第331話 一方的なお別れ
「お帰りなさい、遅かったわね。ルナ」
新居に戻ると、クレアは楽しそうに笑って出迎えてくれた。
「聞いてよ、クロエが『お嬢様の作る衣装はつぎはぎだらけで斬新でございますね』なんて嫌味を言ってくるのよ? 失礼しちゃうと思わない?」
作業場から追い出されたのか、紅茶を淹れながらぼやくクレアはそれでも嬉しそうだった。
そんな彼女の時間を奪ってしまうのは申し訳ないのだが……
「ごめん、クレア。ちょっと急ぎで話したいことがある」
「え? もしかして……何かあったの?」
「うん。一から説明するべきなんだろうけど、私からだとうまく説明できる自信がないから代わりの人を連れてきたんだ。ひとまず彼女の話を聞いてあげてほしい」
私が合図をすると、アリッサさんと共に包帯だらけのレインが姿を見せる。
「レイン……?」
「……お久しぶりです、クレアお嬢様」
こうして二人の再会はなんとも気まずい雰囲気で始まるのだった。
◇ ◇ ◇
レインの怪我は見た目ほどの深さではなかった。
彼女が気を失っていた大きな原因は自己治癒力を強化する水系統の纏魔の使い過ぎ……つまりは単純な魔力切れだったらしい。
簡単な応急処置を施し終える頃にはレインは意識を取り戻していた。
自己治癒では失った血までは増やせないらしく、未だに青白い顔をしているが。
そんな今にも倒れそうなレインを、彼女の希望もあったので、ひとまずクレアの元へ送り届けたのだが……
「最初に言っておくけど、私はあなたを許すつもりはないわ。だから簡潔に、事実だけを教えなさい。まず、あなたは『銀の矢』という暗殺ギルドに所属する殺し屋で、私を殺す依頼を受けていたのよね?」
「それは……」
「どうなの?」
「……その通りです」
有無を言わせないクレアの威圧感は貴族と言う肩書を失っても健在だった。
レインの顔が青いのは貧血のせいではなく、クレアにガン詰めされているせいかもしれないね。
「私を守るためにギルドを裏切ったと聞いたのだけど……最初から裏切るつもりならどうしてもっと早くに相談してくれなかったの?」
「それは……その、誰が信用できるかもわからない状況でしたので。いるかどうかも分からない味方を増やすことよりも、僕の裏切りがギルドにバレないことを優先した結果です」
「だとしてもルナくらいは信頼してあげてもよかったんじゃない? あなた達が争ったせいでルナは怪我をして、駆け付けるのが遅れたと聞いているんだけど」
「いえ、その『銀の矢』のメンバーはお互いに素性を隠し合ってますので、誰がメンバーなのか知る方法がないんです。コードネームと顔が一致するメンバーは何人かいますが、ほとんどが顔も名前も知らない構成員なんです。ですから、ルナ・レストンが信用に値する人物かどうかの判断は難しく……」
「ふーん……?」
見下ろすように、値踏みするように、クレアはレインを見つめていた。
「まあいいわ。それで、私への暗殺の依頼はまだ残っているという話だったわよね? どうせ純血派の仕業だろうと決めつけた私が早計だったわ。その依頼主の情報は持ってるの?」
クレアの視線に私とレインは揃えて首を横に振る。
「そう。直接交渉なりが出来ればよかったのだけど、そう簡単に情報を漏らしたりはしないわよね」
「……そうだね」
クレアには悪いが、ここは嘘をつかせてもらう。
依頼主が義理の母親だったなんて、そんな情報は知らない方がいい。
あのリィルとかいう男が言っていたことが事実だという保証もないしね。
「依頼主が無理なら刺客の方をなんとかするしかないけど……」
「それも難しいと思います。先ほども言いましたが、『銀の矢』はその秘匿性を高めるために構成員同士の情報すら規制されていますので、近づく人間すべてを警戒するレベルでの対策が必要になります」
「現実的ではない、ということね」
「はい。二日三日ならそれでもいいですが、何年もそんな生活を続けることは不可能です」
「…………」
両腕を組み、黙り込むクレアは対処法を考えている様子だった。
しかし、状況的に取れる対策はたった一つしかないように思える。
「クレア、私は別にあいつらの条件を呑んでやっても構わないよ」
それは私がやつらの仲間になって、クレアへの依頼を取り消させること。
「ルナ、それは本気で言っているの?」
「うん。これでも結構考えた」
何が最善なのか、よくもない頭で考えてみた私なりの結論。
まず大前提としてクレアの命を守ることは最優先だ。
そのためには依頼を取り消させるか、依頼達成を不可能にするしかない。
だが、その方法はそれほど多くはないだろう。
「何人いるかもわからないギルドメンバー全員を返り討ちになんてできるわけもないし、結局は依頼を止めさせるしか方法がないのならこの方法が一番かなって」
「一番? そんなわけないでしょう」
「クレア……?」
窓際から離れ、私に乱暴な足取りで近寄って来たクレアは私の両肩を掴み、
「次にそんなふざけたことを言ったらぶん殴ってやるから」
今までにみたことがないほどに怒気を込めた瞳で見つめながら、そう告げるのだった。
「そんな簡単に自分の人生を投げ出さないで。私のためを思ってしてくれたことだとしても、そんな自己犠牲的なやり方じゃ私はちっとも嬉しくない」
「……でも、他に方法なんてないよ」
「ないなら作ればいい。少なくともあなただけがすべての不利益を被るようなやりかたは納得ができない」
「…………」
力強い言葉だった。自分の命が狙われている状況で他人の心配までしてしまうなんて、やはりクレアの本質は肩書によって左右されるようなものではなかった。
貴族だから高潔なのではなく、彼女はクレア・グラハムだから高潔だったのだ。
「やっぱり、クレアはそう言うと思っていたよ」
私は苦笑して、レインへと視線を向ける。
頷くレインから視線を戻し、私はクレアへと向き直る。
「私も同じ気持ちだったよ、クレア」
「? どういうこと?」
それは私が伝えそびれていた言葉。
「あなたに出会えて良かった」
私の正直な気持ちを伝えた瞬間、ぐらりとクレアの身体が傾く。
「すみません。クレアお嬢様……ですがこうするしかないのです」
こっそりと魔術を行使していたレインの声が背後から聞こえる。
彼女の魔術『魔弾の射手』は大気中の水分を自在に操る魔術らしい。特製の睡眠薬を混ぜた水を常に持ち歩いており、これを狙った相手の呼吸に合わせて吸引させることで強制的に眠らせることもできるのだとか。
激しく動く戦闘中では使いにくい魔術だが、暗殺向きと考えればかなり優秀な魔術と言えるだろう。暗殺以外にも用途は多そうだし。今みたいにね。
「おっと」
倒れそうになるクレアの身体を抱きとめる。
視点が合わず、とろんとした表情のクレアに私は精一杯の笑みを浮かべることしかできなかった。
「……最後の無礼をどうかお許しください。クレアお嬢様」
そこで私はあえて従者としての立場を取り戻すことにした。
一方的な行動になったのはクレアなら絶対にこの選択を取らないし、取らせてくれないと思ったからだ。それは対等な友人としての選択ではない。尽くす者、即ち従者としての選択に他ならない。
「それと……ごめんなさい。看板娘の件は別の子を探してください」
「まって……る、な……」
必死に意識を繋ぎ止めようとしているようだが、薬物に耐性のないクレアでは抗える道理はなかった。
ゆっくりと閉じらえていく瞼に、私は優しく微笑みかける。
「どうか安心してお眠りください、クレアお嬢様。次に起きた時には……この悪夢は私が終わらせておきますので」
その言葉が届いたのかは分からない。完全に瞳を閉じたクレアは静かに寝息を立て始めていた。
「……良かったのか? ルナ・レストン」
「何が?」
「きっとお嬢様には恨まれるぞ?」
クレアの身体を抱き上げ、歩き出す私にレインが問いかける。
今さらすぎる問いだね。その答えは屋敷でレインと協力関係を結んだ時に出ていた。
「別に構わないよ。クレアの未来が守れるならね」
「…………」
何かを言いたげな表情のレインだったが、結局は口を閉じた。
何を言っても無駄だと悟ったのかもしれない。言われて変える程度の覚悟なら、こんな道は選ばないからね。それにそもそも私は自分でも認めるほどの頑固だし。
「さて、それじゃあクレアを預けたら行こうか」
気分は乗らないが、あえて楽し気に声を出す。
こういうのは第一印象が大事だというからね。
今の内から心の準備をしておこうというわけだ。
「新しい職場と……仲間達のところにね」
クレアには悪いことをしたと思っている。
それでもこれはもう決めたことだ。
私は……クレアを守るために殺し屋になる。




