第336話 二度目の襲撃
どれくらいの距離を歩いただろう。
代り映えのしない下水道の景色とこの悪臭のせいで時間の感覚が曖昧だ。
「そろそろ地上に出るぞ」
「その言葉を待ってたよ」
立ち止まったレインに思わず安堵の溜息が漏れる。
いつまでもこんな場所にいたら気が滅入ってしまいそうだ。
「先に行く」
昇降用の梯子に手をかけながらそう言うレインに私は頷いて返す。
ぎしぎしと縄紐をしならせながら登っていくレインに私も続こうと梯子に手をかけるが……
「……レイン」
「なんだ?」
「先に行ってくれ」
「は?」
「追いつかれた」
梯子から手を離し、下水道の先、暗闇へと私は視線を固定する。
すると吸血種の視力でも測れないほど深い暗闇の奥から、年老いた男性の声が響く。
「……バレていたのかい。これでも隠形は得意分野なんだがね」
ぬるり、と効果音が聞こえて来そうなほどにゆっくりとヴェルトがその輪郭を現わし、私の前へと立ち塞がる。手に持った杖でかつんと床を打ち付けるように叩くと時計塔でも見た魔法陣が現れる。
その瞬間、地面がまるで泥沼にでもなったかのように沈殿していく。
時計塔の時と同じ、つまりこの魔術は……
「『沼地の男』──それが私の持つ固有魔術の名称だ。術者を中心とした周囲の地面を軟化させる魔術、と言えば分かりやすいだろう」
「……ずいぶんと親切なんだね。自分の手の内を自分で教えてくれるなんて」
「シンプルな魔術ゆえに隠すまでもないのだよ。それに……知ったところで意味はない」
私に向けて伸ばされた手に魔力が集中していくのが見える。
「──『斬空』」
放たれた魔力の刃が眼前に迫る。だが、その軌道は既に見切っているぞ。
「──『影槍』!」
地面に突き刺した影法師を反動に空中へと身を浮かす。更に影を足場にして跳躍、斬空の刃が通り過ぎていくのを眼下に収めながら、ヴェルトへと迫る。
「影法師──『月影』!」
左手に集めた魔力を刃へと変え、眼前の敵へと叩きつける。
ちょうど半月型の残滓を残しながら迫る攻撃に対し、ヴェルトは持っていた杖を掲げる。
すると──キィィィン──と、まるで金属でもぶつかったかのような甲高い音を立てて月影と杖が接触する。
(受け止められた……!? こいつの杖、ただの杖じゃない!?)
更にヴェルトは私の攻撃を流すように半身になって受けた後、くるりと舞踏会で踊る貴婦人かのごときステップでさらに半回転。再び視線を捉えた時、ぞくりと私の背筋に悪寒が走る。
ヴェルトの鋭い眼光は私をしっかりと捉えており、右手で持った杖が一瞬で視界を動き回る。1、2、3……4、5、6……刹那に放たれた合計8回もの刺突。すべてを回避することは到底不可能だった。
「ぐあッ……!」
痛みと共に漏れ出た血が地面を濡らしていく。
なんとか耐えた……? いや違う、これは……手加減されたんだ。
今の攻撃、すべてが急所を狙ったものじゃない。私に手傷を負わせて戦闘不能にしようとする意図を感じた。恐らく、私を殺してしまっては仲間にできないと考えているのだろう。
「くっ……ずいぶんと優しいんだね、殺し屋の癖に」
「ターゲット以外には基本的に紳士だよ、私は。相手が怪我人となればなおさらね」
余裕を見せようと軽口を叩くが、ヴェルトの視線が私の右腕に注がれる。どうやら私の右腕の負傷も見抜かれているらしい。
隙のない男だ……というか、魔術師の癖に近接戦闘も同等かそれ以上にデキるってのはどういうことだよ。
「……それ、仕込み杖だったのね。魔法陣を起動するための媒体だと思っていたからすっかり騙されたよ」
「見かけによらず、というのは暗殺者の基本だ。いずれルナちゃんにもしっかりとレクチャーしてあげよう」
「そいつはどうも。お礼に私もひとつ面白いものを見せてあげるよ」
「?」
きょとんとした表情を浮かべながら半身に構えるヴェルトに対し、私も鏡合わせのように半身に構える。左手を捻るように後方へ流し、滴る血に魔力を込める。
「──『舞風』」
秒に満たない時の間に鞭のようにしならせた左腕から血を飛ばす。
ノーマルモードの今の私では血を影魔法でコーティングすることができないため、威力は半減するが……それでも高速で飛来する血飛沫は決して無視できないダメージになる。
レインの『魔弾の射手』には遠く及ばないが、牽制にはなる。
事実、半身から僅かに腰を落としたヴェルトは、
「────」
呼吸すら忘れたようにただ一心不乱に杖を振り、飛来する血を迎撃していく。
まだ精度が甘いせいか、それとも距離の問題か、間隔が開き過ぎた散弾では思うようにダメージは通ってくれない。とはいえ……
「──『鍔鬼』」
飛び道具に意識を割いた瞬間に距離を詰めることは出来た。
魔術、近接、妨害、なるほど確かにお前の引き出しは多いみたいだがその全てを同時に扱えるというわけじゃない。厄介な『沼地の男』だって、この距離まで迫れば無意味だ。
ここで勝負を決める。その覚悟で生成した漆黒の刀を振るうが……
──キィィィィィンン──
火花と共にヴェルトの杖に阻まれる。
「ちっ……!」
大丈夫、一度で決められるとは思ってない。
まだだ、まだ攻撃の手は緩めない。
一度でダメなら二度、二度でダメなら三度、三度でダメなら何度でも!
「うあああああああああああッ!」
呼気と共に手に持った漆黒の刀を振るう。型も何もあったものじゃないが、影魔術で作られた刀……鍔鬼は並の武具を凌駕する強度を持つ。腕前の差は武器の性能で埋めようと考えるが、
「どうやら君は己の本分をまだ知らぬらしいな」
刹那の瞬間に弾かれた刀から流れるようなカウンター、ヴェルトの仕込み杖の切っ先が私の額、こめかみ付近を切り裂いた。
どろり、と流れ出た血が瞳に入り視界の半分が朱色に染まる。
反射的に瞳を閉じた私の隙をヴェルトは見逃さなかった。
「──『沼地の男』」
杖で地面を叩きながら私の左腕を掴み、壁面へと叩きつける。
すると軟化した壁に私の左腕がずぶずぶと沈みこんでいく。まさしく泥の中に手を突っ込んだような感触だ。私の腕が3分の1ほど埋まったところでヴェルトは杖を地面から離し、魔術を解除する。
「うっ……」
動けない……壁に手がめり込んだまま、壁が元通りになってしまったせいで抜けなくなってしまった。ヴェルトの野郎、何が『殺さず捕えるような技は用意がない』だよ、めちゃくちゃあるじゃねぇか。
「魔術の使い方は良い。暗殺者として即興で武器を用意できる手段というのは貴重だ。ただ……ルナちゃんに剣士としての適性はない。君にぴったりの武器を今度一緒に探してあげようね」
きん、と音を立てて仕込み杖を元に戻したヴェルトが私に背を向け歩き始める。
「待て……!」
私の静止を受け入れるはずもなく、ヴェルトは梯子を使って地上へと向かってしまう。
追いかけようと左手に力を込めるが……ダメだ、びくともしない。
「くそっ……!」
悪態をつきながら足音が消えるのをじっと待つ。
このままだと……
「……なんてね」
埋まった左腕の部分を切り離し、引っこ抜く。中に残った腕も蛇に変えておいたおかげで「やあ」とばかりに顔を覗かせ手元に戻ってくる。これですべて元通りだ。
とはいえ……今の攻防で分かってしまったが、ヴェルトは私よりも格上の実力者だ。
このままだとレインの身を守り切れるか怪しい。それはつまりクレアの命の危機も意味している。
「……さて、どうするか」
何とかなるだろうと、高を括った過去の自分を殴り飛ばしたい。
確かに私の戦闘力は同世代と比べて群を抜いている自覚がある。しかし、だからと言ってその道の本職、ホンモノと比べてしまえば今のように軽くあしらわれてしまうのだ。
誰かを護るには強さが要る。
そして……今の私は、弱い。
「まあ、どうするかなんて……方法はひとつしかないんだけど」
迷っている時間もない。適当なものを探そうとした私の耳に、チュウという何かの鳴き声が聞こえてくる。視線を音の方に向けると、血の匂いに釣られたのか一匹のネズミが地面を走り回っていた。




