた。
「リィル……っ!?」
ここで初めてヴェルトが動揺を見せた。
それも当然だろう、『魔弾の射手』の殺傷能力は決して低くない。
吸血モードの私にとって、リィルの脳天を撃ち抜くことは難しくもないことだった。
「…………なんでだ」
そう、やろうと思えば簡単にできた。やろうと思えば、ね。
「なんで……オレを殺さなかった?」
閃血を受けた右肩を抑えながら半身になって体を起こすリィル。
私があえて殺さなかったことは殺し屋である彼にとってはすぐに分かったのだろう。
「殺してそれで話が終わるならそうしたさ。でも……私の目的は殺戮じゃない」
今までの私であればその手段に飛びついていたかもしれない。
力を振るう快感に流されていたかもしれない。
だが、今日の私は不思議と落ち着いていた。
「交渉をするなら力は見せるだけでいい。その先に手を染めるのは最終手段だよ」
「…………」
無言でこちらを見つめるリィルは納得がいっていない様子だ。
だが、それでいい。殺し屋なんかに理解されたいなんて思わないからね。
「……ここまでかな」
背後でちん、と刀身を収めるヴェルトも戦闘続行を放棄するように苦笑を浮かべている。
「まだあなたの魔術は攻略していないはずだけど?」
「今の一連の攻防で実力差くらいは察するさ。勝てない戦いをいつまでも続けるのは得策じゃない。それに……もう時間切れだ」
くい、とヴェルトが首で示した先にはゆっくりと広がっていく朝焼け。
どうやら気付かないうちに朝を迎えようとしていたらしい。
「約束通り、『銀の矢』はクレア・グラハムから手を引こう。レイン君からもね」
「……随分とあっさりしてるんだね。なんだか不気味なんだけど」
「契約は守るよ。それを破ってしまえば我々はただの人殺しになってしまうからね。殺し屋にとって契約は絶対なのさ」
そう言って襟元を正し、かつかつと立ち去っていくヴェルトと、慌てた様子でその背を追って走っていくリィル。決断もそうだが撤退も早いな……長居は無用、ということなのだろう。
(追うか? ……いや、レインの怪我もある。ここは私も退こう)
なんだか試合には勝ったが、勝負には負けた印象が拭えない。
というのもヴェルトが敗北を認めたタイミング……空は朝焼けに染まっているが、日の出まではまだ時間が残っていた。つまりゲーム終了を告げる合図まではまだ時間があったのだ。
勝負を捨てて、撤退に徹したのは彼の言ったように勝ち目がないと見込んだからか、それとも……
「……食えない人だね」
ああいうタイプには深入りしない方がいい。藪蛇になってはたまらないからね。
「……すまないが手を貸してくれないか? 自分一人だと動けそうになくてな」
「あ、ごめん」
私が考え事をしていると、ぐったりとした様子のレインが私をじーと見つめていた。
正確に言うと私の額に生えている角を。
「……人族じゃなかったんだな」
「あー……まあ、うん。そうだね」
「王都にいて良いのか?」
「いや……バレたらまずいと思う」
「ふーん……」
じろじろと私の額と顔を交互に見ているレインに私は冷や汗が出てくるのを感じていた。
これ、もしかしてバレたらだめなやつにバレちゃったんじゃね?
「あの、レインさん。お願いがあるのですが、このことはどうかご内密にしていただければ……」
「…………」
「いや、その、こんことがバレますと私の居場所がなくなってしまうといいますか、今まで以上に厄介なことに巻き込まれるのは確定的に明らかと言いますか……」
私が必死の弁明をしていると、「ぷっ」とレインが小さく噴き出す。
「どれだけ必死なんだ……安心しろ。最初から言いふらすつもりなんてない」
「ほ、本当!?」
「ああ。君だって僕の秘密を握っているだろう? だからおあいこだ」
秘密……というと男のフリをして過ごしていることだろうか。
私の秘密と比べると爆弾の規模が違いすぎる気もするのだが……まあ、秘密は秘密か。
「分かった。私も秘密にする」
「なんだ、誰かに言いふらすつもりだったのか?」
「えっ、いやいや、そうじゃないけど……」
両手を振って否定する私の様子が面白かったのか、口元に手を当ててくすくすと笑うレイン。
今までの態度とは違う、なんだか憑き物が落ちたような雰囲気だった。
「そんな見た目になっても中身は変わらないんだな」
「この状態だと意識が引っ張られることもあるけどね」
「引っ張られる? 何に?」
「何にって……」
……はて、何にだろう。破壊衝動? ……とは違うよな。
改めて聞かれると私は何に意識を引っ張られていると感じていたのだろうか?
今回はいつもと比べて意識が明瞭に保てていることもあり、特に引っ張られているという感じがしないから特定が難しいのだが……あえて言うなら血に、だろうか?
「はあ、まったく君は破天荒なやつだな。まさか本当に『銀の矢』を追い返すなんて……だが、クレアお嬢様が助かったのはお前のおかげだ。ルナ・レストン」
「いきなりなんだよ、気持ち悪いぞ」
「君に敬意を示しているんだ。クレアお嬢様のことだけじゃない。僕も君に救われた。だから、その……」
「? なんだよ」
言い淀むレインに先を促すと、顔を逸らして明後日の方向を見ながらぽつりと呟く。
「あ、ありがとう……ルナ・レストン」
横を向いたレインの頬が赤いのは朝焼けのせいか、それとも……
「どういたしまして、レイン・コート」
追及するとこっちまで恥ずかしい思いをしそうだったので私も適当に誤魔化すことにした。
だってこいつと仲良くなるなんて……今さらでしょう?




