第332話 時計塔と駆け引き
エルフリーデン王国は他の国に比べて建築技術が優れていると聞いたことがある。手先の器用な人族が集まっている国だからこそ、高いレベルでの生活が送れているのだとか。
その象徴とも呼べる建物の一つが『時計塔』。
王都の中央に建てられた96mの塔は街の至る所から見ることができ、近くを歩く都民はいつでも時間を知ることができるのだ。
日中は観光名所として機能しているこの時計塔だが、深夜になった今では人気も少なく、簡単に侵入することができた。
立ち入り禁止と書かれた立て看板の横を通りながら歩いていると、後ろをついてきているレインが不安そうな声をあげる。
「……待ち伏せとかされてないだろうな」
「さあね」
吸血鬼の五感で周囲を探ってはいるが、今のところ人の気配は感じられない。
代わりに見つけた内部へ続くものと思われる木製の扉を、ゆっくりと開いていると、背後からレインの舌打ちが聞こえてくる。
「能天気な奴だな。少しは警戒したらどうなんだ」
「はあ……そんなに心配だって言うのならついてこなくてよかったのに。というか今からでもそうしたら? 私は止めないよ」
「バカを言え。ここまで準備して来たんだ。今さら引き返せるか」
そう言って袖をめくって見せるレインの手首には、以前に使用していた魔術補助用の魔動具が取り付けられていた。荒事を想定しての準備なのだろう。袖を元に戻したレインはそのまま私を追い越し、時計塔の屋上へと向かう螺旋階段を昇り始める。
(正直一人の方が気楽だったけど……仕方ない)
彼女は交渉の場へ向かおうとする私に同行を申し出た。私も一度は断ろうとしたのだが、レインの強い希望に押し切られる形で同行を許可してしまった。まあ、『銀の矢』メンバーであるレインが交渉の場で何か役に立つかもしれないという目算はあるんだけどね。
『銀の矢』から狙われているはずのレインが自ら危険な場所へ向かうのは不合理としか思えないが、何やら狙いがあるらしい。いきなり暴れ出したりしないかだけが心配だ。
「それよりカレン・ヒューズは本当に頼りになる人間なんだろうな? もしもクレアお嬢様の身になにかあったらただじゃおかないぞ」
「だから大丈夫だって。カレンの家は護衛屋だからこの手の仕事を頼むなら一番頼りになる。心配はいらないよ」
「ならいいが……」
レインと二人でここに来る前、眠らせたクレアの身柄をカレンお嬢様に引き渡してきた。
私達が自由に動いている間、クレアを守ってくれる人間が必要だったからだ。
事情を話せば引き留められるだろうからと、カレンには嘘をついてしまった。
これまで世話になった相手への仕打ちとしては心が痛まずにはいられなかったが、優先すべきはクレアの安全だ。仕方がなかったと割り切るしかない。
そう自分に言い聞かせながら歩いていると、背後でバタッという物音が聞こえた。
振り返ると、レインが片膝になって塔の内壁に手をついて寄りかかっているのが見えた。
「おい、お前やっぱり傷がまだ……」
「……ちょっと立ち眩みがしただけだ。問題ない」
胸元を抑えて深呼吸を繰り返すレイン。
彼女が受けた傷は決して浅くない。いくら自己治癒力を底上げできると言っても限度はあるだろう。
「……もう大丈夫だ、行こう」
呼吸を整え、改めて歩き始めるレインの背に私は何も言わなかった。
私達はお互いを気遣うような関係ではない。
彼女がそうしたいというのなら、勝手にすればいい。
それ以降は無言で螺旋階段を上り続けていると、やがて頂上に辿り着きバルコニーと思われる開けた場所に出る。
高い所から見下ろす王都の街並みは一言でいうと無駄がないという印象だった。
計画的に作られたと思われる並んだ建物群、最短距離を繋ぐように作られた公道、そしてその中央にあるこの時計塔。整然と建物が並ぶさまはある種の機能美のようなものさえ伺える。
「ここからの景色を見るのは初めてかね?」
コツ、という音と共に物影から現れ、私達に話しかけてきたのは50歳ほどに見える男性だった。襟高の黒いコートを身に羽織り、焦げ茶色の杖をついている。先ほど聞こえた音は杖を鳴らした音だったようだ。
「美しい景色だ。美しいものには守る価値がある。そうだろう?」
ゆったりとした声音を紡ぐ唇、それを上品に飾り付ける口ひげ。
優しく向けられた眼差し、目尻に見える皺と相まって微笑んでいるかのような印象を受ける人物だった。
「名乗るのが遅れたね。私の名はエドワード、あるいはローウェン、あるいはリンダ、あるいはナランティーノ……好きな名で呼んでくれて構わないよ」
「……私はルナ・レストン。ルナちゃんでいいよ」
「ふふ、ではルナちゃん。まずは来てくれてありがとう。優秀な人間との会話にはそれだけで価値がある。それが同志となるかもしれない人物との時間であればなおさらね」
雰囲気に吞まれないようにと茶化してみたが……落ち着いているな、この男。
こいつが今回の説明役、ということなのだろう。
「さて、リィルから話は聞いていると思うが、私達には君を迎え入れる準備がある。その対価は君の大切な友人への依頼の破棄だ。認識に間違いはないかね?」
「ないよ」
「なら良かった。君がここに来たということは条件を呑む腹積もりなのだろう? 色々と分からないことばかりだろうが心配はいらない。私が夜の世界の流儀をしっかりと教えてあげようじゃないか」
柔和な態度を崩さない男性は私に向けて片手を差し出してくる。
握手のつもりなのだろう、相手に会話の主導権を渡さないという意志を感じる。
私は反射的に伸ばしかけた手を広げ、男性に向けて掌を突き出して見せる。
私の「待った」の合図に、男性はぴたりと制止する。
「……条件を呑むつもりはあるよ。だけど、その前にその条件がきちんと履行されるという保証が欲しい」
「ふむ……道理だね。しかし、どうすれば信用してもらえる? 私達は互いに互いを知らない。ただの口約束に意味がないというのなら、具体的な指示が欲しいところだね」
私の要求に対しても冷静な対応……だが、会話の主導権は掴んだぞ。
「一年間、それだけの間クレアに手を出さなければ信用する」
「一年? その間に君達が逃げ出さない保証は?」
「……そんなことはしない。約束は守る」
私の言葉に男は口ひげを指先でいじりながら話し始める。
「人に信用してもらうコツはね、まず相手を信用することさ。私達は手を出さないと約束した。その言葉を信じてもらえないというのなら、君の言葉を我々が信じることはないよ。それにね、一年は長すぎる。待てても一週間が限度だ」
「一週間? それはいくらなんでも短すぎるよ」
「そんなことはないさ。一週間もあれば大抵のことはできる。そうだね、私であれば一週間もあれば十人は殺せるだろう」
「……十人?」
男の出した人数の意図が分からなかった私は思わず聞き返す。
すると、男はにこりと孫を見る好々爺のような笑みで答えた。
「ああ。家族、友人、仲間……周りに置いている大切な人間の数はみな大体それぐらいだという話さ」
「…………っ」
「最近、父親が家に帰ってきたんだったかな? 仲睦まじい様子で何よりだよ。身寄りのない子供も預かっているようだし。確か名前は……シア、だったかな? 君の人徳を考えると十人では足りないかも……」
「おい」
「…………」
気付けば私は『威圧』スキルを発動していた。
これ以上、男の話を聞いていられなかったからだ。
「私の家族に手を出すつもりなら……殺すぞ」
「まさか、そんなつもりはないよ。君は私達の大切な仲間なんだから。仲間の家族に手を出すはずがない。そうだろう?」
逆に言えば仲間以外であれば容赦はしない、って意味か?
いきなり話題を変えた時は何がいいたいのかと勘繰ったが、大したことじゃない。
ただこいつは自分達の立場を利用して脅しているだけだ。
(こいつらの軍門に下るにしても、条件を呑ませるためにある程度の牽制は必要だ。とはいえ、反発しすぎて反感を買ったらクレアどころか、私の家族にまで危険が及ぶ……どう話を持っていくべきか)
思わぬ事態に体が強張っていくのを感じる。
まさかここまで私のことを調べ上げていたとは……流石に予想外だ。
なんとか話をまとめなければならないが……どうすればいい。
男は私の『威圧』を受けても優しい笑みを崩さなかった。
ただ、じっと私を見つめ杖を握っているだけ……底の見えない男だ。
というよりこいつ、抜け目がない。今日、この場で話をするためにわざわざ私のことを調べ上げたのだろう。交渉のテーブルで有利に立つために。
となれば何の手札も持たない私がここでレイズするわけにはいかない……か。
「……分かった。それなら一週間だけ時間をくれればそれでいい」
「これで君から信用を得るための条件は達成できたわけだね」
「そうなるね。だから、一週間後に……」
「なら次はこちらの番だ」
私の言葉を遮るように男は言葉を被せる。有無を言わせない口調だった。
「君が信用に値する人間だと証明するためにこちらの提示する条件を呑んでくれたまえ」
「……一体何をしろって?」
私の問いに男はにこりと微笑んだ。
「なに、簡単なことだよ」
そして、その笑顔のまま……
「そこにいる君の連れ……レイン君を殺しなさい。今、ここで」
──まるで悪魔のような条件を私に突きつけるのだった。




