第329話 油断と勘違い
それからの生活は順調とまでは言えないまでも安定したものだった。
新しいメイド服を仕立てる予算がなく、元々使っていたメイド服をクレアと一緒に四苦八苦しながら手直ししたり、結局うまくいかなくてクロエさんに助けを求めた結果噂を聞きつけた元メイド達により狭い新居がタコ部屋の如く圧迫されてしまったり……まあ、一言でいうと楽しく過ごしていた。
その間に新たな襲撃者は現れなかった。
これまで付きっ切りでクレアの警護を行ってきたが、襲撃者の予兆すら感じられない。
クレアが貴族を辞めたことで狙う理由がなくなったのだろう。
「ルナ、ちょっといい?」
私が慣れない手つきで裁縫を行っているとクレアに話しかけられる。
「実は裁縫道具が足りなくなってきていてね、屋敷にならまだあるはずだからちょっと持ってきてくれないかしら?」
「今からですか? それはもちろん構いませんが……」
屋敷は襲撃のあった夜から手つかずのまま放置されている。
確か今は本家の預かりになっているんだったかな。
「ルナなら何かあったとしても心配ないでしょう? それに屋敷の様子も見てきて欲しいし」
そう言ってクロエさんを筆頭に集まってくれた元メイド達を眺めるクレア。
「……あそこにはたくさんの思い出があるから。少しずつでも取り戻していきたいの」
なんとなくクレアの言いたいことが分かるような気がした。
再び集まってくれたみんなと過ごしたあの屋敷での思い出をクレアは捨てきれないのだ。
もう戻ることはできないとしても。その気持ちは私だって一緒だ。
「分かりました。では少し席を外させていただきますね」
こうして私はクレアの要望に従う形で屋敷へと向かうことに。
「あれ? ルナちんどっか行くの?」
出かける準備をしていたところで、お手洗いから帰って来たアリッサさんとばったり遭遇する。
「はい。裁縫道具が足りなくなりそうなので屋敷から調達してこようかと」
「一人で? だったらアタシも一緒に行く!」
「いいんですか?」
「うん。ちょうど針仕事はちょ~っとだけアタシには合わないかな~って思ってたところだからさ」
たはは~、と笑って見せてきた左手は僅かに出血していた。
この人、抜け出す口実に出かけようとしているな。
「医療道具も一緒に探した方が良さそうですね」
「いいよいいよ、このぐらいの傷なら舐めとけば治るからさ」
そう言って私の背を押すアリッサさんと共に借家を出る。
真昼間の王都は日差しも絶好調といったご様子。今日も日傘が手放せそうにないね。
「ルナちんてばいっつも日傘してるよねぇ、確か肌が弱いんだっけ?」
「昔からそうなんですよね。ずっと日に当たってると火傷したみたいになっちゃって」
「うへ~、それは大変だねぇ」
アリッサさんと並んで王都の街並みを屋敷に向け歩く。
今日の太陽は一段と張り切ってるな。さっきから喉が渇いて仕方がない。
「ふぅ……今日は暑いですね。屋敷についたら一息入れますか」
「おっ、ついにルナちんもメイドの働き方が分かってきたみたいだね」
「ええ、おかげさまで」
メイド業務のうち基本的な立ち回りはクロエさんから、そして裏口的な働き方はこのアリッサさんから教わった。つまりは効率的にサボる方法だ。
「ふっふっふ、では戸棚の裏に隠しておいた秘蔵のお菓子を出してしんぜよう」
「また来客用のお菓子をくすねたんですか? ダメですよ、そういうのは」
「とはいいつつ涎が隠せておりませんぞ?」
「おっと」
完全に無意識だった。なんだかんだ毒されているな、私。
「それにどうせ来客なんてないんだから取っておいても無駄無駄。お菓子も戸棚で埃をかぶるよりアタシ達に食べられることを望んでいるはずだって」
「確かに食料を粗末にするのは憚られますね」
「そゆことそゆこと」
私達はうんうんと頷き合い、変わらぬ友情を確かめ合った。
そのまま屋敷へとお喋りしながら歩いていたのだが……
「…………ん?」
違和感を覚えたのは、屋敷の門をくぐろうとした時だ。
(錠前が……外されてる……?)
鉄製の錠前は破壊された痕跡もなく、ただ解除されていた。
今は誰も住んでいない屋敷とはいえ家具などはそのままになっている。
本家の人間がこんな杜撰な管理をしているとは到底思えないのだが……
「どうかしたの? ルナちん?」
「……いえ、鍵が開いていたもので。もしかしたら中に誰かいるかもしれません」
「えっ……」
アリッサさんの強張った声が漏れる。彼女もこの屋敷が襲撃されたことを知っている。
不安に思うのも当然のことだろう。
「見たところ無理に開けられたわけではなさそうですが……どうします? ここで待っていますか? それとも先に戻ります?」
「いやいや、ルナちんを一人にはできないっしょ。ふつーに。というか強盗とかそういうのならわざわざ鍵を開けて中に入ったりしなくない?」
「確かに。それもそうですね」
「もー、ルナちんが真面目な顔で怖いこというから」
湧いた疑問に一応の答えを出しつつ、アリッサさんと共に屋敷の中に入っていく。破壊されたクレアの部屋は未だ手が付けられていないらしく、外から見てもその事件の凄惨さを物語っていた。
「……ん?」
階段を上がる途中、地面に何かが落ちているのを見つけた。落ちているというよりは濡れているといった方が正しいだろうか。屈んでその液体が何かを確認した私は事態の深刻さを悟った。
「アリッサさん」
「ん? どしたの?」
「私の傍を絶対に離れないでください」
「えっ……?」
「見てください。血です。何者かがこの屋敷に侵入したのは間違いないようですね」
私が見つけたそれは僅かに黒ずんだ血液だった。ここで何かがあったことは確定的に明らかだ。問題はそれが誰に起きたことなのかという話なのだが……
(血痕は上階……クレアの部屋の方に続いているな)
「ど、どどど、どうする? どうすればいい?」
「まずは落ち着いてください。はい、深呼吸をどうぞ」
「え? あ、は、はいっ……すー、はー、すー……ごほっ、げほっ!!」
こいつ深呼吸中に盛大にむせやがった。静まり返った屋敷内だとどこにいても聞こえたことだろう。
「ごごごご、ごべんっ!」
もう混乱の極地にあるのか涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら謝るアリッサさん。
ここまで動揺している人が傍にいると不思議と冷静になるもんだな。
「大丈夫です。今のでこっちの動きがバレるならとっくの昔にバレてます。それに血の固まり具合から見ても誰かがこの屋敷にまだいる可能性は低いでしょう」
「それを先に言ってよぅ!」
「すみません。とはいえ低いだけでゼロではないですからね。ひとまずついてきてください。もしも戦闘になったら私がなんとかしますので」
「~~~~っ!」
アリッサさんは言葉も出ないのか、ぶんぶんと首を縦に振りながら私の背中あたりの服をちょんと掴んでくる。何だこの人、ちょっとかわいいな。けど邪魔だから掴むのはやめてね?
「行きましょう」
少しだけ屋敷内の状況を確認することにした私はやはり一番気になっているクレアの部屋に向かうことにした。
襲撃のあった夜は私にも余裕がなかったから、階段に落ちていた血を見逃した可能性もある。メアリーさんを運ぶときに付着した可能性だったあるしね。だからそれほど警戒はしていなかったのだが……
「…………っ」
私の予想に反して中には人がいた。
クレアが執務に使っていた大型の机に背中を預けるように地面に座り込み、ぐったりとした様子で顔を伏せているその人物は私達の良く知る人物であった。
「レイン……っ!?」
嫌な予感に弾かれ、駆け寄った私はレインがあちこちに怪我をしていることに気が付く。
血だらけなのはそうなのだが……妙な傷のつき方だ。
「おいっ! しっかりしろ!」
「ん……」
私の声に呼応するように、その人物は僅かに声を漏らす。
良かった。どうやら最悪の事態にはなっていないようだ。
「何があった? どうしてここにいる? それにこの傷は……」
「……お嬢、さま。来ないで、ください……これは……罠、です……」
意識が朦朧としているのか、私をクレアと間違えている様子でこちらへ手を伸ばす。
咄嗟に手を掴むと、レインは崩れ落ちるように体を横に倒した。
慌てて体を抱きとめると……ふにゅん、という柔らかな感触が伝わってくる。
私の左腕に押し付けられるその人物の胸元には、確かに女性的な柔らかさが宿っていた。
「……やっぱり、あの時の“アレ”は見間違いじゃなかったか」
以前の戦闘中、『鑑定』でステータスを確認して驚いたことを思い出す。
レインの情報を目にした私は、彼が彼ではないことに気が付いていた。
はだけた胸元から覗く明らかな膨らみに確信する。
レイン・コートは……女の子だった。
「いったいどういうことなんだよ……」
事情が掴めず溜息をもらしていると……ガシャンっ、と背後で何かが落ちる物音。
振り向くと、鍵束を足元に落としたらしいアリッサさんが見知らぬ男に拘束されていた。
「ルナ・レストン、だったっけかぁ? 余計なことはすんなよぉ。大切なお友達の首を圧し折られたくなかったら、な」
長身のその男はアリッサさんに覆いかぶさるように後ろから首元に腕を回しながらじっとこちらを見つめていた。男の目元にあしらわれた涙模様のタトゥーが目に入る。
「あんた……何者だ」
「オレかい? オレの名はリィル。しがない殺し屋さぁ」




