第307話 目標こそが人を前へと進ませる
「クレアお嬢様の……付き人だって?」
「はい。その通りです」
私の問いに、その少年は淡々と答える。
レイン・コートと名乗った見知らぬ少年。内気そうな外見をしているのに、その瞳だけは鋭く、冷たさすら感じるものだった。
だが……
「……どこの誰だか知らないけどさ、人の役職勝手に名乗らないでくれる?」
相手がたとえ魔王であったとしても、私は引くわけにはいかない。
「クレアお嬢様の付き人は私だ」
鋭い視線に対抗するように、私もまた毅然とした態度で応える。
……この姿だと威嚇にもならないかもしれないけど。
「なるほど。自分こそがクレアお嬢様の従者であると。そういうことですか」
「契約期間はまだ残ってる。私がそう名乗ることになにか問題でも?」
「問題大アリですよ。ルナ・レストン」
時間がかかると思ったのか、後ろ手に扉を閉めるレイン。
距離が近くなることで、その端正な顔立ちがよりあらわになる。中性的な印象を受ける目鼻立ちに、綺麗な藍色の髪。私の相棒を思い出すが、彼女のものより更に濃い。紺色と言ったほうが近いかもしれない。
「問題あり、ねぇ……男のくせにひょろっちい見た目してるアンタよりは役に立てると思うけど?」
私の安い挑発にレインはむっとした表情を浮かべる。
分かりやすい奴だな、こいつ。それに案外短気だ。
「貴方は自分の職務を放棄した。従者の身でありながら、クレアお嬢様を一人にしてしまった。その貴方が今更お嬢様に何の用です?」
「休暇の件なら説明済みだし、クレアお嬢様も納得している」
「それはお嬢様も休暇中だったからでしょう。ですが、すでに学園は再開されている。学園に通うとなれば、付き人をつける必要が出てくる。一言でいうと……」
そこで呼吸を止めたレインははっきりとした口調で告げる。
「──貴方は帰ってくるのが遅すぎた」
「…………」
確かに私は予定より随分と遅れて帰還している。
資金集めのために迷宮探索をしていたことが原因だ。
とはいえそれを説明したところで意味なんてないだろう。
もっと別のアプローチを考えるべきだ。
「……付き人をつけることは学園の規則ではなかったはずだよ」
「規則でなければお嬢様を一人にしても良いと? 現状でクレアお嬢様を一人で学園に通わせる事はできません。それぐらい貴方も分かっているでしょう?」
探りを入れるかのように言葉を濁して問いかけてくるレイン。
こいつ、この口ぶり……クレアの現状、純血派と新興貴族のいざこざを知っているのか?
だとすればこの男はグラハム家に関して、かなり深い位置まで知っていることになる。もしくは貴族界についてかなり詳しいかだが……どちらにしても、急場で用意された従者にしては知りすぎだ。
「……あんた、何者?」
「答える必要がありますか? それ」
そう言って様になる柔らかな笑みを浮かべるレイン。
ちっ……得意げな顔をしやがって。
「あなたとは話になりそうにない。クレアお嬢様に会わせて」
「それは出来ません」
「どうして」
「部外者をこの屋敷に入れるわけにはいきませんので」
部外者? 部外者だと?
この男、こともあろうにこの私を部外者と言ったのか?
「調子に乗るなよ、新人。なんの権限があってそんなことを……」
「雇い主の意向です」
「……は?」
雇い主の意向? つまり……クレアがそう言ったのか?
「ちょっと待って。そんなはずは……」
「お引き取りください。ルナ・レストン」
取り付く島もなく、繕う暇もなく、取り次ぐ隙もなく。
冷酷に冷徹にレイン・コートは淡々と告げる。
「ここに貴方の居場所はない」
私に対する、最大限の拒絶の意思を。
これは……ダメだな。暖簾に腕押しってやつだ。
「……分かった。今日のところは帰ってやる」
「何度来ても同じことですよ」
「また来る」
殴り合うように言葉を交わし、その場を後にする。
……くそっ。何も言い返せなかった。
今回の件、元を辿れば私が悪い。これほど長期の間、クレアの傍を離れていたのだから。
従者としてはどこからどう見ても失格。問題はこの状況をどう覆すかだけど……
「ルナさん」
苛立ち交じりに地面を蹴るように歩いて敷地を出たところで、一人の人物に呼び止められる。
「……クロエさん?」
それはクレアの屋敷で働くメイド長、クロエさんだった。
いつものメイド服ではなく私服のクロエさん。黒を基調としたアウターに、これまた黒のケープを着込んでいる。膨れた買い物用の革袋を持っているあたり、買い出しの帰りなのだろう。
こうして見るとクールな外見と相まって、家庭的な年上のお姉さんって感じの落ち着いた印象を受け……
「お久しぶりですルナさん。今日のパンツは何色ですか?」
……うん。ごめん。やっぱりなんでもなかったよ。
クロエさんは相変わらずクロエさんだった。
「今日はいい天気ですね、みたいなノリでセクハラしないでください」
「失礼。言い間違えました。正しくは、お嬢様に会うことはできましたか? と聞こうとしました」
「そんな間違え方あるぅ!?」
一文字もあってねぇ!
どうやったらお嬢様の話題がパンツの話題にすり替わるんだよ!
あんたの頭の中だとクレア=パンツなのか!?
「はあ……相変わらずですね、クロエさんは」
「ありがとうございます」
いや、褒めてないんだけど……相変わらずマイペースというか変わった人だ。
「……ところでクロエさんはこんなところで何をしているんですか? 私服ってことは休日なんでしょうけど、屋敷に戻らないんですか?」
「その質問にはたった一言で答えられます」
すっと佇まいを直したクロエさんはクールに告げる。
「私もクビになりました」
◇ ◇ ◇
「あーっ! ルナちんだ! ついに帰ってきたんだね!」
クロエさんと合流した私は、クレアの屋敷近くにあるとある宿舎に連れていかれていた。
共通のリビングにて、私の顔を見るなり「いえーい!」とハイタッチをしてくるこの女性は先輩メイドのアリッサさん。私も「うぇーい!」とハイタッチを返しつつ、懐かしいこの感じにほっこり。
「いやあ、もうルナちんがいなくなってから大変だったんだからね? いきなり訳のわからない執事がやってくるわ、解雇されるわで」
「……びっくりしました。まさかほとんど全員解雇されているなんて」
クロエさんの話では、クレアに仕えていたメイドはたった一人を除いて全員解雇されてしまったらしい。職と住む場所を失った皆はひとまず、身を寄せ合ってこの宿舎に泊まっているのだとか。
「新しくやってきたレインとかいうのが恐ろしく有能でさ。炊事、掃除、洗濯なんでもござれって感じなのよ。最初は仕事減ってラッキーとか思ってたんだけど、『仕事のなくなったメイドに価値はありません』とか言ってさ。いきなりズバッ! だよ」
親指で、すっ、と首元を横に切って見せるアリッサさん。
「それを決めたのはレインなんですか? でも一介の従者にそんな権限なんて……」
「レインは本家からやってきた執事です」
私の疑問に、ここまで私を案内してくれたクロエさんが答える。
「本家、つまりはクレアお嬢様のお父上とお母上の指示で来たのでしょう。そうでなければあんな男をお嬢様が付き人にするはずがありません」
「本家の従者……リチャードとかと同じってこと?」
「あれ? ルナちん、リチャードのこと知ってるの?」
「ルナさんの実技試験の相手がリチャードでした。ちなみに5分を待たずにリチャードが負けました」
「うぇっ!?」
クロエさんの言葉に、飲んでいたハーブティーを鼻から吹き出すアリッサ。
「げほっ、ごほっ! ……あのリチャードに勝つってマジ? うわー、えっぐ……ルナちん、それはえぐすぎるよ」
「えっと……あの人、そんなに有名人だったのですか?」
「グラハム家の従者で知らない人はいないよ! 昔は王族の近衛兵とかやってたくらいのごりごりのエリート兵士なんだから! 実際、本家での実戦組手じゃたった一人で他の従者全員をのしちゃったって話だよ?」
へぇ、つまりリチャードは一人でグラハム家の兵力の半分以上を担っている凄腕だったのか。
まあ、噂には尾ひれがつくものだし信憑性があるかどうかは怪しいけど。
「ルナさんが優秀な魔術師であることは疑いようがありません。だからこそ、お嬢様の傍にはルナさんにいてほしいのです」
ちらり、とわざとらしく私に視線を向けてくるクロエさん。
いや、私だってできることならそうしたいよ?
「……あ、本家から来たってことはもしかしてレインの直接の雇い主ってクレアの両親ってこと?」
「そうなりますね」
なるほど。となるとレインの言っていた言葉の意味も少し変わってくる。
てっきりクレアが雇い主かと思ってたからね。よかったよかった。
いや、状況はなにひとつよくないけども。
「どうやったら屋敷に戻れますかね?」
「アタシだって戻れるなら戻りたいよぉ」
「レインさんがいる以上、難しいでしょうね。決定権は向こうにありますから」
「クレアの両親が許さないってことですか? でも、私たちのお給料ってクレアお嬢様がギルド運営で得た資金で賄っていましたよね? 口出しされるようなことではないと思うんですが?」
私が素直な疑問を口にすると、「あー……それはねぇ……」とアリッサさんが視線を逸らしながら口を濁した。
なんだ? 何か言いにくいことでもあるのか?
「……クレアお嬢様はご両親とうまくいっていないのです」
「うまくいっていない?」
「ま、一言でいえば仲が悪いって感じ?」
上司であるクロエさんが口火を切ったことで、アリッサさんも話し始める。
「もともとギルド運営を始めたのだって独り立ちしたいからって聞いてるしねぇ」
「…………」
うすうす感じてはいた。
クレアは家族に関する話題をほとんどしない。祖父であるグラハムさんに関することぐらいだ。両親に関して、私は名前すら聞いたことがない。私がその話題を持ち出しても、うまくかわされていた。
だから良好な関係ではないのだろうと想像はしていたけど……
「……難しいですね」
「はい。難しい問題です。一介のメイドが口出しできる領域ではありません」
重苦しくなる空気、そんな中、「ですが……」とクロエさんが言葉を続ける。
「何としてでもお嬢様の元に帰ります。それだけは絶対です」
固い意志を感じさせる口調。私達の誰も、それを否定することはなかった。




