第330話 暗殺者の要求
「まさかそっちから来てくれるとはなぁ。レインちゃんから居所を聞きだす手間が省けて良かったぜ。おっと、メイドちゃんはじっとしてなよ。手元が狂っちゃいけねぇ」
「うっ……」
首を絞められたアリッサさんが苦し気に呻き声を上げる。
この男……本気だ。殺し屋を自称したのも冗談ではないのだろう。
「……お前、お嬢様を狙ってたやつだな?」
「無駄な質問はやめよーぜぇ? 物事には優先順位ってもんがある。この状況でどっちに質問する権利があるかは明白ってもんじゃねぇの?」
張り付いたような笑顔を浮かべる男からは何の感情も読み取れない。
次の瞬間にはアリッサさんの首を掻っ切っていてもおかしくないな。
今はこの男の話を聞くとしよう。
「……用件はなに? わざわざ拘束したってことは私と話がしたいんでしょ?」
「へへっ、この状況でなんともまぁ気の強い女だなぁ。まったくビビってませんってかぁ? 良い女が釣れたもんだぜ。レインを殺さず置いておいた甲斐があったなぁ」
「…………」
「そう睨むなよ、ちゃぁんと用件はある」
そう言って口角を上げ、より深い笑みを浮かべるリィル。
ただし垂れ目の瞳は鋭い視線を持って私を見つめている。
リィルの反応を待つ私に、彼は予想外の言葉を投げかけた。
「ルナ・レストン。お前、殺し屋稼業に興味はねぇか?」
「……なんだって?」
「お前はウチのメンバー二人をあっという間にのしちまった。実力、精神ともに合格ラインを越えているとうちのボスは判断したんだよ。まあ、言うならヘッドハンティングってやつだな」
「……ふざけてるのか?」
「いやいや、大真面目だよ。この話を受けるならクレア・グラハムにかけられた暗殺の依頼も放棄する。悪い条件じゃあないだろ?」
得意げな顔で告げるリィルだが……クレアの暗殺依頼を放棄する、だって?
「お嬢様は貴族を辞められた。もう純血派が彼女を狙う理由はないはずだ。今はまだでも、依頼だってその内に取り下げられると思うよ。だから、それを交渉材料にするのは意味がない」
この男の言葉をどこまで信用するべきかは分からないが……現時点で判断するなら、じきに効果を失くしてしまうカードを今のうちに有効活用しようという魂胆だろう。
仮にこの男が嘘をついていたとしても、私の決断は変わらない。
NOを突きつけた私に、リィルは小首を大仰に傾げて見せる。
「んん? もしかして……知らないのか? お前?」
「何をだよ」
「クレア・グラハムが貴族を辞めたからって依頼が取り消されることはねぇと思うぞ。なにせ依頼をしたのは……キャサリン・グラハムなんだからな」
「…………え」
男の口から語られたその情報を理解するのに少しの時間が必要だった。
「その顔を見るにはマジで知らなかったのかぁ。レインちゃんから聞いてるもんだとばかり思ってたんだがなぁ。まぁ、やさしーいレインちゃんのことだ。伝えるに伝えられなかったのかねぇ」
「いや、よくない。ちょっと待て、その話……本当なのか?」
「ん? ああ、本当だぜ。依頼主の情報は話さないのが鉄則なんだが、このままじゃ話が進まなそうだったんでなぁ。信じる信じないはお前の勝手だが、怨恨による依頼はこれまで一度だって途中で取り下げられたことはねぇ。オレ達はこれからもずっとクレア・グラハムを狙い続けることになると思うぜ」
「…………」
どうする?
どうすればいい?
男の話が本当である確証はない。だが、もしも本当なら……
「……そんな話はないでしょ」
母親に認めてもらうため、何年も何年も努力し続けてきたクレア。
その努力の結果がこんな裏切りなのだとしたら……あまりにもあんまりな話だ。
「怨恨って……なんだよ、それ。一体何の恨みがあるっていうんだよ」
「そんなのオレに聞かれてもなぁ……だが、貴族社会じゃぁよくある話だぜ。アイツらは地位や面目ってのに何よりも拘るからなぁ。身内の汚点は何をしてでもそそごうって連中ばかりだ。オレだって理解し難いとこだが、オレ達は殺し屋だ。金さえもらえるならどんな理由だって構わねぇさ」
「……お前の言葉が本当だという保証なんてない。今の話にだって気になる点はあるよ。依頼理由がなんだって良いというのなら、どうして今回の依頼理由が怨恨だと断定したんだ?」
「それはウチの方針のせいだなぁ。依頼を受けた後に依頼者とそのターゲットに関する情報は徹底的に調べ上げるのがウチのやり方でね。こうしとかねぇと報復とか後でとばっちりを食らうこともあるからなぁ。だからグラハム家に関する情報はある程度揃ってるのさ。クレア・グラハムとキャサリン・グラハムの本当の関係とかなぁ」
リィルはぼかして言ったが、恐らく二人の血の繋がりのことを言っているのだろう。
グラハム家に関して調べ上げた、というのは嘘ではないのかもしれない。
「状況は分かってくれたか? もしもお前がオレ達の誘いを断るってんならオレ達は業務を遂行する。ちなみにオレ達の仲間はこの国のいたるところにいるぜ。大通りでパフォーマンスをしている大道芸人、笑顔の眩しい花屋の店主……毎日すれ違う何百人って人間に注意を払って生きる生活は辛いと思うぜ?」
言いながらリィルは腕をアリッサさんから離し、解放する。
「けほっ、こほっ……」
唐突に拘束の外れたアリッサさんはせき込みながらその場に崩れ落ちる。
「悪かったなメイドちゃん。まずは話を聞いてもらわね―とだったからよぉ」
きゅっ、という革靴の音を響かせながらリィルはその場で私に背を向ける。
無防備な背中だった。影槍を発動すれば、一息に突くこともできそうだ。
「……リィル、だっけ。あなたは私があなた達の仲間になると思ってるの?」
リィルの行動に虚をつかれた私は思わず尋ねていた。
「さあ?」
「さあって……」
「お前の気持ちをオレが知るわけがない。だけど、お前ならうまくやっていけるとは思ってるぜ」
「……どういう意味?」
「死体を見させてもらった」
リィルは首を振り、視線だけこちらに向けた。
「どちらも頸椎への一撃で即死していた。見事な手際だと思ったよ。狙ってやらなきゃできないことだ。お前は殺すための知識と、殺すための手段と、殺すための行動力を備えている」
リィルの瞳を見た瞬間、私は込み上げる吐き気にも似た感情を覚えた。
「こういう稼業をしてるとよ、二種類の人間を見かけるんだわ。人間を殺せるやつと、殺せないやつ。そこで転がってる甘ちゃんは前者だが……お前は違う」
歪んだ目元は私を見て嗤っていた。
「お前はオレ達と同じ……同類だァ」
仲間を見つけたと、男はそう告げていた。
「──ふざけるな」
焦燥感に突き動かされるように私はアリッサさんの前へ移動し、リィルから守るように立ち塞がる。
「お前らみたいな外道と私を一緒にするな」
「ははっ……外道か。随分な物言いじゃぁないか。オレ達の事情をなーんにも知らないくせに。殺したくて殺してるやつなんてうちのギルドでもほんの一部だぜ?」
楽し気に肩を揺らすリィルは外へ向けた足を切り返し、こちらに歩み寄ってくる。
「止まれッ!」
「お前だってそうだろ? さっき、オレの背中に攻撃することもできたのにしなかった。しないことが利になるとそう考えたからだ。つまり、お前にとって殺すか殺さないかの選択は衝動的なものではなく、あくまで理知的に行われたものだってことになる」
私の静止を振り切り、男は手を伸ばせば触れられそうな距離にまで近寄ってくる。
「かっとなってやっちまった、ってのなら分かる。襲われて焦ってやり返しすぎた、とかもな。でも……お前はそうじゃない。殺すべきだと考え、整理してから実行している。理解してるか? それ、普通じゃあないんだぜ?」
「…………っ」
男の言葉に対し、私は反論することができなかった。
それが事実だと、心のどこかで肯定してしまっていたから。
「別に責めてるわけじゃない。悪いことじゃあないからな。ただ、お前は特別な感性を持っているって話をしているだけだ」
リィルは最後に私を一瞥すると、再び私に背を向けた。
「オレ達の仲間になるなら今日の深夜に時計塔の屋上に来な。もしも来なかったら……クレア・グラハムは近日中に死ぬことになる。必ずな」
「…………」
「よく考えな」
最後にそう告げ、去っていくリィルを私は見送ることしかできなかった。




