第323話 銀の矢
「お前が……殺し屋だって……?」
レインの口から飛び出した言葉に、思わず聞き返す。
対するレインは値踏みするような視線で私を見つめるだけだった。
「いや、でもだってそれは……」
「……その様子を見るに、貴様は本当に『銀の矢』とは無関係のようだな」
「ああもう……勝手に一人で納得しないで。ちゃんと説明して」
混乱する私に、レインは一度だけ頷くと話し始める。
「僕が刺客の情報を手に入れることが出来たのは僕がその組織に所属しているからだ。僕の役目はサポート役。事前に屋敷に潜入して、情報を集め、暗殺の補助をすることが僕の仕事だった」
「暗殺の、サポート役……?」
いまいち理解しずらいレインの言葉に頭を捻らずにはいられなかった。
「えっと、つまり屋敷のメイド達を解雇したのもクレアを孤立させるためだったってこと?」
「それに関しては本家の意向だ。僕から何か働きかけた結果じゃない」
確かにいち従者の意見だけであれだけの大量解雇を強行できるわけもないか。
「話を戻すぞ。僕は『銀の矢』からの情報で、今日この時間に刺客が来ることを知った。そして、それを迎え撃つためにここで準備していたんだ」
「迎え撃つため……? それはおかしくないか? お前はその殺し屋の一味なんだろ? なのになんでクレアお嬢様を守るようなことをしてるんだよ」
「みたいじゃない。僕はクレアお嬢様を守るためにここにいる」
「……どゆこと?」
「これは個人的な事情だから説明も難しいし、理解が得られるとも思ってない。大切なのはクレアお嬢様を狙う組織があって、誰がその刺客なのかもわからない状況で僕はクレアお嬢様を守る必要があったってことだ」
誰が敵か味方かもわからない状況。
しつこくクレアに近づこうとする私はかなり怪しかったとレインは吐露した。
「どうやらそれは僕の勘違いだったみたいだが」
「……一つだけ確認させて。どうしてお前はクレアを守ると言いながらクレアを危険に晒すような真似をした? お前が本当に組織に所属しているのなら、どうにかうまく丸め込む方法もあったんじゃないのか?」
「ないよ。そんな方法。あいつらは金の為に人を殺す。そこに倫理や道徳なんて存在しない。だから『銀の矢』を止めるには武力行使しかなかった」
「殺し屋組織にたった一人で挑もうとしたってこと? あんまり良い作戦には思えないけど」
「だがそうしなければクレアお嬢様が死んでしまう。他に方法はなかった」
断言するレインからは覚悟のようなものを感じた。
「……分かった。お前の言葉を信じるよ、レイン」
「信じる? 随分と簡単に言うんだな。信じられる証拠も何もないはずだが?」
信じてやっているのになぜか嫌味な物言いのレイン。
こいつはこんな時まで面倒な奴だな。
「証拠なんていらない。それに、お前の話が全部冗談だったとしてもそれなら別に問題はない。問題なのはお前の話を頭ごなしに否定して、それが本当だった時だ」
レインの話に全て納得したわけではない。こいつはこいつでまだ隠していることがあるし。
信用に値する相手ではないが……完全に無視するのも危険すぎるだろう。
「私はクレアのところに行く。お前はどうする?」
「……僕も行く」
「よし、それじゃあ……」
ようやく和解できたと思ったその瞬間……
「──どけッ!?」
眼前のレインが突然、血相を変えて私に掴みかかってきた。
怪我した右肩を掴まれ、激痛が走る。
「痛った……っ! お前、何を……っ」
抗議の声を上げようとしたその時、
──フォンッッッ!!
何かが私の顔の真横を通り過ぎていく音がした。
「ぐっ……!」
その何かは近くにいたレインの肩口を浅く切り裂き、鮮血を溢れさせる。
「レインっ!」
「大丈夫だ! それより警戒しろ! 僕達は今攻撃されている!」
首を振り周囲を見渡すレインに釣られて私も同じようにしてみるが……ダメだ。吸血鬼の夜目をもってしても近くに敵は見当たらない。
「ちっ……どうやら少し前から目を付けられていたみたいだ。僕らがこれ以上戦わないと見て先制してきたんだろう。このタイミング、今度こそ奴らだろうな」
「ど、どうする。近くに敵の姿はないぞ。索敵するか?」
「いや……闇雲に探すのは効率が悪い。向こうの狙いが分かっているなら、そこを守るべきだ」
「なるほど、クレアお嬢様だね」
「ああ、そうだ」
頷くレインだったが……一向にその場所を動こうとしない。
「おい、クレアは屋敷の中だろう? 早く行くぞ」
「僕はここに残る」
私に背を向けて、襲撃者を警戒するように周囲に視線を向けるレイン。
「魔道具が壊された時点で僕の戦闘力は半減してる。だったらここで敵の目を分散させる囮役をした方がいい。クレアお嬢様は……お前が守れ」
心底不服なのだろう、嚙みしめるように告げるレインだが……ここに残るっていうことは、敵の攻撃に真っ先に晒されるということだ。戦力が落ちている今ならなおさら危険だ。
「いや、レインも一緒に……」
「さっさと行け。もしもお嬢様を守れなかったら、絶対に許さないからな」
レインは今の自分にできることをしようとしている。
だったら……
「……分かった。お嬢様は必ず守る」
私は私のできることをしよう。
私達は別に友達じゃない。仲間でもない。
ここでレインが死んだとしても……クレアが守れるのなら、何も問題はない。
それ以上、語る言葉もなかった私はレインに背を向けて、クレアの元へと駆けだすのだった。
◇ ◇ ◇
「はぁ……」
自然とため息が漏れる。
ここ数カ月は思い通りに物事が進んでいない。
ルナがいなくなってから、歯車が嚙み合わなくなったような感覚にいる。
「もう、ルナは私の従者なのに……」
ベッドに倒れ込んだ私は誰にともなく愚痴を漏らす。
分かっている。本当に手放したくないのなら、もっと強く引き留めることも出来た。
あの時、ルナに嫌われたくないという私の心が怖気づかせたのだ。
「ルナ……」
もしもあの時、私が行っちゃイヤだと告げていたなら……
あなたは今も私の隣にいてくれたのかしら?
「クレアお嬢様」
突然、扉の奥から聞こえた声に思わず体が跳ねる。
「な、なに?」
「少しお話したいことが……今、お時間よろしいでしょうか?」
この声の主は私の屋敷に残った唯一のメイド、メアリー・ホールのものだろう。
少しだけ迷った後、私は彼女を招き入れることにした。
「どうかしたの?」
「……はい。キャサリン様のことで少し」
「別にいいけど」
ベッドから体を起こし、メアリーに向き合う。
歳のせいか、それとも気苦労のせいか皺の増えた目元を優し気に細めながら、メアリーは慎重に言葉を選ぶように話し始める。
「お嬢様は退学したくない……のですよね」
「当たり前じゃない。その為に私は今まで頑張って来たんだから」
「でしたら……やはりキャサリン様に慈悲を頂く他に方法はないかと」
メアリーの言いたいことはすぐにわかった。
私もその手段は考えていたから。考えて、一瞬で却下したけれど。
「無駄よ。どんな手段を使っても、あの人が私の言うことを聞いてくれたことなんて一度もないんだから」
「今回ばかりは違うかもしれないではありませんか。誠心誠意心を込めて伝えればきっと……」
「やめて」
私と義母の仲を取り持とうとするメアリーに、胸の奥にズキリと痛みが走る。
今、この人は私をどれだけ傷つけているのか理解していないのだろう。
その無神経さに苛立ちを覚えずにはいられなかった。
「この件に関してはあなたには関係がないわ。口を出さないで」
「ですが……」
「関係ないって言ってるでしょう!」
私の大声に、メアリーの肩がびくりと動く。
「……ごめんね」
「…………ッ!」
ぽつりと漏れたメアリーの謝罪に更に怒りが湧いてくる。
そんな私に……
「おやおや、喧嘩はダメだぞぅ。人間仲良くしなくっちゃねぇ」
聞きなれない男の声が突如として届いた。
「誰っ!?」
いつの間にか開いていた入り口の扉から二人の男が姿を見せる。
一人は若い長身の男だった。耳や口元にピアスをつけており、周囲を観察する垂れ目の瞳は興味深そうに左右に振られている。
「いやあ、ここが貴族のお嬢さんのお部屋か。思ったよりも普通だな」
「無駄話はするな」
そんな若い男を注意したのはもう一人の大柄な男だった。
真っ黒なローブを羽織るその男はローブの上からでも分かる程に鍛えられた肉体をしており、その身長以上に体を大きく見せている。
「お嬢様、お下がりください」
突如現れた二人の男を前にメアリーは私を守るような立ち位置へ移動する。
「おお、いと美しき忠誠心ってか? わっかんないねぇ、金なんかの為に自分の命を危険に晒すなんて。見た感じ、ただのおばさんって感じだしさあ……これはちょっと期待外れかな。凄腕の護衛と戦えるのを期待していたのに」
「護衛の類はいなくなっていると『雨』から報告があっただろう。もう忘れたのか」
「そこはほら、主しか知らない極秘の護衛者がいたりしないかな~って。なんだっけ東の国ではシノビとか呼ばれてるやつがいるらしいじゃん。そういうのいないかなって」
「……くだらないことを言ってないでさっさと仕事に取りかかれ」
「はいはい。強盗の仕業に見せかければいいんだよな? 任せてくれよ」
そう言って懐から短刀を取り出す若い男。
思わず唾を飲みこむ。冗談じゃない。悪い夢なんかでもない。
私は今……殺されそうになっている。
「────ッ」
古い感情を呼び起こされる。
昔、義理の母親にベッドで殺されそうになった時のことを思い出す。
首を絞めつける両腕の感触まで蘇るようだった。
息が……苦しい……。頭が、重たい……。
その場に座り込んでしまいそうになる体を必死に繋ぎとめる。
今まで死に物狂いで習得した魔術も何もかもが頭から抜けていた。
「お逃げくださいッ、お嬢様……クレアッ!」
メアリーの言葉に我に返る。男はすぐ目の前まで迫っていた。
「クレアに……手を出すなっ!」
テーブルに置いてあった燭台を手に、男に殴りかかるメアリー。
だが、その細腕を男はあっさりと掴み取ってしまう。
「気が強いねぇ。お前みたいな女は嫌いじゃない」
へらへらと笑みを浮かべる男は持っていた短刀をあっさりと振りぬいた。
「ろくに鍛えてもねぇ女の肉は柔らかくてよォ、切りやすいんだわ」
「あ……」
地面に飛び散る真っ赤な血。
それを見た瞬間、私の頭の中まで沸騰するかのような赤色の感情に染められた。
「クレア……逃げ……て……」
地面に倒れ込みながらも、私の身を案じるメアリー。
どんな時でも私の味方をし続けてくれた彼女が今……血を流している。
血よりも紅い燃えるような感情。
それが今までに感じたことのない猛烈な怒りだとはっきりと自覚した瞬間──
「お前っ……よくもやってくれたわね……っ!」
考えるよりも先に体が動いていた。何千、何万と繰り返してきた所作。
右手を前に、魔術の詠唱を始める。ほとんど怒りに任せた衝動的な行動だった。
「おっと、それはさせないぜ」
詠唱が終わるよりも早く、一瞬のうちに距離を詰めた男の右手が私の喉を鷲掴みにする。
「あっ、が……っ」
呼吸を封じられた私は強制的に呪文を中止させられる。
「へぇ、近くで見るとなかなか可愛い顔してるじゃん。いいねぇ……ちょっとじっとしてな」
男は短刀を胸元に突きつけたまま、僅かに喉の締め付けを緩くする。
こいつ、私を殺すために来たのではないの……?
私の頭をよぎった疑問はすぐに解消された。
男の短刀が私の上着を両側に別れるように切り裂いたからだ。
「っ」
「おっと、動くなよ。死にたくなかったらな」
男の短刀が私の胸元、心臓付近へと突きつけられる。
いつでも殺せるというアピールなのだろう。
「安心しろ。最後に良い思い出作ってやるから」
「……おい『雲』、何をするつもりだ」
「ん? いや、強盗の仕業に見せかけるならこういう演出もありかなって思ってよ」
「……あまり時間をかけるなよ」
「へへっ、さっすが話が分かるねぇ」
筋肉質の男の方は手を出すつもりがないのか、それとも他の人間の存在を気にしているのか廊下の近くに陣取っている。一瞬、救いの手が現れないかと期待したが……
「もうだ~れも君を守ってはくれないねぇ。どうだい、従者と切り離され丸裸にされた気分は。まあ? これから物理的にも丸裸にされちまうわけだけど? ひひっ、ひひひっ!」
嗜虐的な笑みを浮かべる男に私は自分の運命を悟った。
ああ、そっか……私は今日、ここで終わるのか。
結局、何一つ自由にできない人生だった。
私が立派な人間になれば、いつか誰もが認めてくれるのだとそう思っていた。
だけど……私にはその器がなかった。
私は……何者にも成れなかった。
ああ、そっか……
そっか……
「ひひっ、ひひひひっ! いいねぇ、その表情っ! 最ッ高に滾らせやがるなぁ!」
「…………?」
「自分が今、どんな顔してるか教えてやろうか? ほら、そこに映ってるだろ? 見てみろよ」
男に言われるまま、姿見に映る自分を見る。
するとそこには涙で顔をくしゃくしゃにした私がいた。
この理不尽な人生に涙を流す私がいた。
ずっとずっと押し殺して、いつしか気付けなくなっていた私の本当の心。
そうだ、私は別に立派な人間になりたかったわけではない。
ただ……誰かに愛して欲しかっただけなのだ。
「ひ、ぐっ……」
死にたくない。
「うっ、うぐっ……」
生きていたい。
「うっ、ううううっ……だ、れか……」
何者でもない私の心は……
「だれか……助けて……っ!」
あるはずのない救いを求めていた。
「その顔! ああもうたまんねぇな! 優しくすんのはヤメだ! 最高に最低な死に際ってやつを教えてやる! 絶望の中で逝かせてやるよ!」
喉を掴む男の腕に力がこもる。
そのまま押し倒されるように地面に転がされるが、腕力の差以前の問題として心が屈服してしまっていた。情けない懇願の言葉が漏れる。それが男の嗜虐心に更に火をつけると分かっていたのに。
「さーて、お楽しみタイムだ」
短刀を突きつけられたまま、男の空いた掌が私の胸元へと伸びる。
これから訪れるであろう最悪の時間にぎゅっと瞳を閉じずにはいられなかった。
だから……私は見逃してしまったのだ。
──バリィィィィンッ!!!
突如として響くガラスの割れる音とそれに続く鈍い打撃音。
私を抑えていた力がふっ、と消える。
その代わりに私の体を抱きしめるように支える誰かの温もり。
「──遅くなってしまい申し訳ありません。クレアお嬢様」
そこでようやく目を開いた私は自分が最高の瞬間を見逃したことに気が付く。
「ですがご安心ください。あなたにはもう指一本触れさせはしません」
月光に輝く白銀の髪。最高に可愛くて、最高に美しい彼女が、最高に格好良く登場するシーンを私は見逃したのだ。
「──あなたは私が守ります」
私の最高の英雄……ルナ・レストンがそこにいた。




