第32話 私とアイツのティータイム
奴隷生活七日目。
ようやくここでの生活にも慣れてきた。
と言っても、慣れるほどのことは何もないんだけどね。
日がな一日、奴隷の女の子を眺め続けるだけの日々が続いている。
ぼろ衣のような衣服しか与えられない彼女達はちらちらとこちらの様子を気にしながらも近寄ってくるようなことはしない。
私は私で鎖に繋がれてしまっているから近寄れない。本当はもっと近くでお話とかしたいのだけれど。まあ、猿轡されてるしそれも無理か。
はあ……とにかく暇だ。
女の子達を鑑賞するぐらいしかやることがないとは。やれやれだぜ。
「飯の時間だぞ」
ため息すら漏らせない窮屈な環境の中、サドラーがそう言って私達の食事を運んできた。まずは普通の人族の少女達に。そして最後に私のところに。
「猿轡を外す。噛み付くなよ」
毎回毎回言わなくても今更噛み付いたりしないっての。
臆病なんだか、慎重なんだか。
「ほら……食べろ」
口元に差し出されたパンはいつものようにレンガみたいな硬さだった。
だけどどんなに不味い飯でも食べなければ生きていけない。もぐもぐと仕方なしに咀嚼する。
「よし、食べたな」
そう言って、サドラーは再び猿轡を手に取った。
あまりにも事務的なその態度に、私は慌てて待ったをかける。
「何だ?」
「体が痛い。外に出して」
「無理を言うな。お前みたいな奴をおちおち自由になんて出来ない」
お前みたいな奴、か。
どうやら随分嫌われているみたいだね。
「自由にする必要はない。ただ外を歩きたいだけ。ほんの10分でいいから」
ここぞとばかりに私は上目遣いに懇願してみせる。
サドラーも若い男。私のおねだりには屈さざるを得ないだろう。
「……駄目だ」
あれー?
「……貴方、ホモなの?」
「どうして急にそんな話になる。俺は至ってノーマルだ」
そう言ってがしがしと髪をかきむしるサドラー。「ったく、ペースが乱される」と静かに独り言を漏らした彼は腰を折り、壁に繋がる鎖の南京錠に手を伸ばした。
「5分だけだぞ」
ぶっきらぼうな口調でそう続ける。
なんだ……こいつ、思ったより良い奴じゃん。
「っと……」
「おい、何ふら付いてる。歩き方まで忘れちまったのかよ」
訂正……やっぱりムカつく。
「こっちだ」
サドラーの先導により、私は一週間ぶりになる外出を果たした。
そして……
「ぎにゃーっ!!!」
容赦ない太陽の洗礼を浴びるのだった。
「お、太陽に弱いってのはマジなんだな」
慌てて日陰に逃げ込む私をサドラーは興味深そうに見つめていた。
というか知ってるなら何か準備くらいしておけよ。こっちはずっと地下牢にいたせいで、昼夜の感覚すらなくなってんだから。
「ふーふー、ああ、痛かった……」
腕に息を吹きかけ、患部を冷ます。
久しぶりの太陽光はちょっとびっくりするくらい痛かった。やばい。ちょっと涙まで出てきた。
「……吸血鬼にも痛覚はあるんだな」
「今更そんなことを言う? 言っておくけど、これの時もかなり痛かったんだからね?」
これ、と背中の奴隷紋を親指で強調してやる。
「悪かったよ。だが俺も仕事だったんだ。勘弁してくれ」
「謝って済めば警備兵は要らないのよ」
「……そうだな」
サドラーは僅かに視線を逸らし、気まずそうにしていた。
その態度にはちょっとだけイラッとしてしまう。悪いと思うなら最初からするなって話だ。
「謝って済めば警備兵はいらない、か……本当にその通りだな。贖罪にはならないだろうがゆっくりしていけ。何なら紅茶でも出してやろうか?」
「ええ。不味かったら殺すけど」
「……お前は本当に変な奴だな」
まさか冗談を真に受けるとは思わなかったんだろう。サドラーは不思議そうな顔のまま、それでも紅茶の準備に取り掛かる。
私は紅茶の淹れ方なんて知らないから詳しくは分からないけど……それなりに手際は良く見えた。ちょっと時間がかかりそうだったので、私はその間に椅子を運び、場のセッティングをしておく。
そうして……
「「…………」」
私とサドラーの奇妙なティータイムが始まった。
お互いに沈黙のまま、紅茶の風味を楽しむ。
なんというか……あれだ。普段全く話さないクラスメイトとペアにされた学生の気分。何を話せばいいのかさっぱり分からない。
「…………」
沈黙のまま時間だけが過ぎていく。
サドラーもこの奇妙な沈黙に耐えられなかったのか、カップをテーブルに置き話の糸口を探している様子だった。
「あー、その、なんだ……美味いか? 紅茶」
「う、うん……」
……いや、そこは『まあまあね』とか高飛車な態度を貫くところでしょう、私よ! 何で肝心なところで人見知り発動してんのさ!
まるでカップルの初デートかよと突っ込みを入れたくなるようなぎこちなさ。何でこんなことになってるのやら。
「……お前は俺のこと、恨んでいないのか?」
「……え?」
私が自らの対人能力の低さを改めて認識していると、サドラーは突然意味の分からない発言をしてきた。恨んでいないのか? だって? 恨んでるに決まってるだろうが! アホか!
「さっきから気になっていた。ずっとこうして一緒にいるのに、お前の奴隷紋は何の反応も見せない。さっきは俺のことを『殺す』とまで言ったのにだ。奴隷紋を前に嘘は通用しない。普通の奴隷であれば、こうして暢気にお茶を飲むことなんて出来ないはずなんだ。それなのに……お前はなぜ?」
「なぜって……」
そんなこと、聞かれても困る。
サドラーに対する不満や鬱憤はある。反抗心だって忘れたつもりはない。だけどそれでも私の奴隷紋が痛みを伝えてこないのはつまり……
「お前は俺のことを……恨んでいないのか?」
再び問いかけるサドラー。
その瞳には不信と期待の両方が詰まっているように見えた。
どこまでも真面目な表情で答えを待つ彼に、私は……
「……ふざけるな」
自然と、その言葉を漏らしていた。
「恨んでいないのか、だって? そんな分かりきっていることを聞くな。忘れるなよ、私が被害者でお前が加害者だ。お前にはその問いを聞く権利すらない」
自然とカップを持つ手に力がこもる。
口調にすら気遣っている余裕がなかった。
それほどに私は今、不愉快な気分にさせられていた。
ちりちりと背中から首筋に、針で刺したような痛みが這い上がってくる。
「……悪い」
サドラーが一つ、呟いた。
私の前では謝ってばかりだ。こいつ。
「……戻る」
こいつのこんな情けない姿なんて見たくなかった。
すでに10分を遥かに超えているし、私は自ら牢屋に向かって歩き出すことにした。
「贖罪にはならないだろうが……一つだけ」
その背中に、サドラーの弱々しい声が届く。
「主人を亡くした奴隷は奴隷ではなくなる。不慮の事故により主人を失った奴隷は行き場を失ってしまう。その際に命令権もまた完全に破棄される仕組みだ。奴隷紋は残るが、誰に命令されることもないただ一人の人間として独立できる」
「……なんでそんなことを私に?」
「知っておいてもらいたかった。お前には可能性がある。ただ……そう思っただけだ」
「……聞かなかったことにしておくわ」
止めていた足を再び地下へと向ける。
こうして私とアイツのティータイムは幕を下ろした。
紅茶はまだ、半分ほど残っていた。
そして……それから更に一週間後。
──ついに買取手が見つかったとの報告を私は受けるのだった。




