第333話 どうしても好きになれないやつ
「レインを殺せ……だって?」
思わず聞き返す私に男はゆっくりと頷く。
「別に難しいことではないだろう。君達は昔馴染みの親友同士というわけでもない。むしろ、その方針の違いから幾度も衝突していたはずだ」
「…………」
「とはいえ、そんな相手と一緒に来たのだから何か進展があったのだとは理解している。このまま発言も許さないままというのも可哀想だし……レイン君、君もここになにか目的を持ってきたのだろう? 語ってみたまえ」
男が柔らかな眼差しを背後に向ける、釣られるように振り返る私。
レインは今、一体どんな表情をしているのだろうか。
死への恐怖? 裏切られることに対する不安? それとも理不尽な展開への怒りか?
答え合わせをするようにレインの顔を覗き込むが……正解は私のどの予想とも違うものだった。
「……僕から言うことは何もありません」
我慢しているわけではない、むしろ微笑んでいるようにすら見える穏やかな表情でレインはそう言った。
「レイン、お前……ちゃんと話を聞いていたのか?」
「ああ。それで契約がきちんと履行されるのであれば何の問題もない」
淡々と語る彼女に、私は声を荒げずにはいられなかった。
「何言ってんだよ! こいつらに何か言いたいことがあるからここまでついて来たんだろ!?」
「ああ。もしもの時のチップになるつもりだったが……この展開なら問題はない」
思わず声を上げた私に、あくまでレインは冷静に答える。
「ギルドにとって僕は裏切り者だ。内部情報を知りすぎた僕を見逃してくれるはずもない。だからせめて生きている内にチップとして使って欲しかった」
「は、はあ?」
レインが何を言っているのか、私にはさっぱり分からなかった。
「僕の命ひとつでクレアお嬢様が助かる可能性が1%でも上がるのなら、それで構わないと言ったんだ。その覚悟をして、僕はここに立っている。だから本当に構わないんだ。僕の望みはクレアお嬢様が無事に過ごすことだから」
「…………ッ」
冗談で言っている雰囲気ではない。そもそも、こいつが冗談なんて言っているところなんて一度だって見たことがない。絶句する私に、男は興味深そうな視線を送ってくる。
「ふむ……死する覚悟、か。それもまた美しいな。良かろう。その首一つで、条件を呑もうじゃないか。ただし、手を下すのはルナちゃんだ」
「ありがとう」
「……ッ! 勝手に話を進めるなっ! それになんだよ、ありがとうって!? お礼を言うようなことじゃないだろ!?」
私を無視して段取りを組もうとするレインにたまらず、彼女の眼前に詰め寄る。
睨むように見上げると、レインの藍色の瞳が私を捉えた。
「お前、ふざけてんのか?」
「ふざけてなんかいないさ。これが最善だと判断しただけだ。一つだけ気に入らない点があるとするならば、貴様に引導を渡されることか」
壊れてしまった魔動具の代わりに用意していたらしいナイフを懐から取り出すレイン。
そのままくるりと器用に反転し、柄の部分を渡しに向けて差し出してくる。
「できれば一瞬でやってくれ」
「潔いことだ。私としては話が早くて助かるよ。ああ、死体の処理はこちらでしよう。そういう担当の部署もあるのでね。すぐに手配するよ」
相変わらず二人が何を言っているのか意味が分からない。
これは私がおかしいのか? 私の感性が間違っているのか?
「どうして命をそんなに軽く扱えるんだよ……」
「軽くなんてないさ。ただ、僕の死には意味ができた。それだけで僕は満足できる」
俯いていた顔を上げてみると……そこには笑顔を浮かべるレインがいた。
本当に、本当に満足そうに笑みを浮かべていたんだ。そしてその瞬間に私は気付いた。
ああ……そうか、こいつは……『幸せ』ってやつを知らないんだと。
この程度の理由で死ねて本望だと、本気で思っていやがるんだと。
それはまるで『自由』を知らない『奴隷』のように。
レインは『幸せ』を知らない『不幸者』だったのだ。
「……分かった」
無言でレインが瞳を閉じる。私が了承したと思ったのだろう、私が手を離すと、その場に転がるように尻もちをついてしまう。
「わっ……」
びっくりした様子のレインに背を向け、男に向き直る。
「私はレインを殺さない」
「ほう……?」
私の宣言に、男はあくまで上品に問いかけてくる。
「殺しに躊躇を感じたのかい? いや、違うね。君は必要ならその罪を侵せる人間のはずだ」
分析するように不躾な視線を送る男の言葉は間違っていない。
確かに私はこれまでにも少なくない人間をこの手にかけてきた。
「なのにどうして拒絶する? 今さら善人ぶるというのか?」
「違うよ」
「なら、一体なぜ?」
なぜ、か。改めて問われると困っちゃうね。
理屈で考えればここでレインを見逃がす理由はない。
自分と周囲の人間の生活を危険に晒してまでレインを守る理由が私にはないからだ。
レインに情が湧いたから? いつの間にか好きになっていた?
そんなわけはない。私はそこまで軽い女ではないのだ。
……あ、いや男ね。軽い男じゃない。訂正訂正。
だから、なぜと言われても困るのだけれどそれでも言葉にするのなら……
「私はこいつのことが大っ嫌いだからかな」
「? すまない。言葉の意味がよく分からなくてね。大嫌いなのにリスクを背負ってその命を救おうというのかい?」
「救うなんて大それたことは考えてないよ。というか、死にたがってるやつにとって死は罰じゃない。救いというのならむしろレインの言うとおりにしてあげることこそが救いなんじゃないかな」
レインの笑顔を見て、私はそこに狂気を感じた。狂気、あるいは無垢と呼ぶべきか。
他人のために命を懸ける、それは美談にはなるかもしれないがその本質は違うと思う。
人はもっと傲慢で、強欲で、利己的なものなのだから。
「悲劇のヒロインになりたいのは勝手だけどさ、アンタの考えるチープな脚本の登場人物に成り下がるつもりはないんだよ」
尻もちをついたまま私を見上げるレインのぽかんとした表情が、ぱっと赤くなる。
それはそうだ、命まで懸けた覚悟を小馬鹿にされたのだから怒りもするだろう。
「お前っ……! どこまで僕を愚弄するつもりだっ!」
「どこまで? まあ、気が済むまでかな。今、気付いたんだけどレインみたいなクールキャラが取り乱す姿を見るの、私結構好きみたい」
「性格が悪すぎるっ……!」
「一体、いつから私の性格が良いと錯覚していた? 別に私は性格が良いなんて公言していないぞ」
「~~~~~~っ! どうしてこんな奴がクレアお嬢様のお気に入りなんだッ!」
こればかりは心底気に入らないのだろう、今にも血涙を流しそうな勢いで悔しがっているレインに私は胸がすっとする思いだった。
「……ルナちゃんの選択は理解したよ。でも、それでどうするつもりだい? 私からの信用を得られなかった君になにか代案があるとでも?」
「…………」
私がレインの殺害を拒否したことで話は戻ってしまっている。いや、一度決裂した以上、むしろ悪化していると言えるだろう。何の手札もない状態で席についた私がこれからどうやってこの男を丸めこめばいいのか……さっぱり分からないね。ノープランもいいところだ。
「答えられないようだね。それなら交渉は終わりだ。残念ながらね」
「…………っ!」
しかも男は私の答えを悠長に待ってくれるつもりはないらしい。
そもそも私は男の本名すら知らないんだ。そんな相手と信頼関係を結ぶ方法なんて……
(……本名すら知らない?)
自分の思考に引っかかりを覚え、記憶を辿り……そして思い出した。
(そうだ、こいつらは互いに本名を隠して行動している。そんなチームに信頼なんてはなからあるはずがない)
私がこいつの仲間になったとして、そこに信頼関係なんてない。ただの利害関係だけだ。
だから考えるべきは相手から信頼を勝ち取る方法ではない。
もっとシンプルな理屈。
断れないメリットか、リスクを提示すること。
つまりは相手を言いなりにする方法だ。
「……交渉を打ち切るにはまだ早いよ」
立ち去ろうとしている男に視線を向ける。
そして私は一つのスキルを発動した。
「終わりだよ。君は信用ならない人間だからね」
「信用ならない人間だからこそ、終わらせちゃダメなんだよ」
「……どういう意味だい?」
足を止めた男にほくそ笑む。
通用するかどうかは分からない。だが、ここでやらなきゃすべてが終わる。
クレアの命も、レインの命も、もしかしたら私の家族の命さえも。
だから私はここで……一世一代の法螺を吹く。
「私達と戦争するにしたって、自分ちの庭を戦火で焼きたくはないだろうって意味さ」
私が発動したスキルは……『鑑定』。
「そうだろ? ──ヴェルト・リンデさん」
私はこれから始まる大法螺の第一手として、男の本当の名前を口にするのだった。




