第308話 王国の中枢
天窓から差し込む光が、部屋の中央に置かれた円卓を照らす。
ここはエルフリーデン王国における最高意思決定機関、通称・枢密院。国家の運営を一手に担う王国の頭脳部であった。
円卓を囲むように座る十数人の老人達。その誰もが大仰な衣装に身を包み、物々しい雰囲気を携えていた。
冗談でも言おうものなら、一斉に睨まれそうな雰囲気の中、最奥に座る青年が声を上げる。
「今回の任務報告書は読ませてもらった、オリヴィア・グラウディス。『問題なし』とは貴殿にしては随分と甘い処遇だな。分隊長の椅子は随分と座り心地が良いらしい。それとも書類仕事が増えたせいで目が曇ったか?」
青年の名はアレックス・エルフリーデン。
エルフリーデン国王の嫡子であり、時期国王となる者である。
周囲を囲む老人たちがアレックスの言葉に合わせ失笑を漏らす。円卓を囲む彼らは現在針の筵状態である女性……オリヴィア・グラウディスへにやついた視線を向けていた。
「貴殿は自分の与えられた役目を本当に理解しているのか?」
「勿論です」
「では申してみよ」
アレックスの試すような視線を受けながら、オリヴィアは一度だけ深呼吸し、告げる。
「国王陛下より賜った我が使命は、エルフリーデン王国に存在する他種族の監視、統制、必要であればその制圧でございます。これは王国騎士団第八分隊の任務内容にも該当しております」
「であればこの報告書には不備がある」
「……と、言いますと」
「分からんか? 貴様が今回、監視の任を与えられた吸血種の少女……その脅威判定の結果がどうして『問題なし』などとふざけた結論になる?」
バン、と円卓に叩きつけられた書類、その一番上にはオリヴィアが久方ぶりに友人と認めた少女の写真が貼りつけられていた。
「吸血鬼など亜人の中でも最も醜悪な種だ。人族の姿を模倣し、生き血を啜る悪魔の血族だぞ? 本来であれば、貴様の任務はこの怪物の抹殺でもおかしくなかった」
「はい。そのことは重々理解しております」
「では、なぜだ? なぜこのような結論に達した?」
「その少女が、ルナ・レストンだったからです」
自身よりはるかに地位の高い者達に囲まれながらも、オリヴィアは毅然とした態度で断言した。その態度が何よりも雄弁に自分は間違っていない、と語っていた。
「……説明になっていないぞ、オリヴィア・グラウディス」
「報告書をご覧になられたのであれば分かるはずです。彼女の持つ優れた精神性と類稀なる才能が。現状、彼女は王国に不利益を与える存在ではありません。彼女の正体を知りつつ、彼女を支える王国民がいることがその証拠であります」
「吸血鬼は視線を合わせるだけで他者を従属させられるという。それを証拠とするのはあまりにも危険だ。それとも、貴殿も既に吸血鬼の魔眼に当てられてしまったのではないかね」
「そのような魔術的干渉があれば私も、私の団員たちも異変に気付かぬはずはありませんし、そもそも白魔術による解呪は日課として毎朝私自身に行っております。私に限って言えばその可能性はゼロと言えるでしょう」
アレックスの嫌味をオリヴィアはひらりとやり過ごす。
枢密院の狙いは他種族の排斥にある。彼らはルナという異分子を王国から排除したくてしたくてたまらないのだ。古い思想に囚われた保守的な組織……それが現在の枢密院の実態だ。
「……田舎者風情が口答えとは、随分と偉くなったものだな」
今にも歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほど、不愉快そうな表情を浮かべるアレックス。
王国の最高権力とも言える彼らが強引な手段でルナを排斥出来ないのには理由があった。
「そもそも父上も父上だ。経過観察を推奨するなど、一体何を考えているのやら」
枢密院の役目は政府運営の取り仕切りであるが、実際の決定権は国王にある。故に枢密院は提案という形でしか行動することが出来ない。ルナの排除を目論み、上申した彼らだがそれが国王に認められることはなかった。
王が絶大な権力を持つ形であることは疑いようがない。だからこそ、王となる者には知恵、知識、教養、その他多くの経験が必要となる。時期国王であるアレックスが枢密院にいるのも、その勉強の為であった。
もっとも、現在彼の思想は国王よりも枢密院に近いものであったが。
「汚らわしい亜人が我が領土、それも内庭とも呼べるこの王都にいるというこの事実をどう納得しろというのか。今からでも遅くはない。暗殺でも誘拐でもなんでもいい。さっさとこの怪物をこの国から排除しろ」
傲岸不遜な態度で命令するアレックス。それもそのはず、この場で最も地位が高いのが彼である。否と言えるはずもない。
「お言葉ですが、殿下」
そう、たった一人を除いて。
「聞いただけの情報で全てを知った気になるのはいかがなものかと思われます。今回の件にしてもそうです。貴方はルナをただの吸血鬼としてしか見ていない」
「それの何が悪い」
「そのような考え方をしていれば、やがて愛すべき国民達すらもただの記号としか見えなくなってしまうでしょう。彼らは生きてそこにいる人間です。当然、人によって考え方も感じ方も違います。何も私は他人種の権利を守れと主張しているのではありません。私はルナ・レストンであれば問題はない、と申し上げているのです」
オリヴィアとアレックスの真っ向からの対立に、不穏な空気が匂い立つ。
「……一介の騎士に過ぎぬ貴様がよく吠えたものだな。この俺が国王になった時、貴様の立場が今と同じと思うなよ」
自分の考えを否定されたアレックスは怒りで顔を真っ赤にしながら、それでも精一杯の矜持から声を荒げることなくオリヴィアを追い詰める。こう言われてしまえばオリヴィアに打つ手はない。どれだけ主張しようとも、相手が聞く耳を持たぬのでは話にならないのだから。
オリヴィアが次の言葉を探していると、ふいに部屋の扉が開かれる。全員の視線が一斉に新たな入室者へと向けられる。そして、それを見た全員が疑問符を頭の上に浮かべたことだろう。どうしてお前がここにいるのか、と。
「ほっほっほ、随分と興味深い話をしとるのう。儂も混ぜてくれんかい」
蓄えた顎髭を撫でながらやってきたのはエルセウス魔導学園学園長、オスカー・グラハムその人であった。誰もが知る大魔導士、だがそんな人物がなぜ今、この場に現れたのかを知る者は本人を置いて一人もいなかった。
その場の人間を代表するように、アレックスが問いかける。
「オスカー・グラハム……今は学園の運営で忙しいのでなかったか?」
「年がら年中机に張り付いておかねばならぬほどの多忙ではないからのう。儂の友人の進退に関わる話が聞けると弟子に教えてもらったものじゃから、散歩ついでちょっと寄ってみたのよ」
まるで自分の部屋のような気楽さで歩くオスカーはオリヴィアの隣で足を止める。
「ほっほっほ、そんなに気を張るでない。言いたいことを言ったら儂はすぐに出ていくわい」
「……では、聞かせてもらおうか」
いきなり現れた訪問者に対し、誰も文句をつけることが出来なかった。それは彼がオスカー・グラハムであるから。伝説の魔術師の機嫌を損ねることは王国にとって不利益しか存在しない。そのことを理解しているオスカーは堂々とした口調で告げる。
「ルナをどうするか、お前さんたちがどのような結論を出したかは想像に難くない。その上で言わせてもらうが……ルナには干渉しない方がよいぞ」
「それは、どういう意味だ?」
「そのままの意味じゃよ。お前さんたちが儂の扱いにおっかなびっくりしているように、ルナの扱いにも慎重になった方がよい。そういう意味ではアレシウスの判断は間違っておらん」
国王の名を呼び捨てにするオスカーに一瞬、枢密院がざわつくがそんなことお構いなしとばかりにオスカーは続ける。
「ゆくゆくは王国の主戦力となる器か、それとも傾国の火種となるか、そういうレベルで議論するべき人材じゃと儂は思うぞ」
「随分と評価しているようですが、それを聞いて我々が黙って見過ごすと? むしろ、危険度が増しただけのように思われますが。今すぐにでも手を回したいと思うほどに」
「ほっほっほ、分かっておらんのう。感情で物事を判断するくせに、他人の感情にはまるで鈍感と来た。これでは民衆からの支持は得られんよ」
笑みを浮かべるオスカー。だが、その瞳の奥は全く笑っていなかった。
「儂はルナのことを友人だと評したはずじゃ。もしもお前さんらが独断で彼女の進退を決めようというのなら、儂も黙っておらんぞ」
「…………ッ」
そこで初めてアレックスは気付いた。この老人はただ意見を述べに来たのではない。「余計なことはするな」と、釘を刺しに来たのだ。
「なぜだ……なぜ、地位も名誉も、力だってある貴殿ら二人が揃いも揃ってただの小娘に肩入れする」
「ふむ……なぜと聞かれると案外答えに困るのう。強いて言うなら、彼女が特別だからかの」
「特別……?」
「別に生い立ちや能力の話をしておるのではないぞ。ルナ・レストンという人間の考え方、思想、それに対するスタンス。そう言ったものを儂は評価しておる。彼女がどんな種族であれ、儂はきっと気に入ったことじゃろうな」
語るグラハムの言葉に、思わずオリヴィアも頷いていた。唯一、意見の違う点があるとするならばオリヴィアはルナのことを特別だとは思っていなかった。オリヴィアは運命に翻弄されながらも、必死に自分の居場所を守ろうとする彼女がどこにでもいる普通の女の子にしか見えなかった。その行動力だけは男勝りと言われるオリヴィアからしても驚くものだったが。
「お前さんたちがルナを重要視するのは分かる。何しろ伝説の種族の末裔なのじゃからな。しかし……その心配は杞憂になるぞ」
「なぜ、そう言い切れる」
どれだけ言葉を重ねようとも、未だ納得できない様子のアレックス。
その問いに、オスカーは再び笑みと共に答えるのだった。
「ルナは良い子じゃよ」
そんな言葉で枢密院が納得するはずはない。だが、それでもそうとしか言うことが出来なかった。元より、自分達に枢密院の意志を曲げるような自由はない。だから今までの論争は全て言ってしまえば二人の我儘に過ぎない。
だが、それでも……我儘を押し通し、誰もが諦めてしまいそうな状況から幸せと呼べる未来をつかみ取った友人の姿を思い起こせば行動せずにはいられなかった。
「ま、儂が言いたいのはそれだけじゃよ。邪魔をしたのう」
来た時と同様に自由奔放に部屋を後にするオスカー。本当に散歩のついでに寄ったのかと疑いたくなるようなフットワークの軽さだった。
「……お前も下がって良いぞ、オリヴィア・グラウディス。今回の件はひとまず保留とする。貴殿に与える任務は追って連絡する」
「承知いたしました」
恭しく一礼し、オリヴィアも部屋を去る。
枢密院のメンバーだけとなった部屋で、老人の一人がアレックスに問いかける。
「よろしかったのですか?」
「最終的な決定は父上がするものだ。その父上が経過観察と言っているのだから、そうするよりほかにあるまい」
ふう、と長く息を吐きだしながら背もたれに体を預けるアレックス。
自らの思い通りにならない事態など、これまで数えるほどしか経験がなかった。
それもたった一人の亜人の進退をめぐってこれほど悩まされたことはない。
「……ルナ・レストン、か」
次の議題が上がるまでの暫くの間、吸血鬼の少女についてアレックスは物思いに耽るのであった。




