第312話 キーラのヒント
キーラ・イーガー。
イーガー家時期党首候補筆頭にして、この学園における純血派の取締役。
恵まれた家柄と、固有魔術『遠見の魔眼』を扱う魔術師だ。
そんな決して軽視できない存在であるキーラが今、私の前でニコニコと笑顔を浮かべている。
もっとも、笑顔だからと言って笑っているとは限らないのだが。
「えと……その、お、お久しぶりですね?」
「ええ、まったく。これから協力してやっていこうって時にまさか半年も放置されるだなんて思っていませんでした」
私はかつてキーラにとあるお願いをした。それは古参貴族と新興貴族の不和を解消するため、暫くの間、休戦協定を結ぼうというもの。私が新興貴族の牽制を行う代わりにキーラには古参貴族……中でも純血派と呼ばれる過激派の取りまとめを願ったのだ。
キーラからしてみれば協力関係とも呼べる相手、それもまだ契約を交わして間もない相手が何の相談もなく長期に渡って不在となれば不満が溜まることは想像に難くない。
「その節は誠に申し訳ありませんでした……」
「私はとてもとても寂しい思いをさせられました。この埋め合わせはどうしてくださるおつもりかしら?」
「ぐっ……そ、それは……」
今回の件に関しては私の落ち度だ。確かに当時の私はお父様の発見報告に浮足立っていた。だが、そんなことは相手からしてみれば何の関係もない。私がどうやって謝意を示せばいいか模索していると……
「当家の使用人をあまり困らせないでいただきたいですわ」
「あら、ヒューズさん。いらしたのですね。あまりにも存在感がなかったせいでまったく気が付きませんでしたわ。ごめんなさい」
「ナチュラルに失礼ですわねっ!? 謝罪の途中に罵倒を混ぜないでくれますっ!?」
私に助け船を出したカレンがあっという間に手玉に取られている。
カレンが手玉に取られているのはいつものことだが、このタイムはなかなかだぞ。
「しかし、ルナがヒューズさんの使用人とは驚きました。でも、確かにヒューズさんはグラハムさんと仲がよろしかったですものね。お二人に交友関係があったとしても不思議ではありません」
「え、そ、そんな仲良さそうに見えてました? ……えへへ」
「ところで幾ら払えばルナを譲ってくださります?」
「買収までの流れが早すぎますわっ!! マナーも何もあったもんじゃありませんわねっ!?」
「失礼。欲しいものがあるとどうしても我慢できないタチでして」
「でしたらお生憎様ですわ。私、どんな値段を付けられようともお友達を売るつもりは微塵もありませんので」
「それは残念」
僅かに肩を落としたキーラはそのまま私達の後ろの席に座ると小声で何かブツブツと呟き始める。
「……ああ、ルナの髪の香りがしますわ……気取らず、されど麗しく……淑女たるものの真なる姿を彷彿とさせますわ……」
私が振り返ると前傾姿勢になっているキーラと目が合う。
「何をされているのでしょう」
「下着がズレたので直していただけですわ」
そう言って何事もなかったと言わんばかりに、すとんと着席するキーラ。
いや、貴族のお嬢様ならもっとマシな嘘をつきなさいよ。
恥を隠す為に別の恥を晒しちゃってますがな。
というかこの人、こんなキャラだったっけ……? もしもまだ『魅了』スキルの効果が残ってしまっているのだとしたら……私は第二のアンナを作ってしまったのかもしれない。
「ささ、もうすぐ授業が始まりますわ。私のことはどうかお気になさらず」
いつものにこにこ笑顔を崩さないキーラに私はしぶしぶ従う。
その後、授業中ずっとやたら荒い鼻息を背後から感じ続けることになるのだが、これもキーラにかけた負担の分と思って割り切るとした。
◇ ◇ ◇
半年間も授業に出ていなかったため、授業の内容はかなり進んでいた。
とはいえ、師匠の元で修業した私にとって理解できない範囲の内容ではなかったため、なんとか本来の職務を全うすることができた。ここで躓いていたら話にならないからね。まずは一安心といったところだ。
「えーと、術式複数展開と複数特性術式の違いは……」
「カレンお嬢様、術式複数展開は別々の魔術を同時に使用する技術で、複数特性術式は複数の魔力特性を有する複合魔術のことを指します。丸暗記では難しいでしょうから、言葉の意味を捉えて覚えることをお勧めします」
「なるほどですわ。ルナは良い教師に慣れますわね」
授業が終わったら、分からなかった内容や重要だと思った部分をカレンに教えていく。カレンはクレアと比べてあまり成績がよろしくないようで、教えがいがある。
「さて、一区切りついたようですし昼食にしましょうか」
「ですわね。もうお腹がべこべこですわ。早速食堂に……」
「カフェテリアに行きましょう!」
「わっ……!? い、イーガーさん?」
いきなり背後から声をかけられたカレンが飛び上がる。私はずっと後ろで私達の様子を観察していたキーラに気付いていたが……やっぱり私達を待っていたらしい。
「それは一緒に昼食をとりたいということでよろしいのでしょうか?」
「久しぶりに会えたのだもの。ゆっくりとお話したいじゃない?」
少し砕けた口調で昼食に誘ってくるキーラ。私としては断る理由もないが……
「お断りしますわ!」
「あら、どうしてですの?」
「貴方と話す気がないからですわ! どうせまたルナを勧誘しようとするつもりなのでしょう? そうはさせませんわ! さあ、ルナ、行きますわよ!」
私の主人であるカレンはこの申し出をあっさりと断った。人懐っこいカレンにしてはやや珍しい行動と言えるだろう。それだけキーラという人物を警戒しているのだろう。確かに純血派の中でもかなり地位の高い家柄のようだし、クレアと同じ新興貴族側のカレンとしてはあまり深入りしたくない相手なのかもしれない。
「フラれてしまいましたわね。グラハム家に関する貴重な情報をお渡ししようかと思っていましたのに」
「…………なんですって?」
教室を出る間際に発せられたキーラの言葉にカレンの足が止まる。
「クレアに関する貴重な情報と言いましたわね? なんですのそれは」
「あら、私と話す気はないのではなかったかしら?」
「うっ……そ、それは……」
「冗談ですわ。お互い立場もありますものね。では分かりやすくこうしましょう。ルナを一日貸してくださいまし。そうすれば私の持っているグラハム家に関する情報をお渡ししましょう」
「……あなたの語る言葉が本当だという証拠はどこにありますの? そもそもどうしてあなたがそれほど親しくもないグラハム家のことについて知っていますの? 私にはあなたが嘘を言っているようにしか聞こえませんわ」
「そこは信じてくださいとしか言えませんが、私ほどの家柄になると知りたくなくても色んな情報が舞い込んでくるものですの。情報を求めるのは何もお友達ばかりではないということですわ」
「…………」
「さて、どうします? あまり時間をかけているとお昼の時間が……」
「断りますわ」
少し悩んだ様子を見せたカレンだったが、最終的にキーラの申し出を断った。
「……理由を聞かせてもらっても?」
「あなた、積極的すぎるのですわ。どんな裏があるかは知りませんが、あなたの喜ぶ展開にはさせません。それに……私は既に言ったはずですわ。友達は売らない、と」
すっぱりとそう言い切ったカレンは今までに見たことがないほどに凛々しい姿をしていた。
「それでは」
「お待ちくださいませ」
「……なんですの? これ以上、話していたら本当にお昼休憩がなくなりそうなのですわ」
「このままではただの意地悪クラスメイトになってしまいそうでしたからね。タダで教える義理はありませんが、ヒントくらいは差し上げます……レイン・コートに気を付けなさい」
いつになく神妙な顔でキーラは言った。
「彼はクレア・グラハムに害を及ぼす存在ですわ」




