第305話 反省出来る人が成長できる人
旅の間、私はずっと日中に寝るようにしていた。
これは吸血鬼としての習性、というわけでもないのだが昼間は行動に制限のかかる私では特に出来ることがないのだ。
イーサンやアンナは率先して食料探しに出てくれているが、太陽の光を避ける必要がある私にはそれも難しい。
だから、私がそれに気づけたのは本当に偶然だった。
「ん……?」
周囲の物音に起きると、荷物のぎっちり詰まった袋を肩に担ぐウィスパーの姿が映った。周囲に他の人の姿はない。恐らく日中の食料調達に出かけているのだろう。
ウィスパーもそのくちかと思ったが、そのはずもない。
それなら袋は空であるはずだ。
「どこ行くの?」
私が聞くと、ウィスパーはびくっと体を震わせてこちらを見て、バツの悪そうな表情を浮かべた。
この顔……何か企んでるな?
「あー、まあ、なんだ。俺たちの役目はもう終わったからな。つまりはそういうことだ」
「寡黙なのはウィスパーの美点だけど、それはいくら何でも説明不足に過ぎるんじゃない? ホルンの街でも私たちに相談しなかったから……」
「そ、その話は今関係ないだろ」
指先で頬を掻くウィスパーは参ったと言わんばかりの顔だ。
確かに終わった話を蒸し返すのは意地が悪かったかもね。
「で? どこに行くつもりなの?」
「行く場所に見当は付けてない。これは本当だ」
口下手なウィスパーは嘘をつくのも上手ではない。
言い方からしてもこれは本当のことだろう。
「どういうこと?」
「……俺たちはこの馬車を降りる」
私の問いに、ウィスパーは少しの間を開けて答える。
降りる、というのは物理的な意味の話ではないだろう。
「……王都の近くで暮らすんじゃダメなの?」
「それは一年前にも話したことだろう」
またもや一言足りないウィスパーの言葉だが……長く共に暮らした私には分かる。分かってしまう。
ウィスパーは過去の記憶を失っている。
そして、その記憶の鍵を探す旅をしているのだ。
彼の旅を止めることは即ち、彼自身の喪失を延長させることに等しい。
それぞれに進むべき道があり、それが分かたれているのなら選択肢は一つだ。
私にもまた、やらなければならないことが残っている。
学園に残してきたお嬢様……クレア・グラハムとの契約が。
純血派との小競り合いも、キーラを味方につけたとはいえ、いつ暴発するとも分からない。少なくともクレアが卒業するまでは守ってあげなければならない。
だから……
「……分かった」
私はそれ以上、引き留めることはしなかった。
「そんな顔をするな。これが今生の別れというわけでもなし」
「そうだね。確かに。そうかも」
前向きなのが私の数少ない取り柄の一つだと思っていたけど……ダメだな。やっぱり。彼女が絡むとどうにも感情の抑制が間に合わない。
「んんっ、まあ、俺との別れが惜しいという気持ちも分かる。俺だって……」
「ねえ、リンはどこにいるの? ウィスパーが行くってことはリンもそうなんだよね? さっきも俺たちって言ってたし」
「……いや、まあ。良いんだ。うん。分かってた」
何かを悟ったような表情をしたウィスパーは、荷物の入った袋を担ぎ直し、
「……リンはこのまま黙って別れることを望んでいる」
「え? ……えっ!?」
思わず腰が浮く。それほどに驚きだった。
「いや、だって、そんな……な、なんで?」
「合わせる顔がない、そうだ。俺にはその気持ちがよく分かる。だから……さよならだ。またいつか会おう、ルナ」
ウィスパーはそう言うと、何の躊躇いもなくぴょんと荷馬車から飛び降りる。
取り付く島もない。というか……え? マジで?
「ま、待ってよ!」
慌てて立ち上がた私は、ウィスパーの背を追おうとして……
「あぐっ……!」
今が日中だというのに、フードも被らず荷馬車から体を乗り出してしまった。
体を突き刺すような痛みに、思わず唸る。転落防止の小さな塀に足先をぶつけ、転がるように車外に飛び出してしまう。そうなると今度は全身に痛みが襲ってきた。全身が火傷しているかのような、そんな痛みだ。
というかこれ……なんか、前より酷くなってないか?
昔はステータスの減少から始まって、身動きできるなくなるほど症状が悪化するにはもう少し時間がかかっていたような気がするのだが……
「ルナっ!」
慌てて戻ってきたウィスパーがその大きなコートで私の体を覆ってくれる。
そのまま日陰に誘導してもらうと……ふう、痛みも一気に引いたよ。
「ありがとう、ウィスパー」
「良いんだ。それより痛みはまだあるか? 少し待ってろ、軟膏がポーチに入ってたはずだ」
「いや、大丈夫。もう痛みもないから」
さっきとは一転、過保護なウィスパーに思わず苦笑してしまう。
そして……
「……ルナっ」
遠くから駆け寄って来る小さな影。
私に密着する距離まで近づいた彼女は私の体を恐る恐るの手つきで触り、異常がないかを確認してくれる。主に肌が露出している部位を、最後に私の両頬を挟むように手を添えると互いの目が合った。
「……リン」
すっ、とリンの両手を頬から離しながら呼びかける。
私にとって誰より大切な、仲間の名前を。
「どうして黙って出て行こうとしたの?」
「…………」
リンはその藍色の瞳を伏せ、小さく呟いた。
消えてしまいそうな声で、「ごめん」と。
「……私はルナの役に立てなかった」
「え? いや、そんなことないよ。リンには何回も助けられてる」
私は本心からそう言うが、リンはふるふると首を横に振った。
「私はメイに勝てなかった」
重々しく、そして悔し気にリンはそう言った。
「ルナの役に立ちたかった。ルナが戦わなくていいようにしようって、そう思ってた。でも……結局、ルナに戦わせてしまった」
彼女の耳が、尻尾が、体が、小さく震えている。
「私は……ルナの剣にはなれなかった」
私の方を見ずに、そう告げるリン。彼女が悔しがっているのはよく分かった。後悔していることも。
だけど……
「リン」
私はさっき自分がそうやられたように、リンの両頬に手を添え、
「──私がいつ剣になってくれと頼んだ」
強引に私の方を向かせながら、いつになく強い口調でそう諭した。
「私はそんなこと望んでいない。確かに私はリンに戦力として期待していた。でもそれは、私の代わりって意味じゃない。私と一緒に戦ってくれる仲間としてリンに協力を求めたんだ」
目元を紅くしたリンが私の方を見て、きょとんとした顔を浮かべる。
どうやらまだ意味が理解できていないらしい。まったく、仕方がない。
「リンは前に言ってくれたよね。一緒に戦おうって。あの迷宮の中で、最強の怪物を前に。あれね、本当に嬉しかったんだ。ずっと独りだって思ってた私にも仲間がいたんだって、そう思えた」
リンが「……あ」と小さく声を漏らす。
どうやら思い出してくれたらしい。
私たちが初めて共に戦ったあの日のことを。
「私はリンのことを剣だなんて思ってない。もちろん、奴隷とも思ってない。リンは私の仲間だ。誰よりも信用できる相棒なんだ。だから……役に立てなかった、なんて他人行儀なことは言わないでくれよ」
じわり、とその瞳に涙が集まる。
リンの瞳にではない。私の瞳に、だ。
私はリンが使えないから、なんて理由で見捨てるような人間ではない。
そして、そんな人間だと思われていたことが何よりも悲しかった。
「ち、違うっ、私は、そんなつもりじゃ……」
「だったらさ、ちゃんとしよう。他人行儀な挨拶じゃなくて、もっと大切な約束として」
私の言葉の意図を正しく察したらしいリンが、こくこくと頷く。
必死になってるリンも可愛いな。いつもクールなリンには珍しいものも見れたし、今回のことはこれで水に流すとしよう。
「また……」
いつかまた。
「……また会おうね、ルナ」
再開の約束と共に。




