第301話 内に潜む狂気
不思議な感覚だった。
自分自身の肉体を俯瞰して観察しているかのような感覚。自らの意思ではなく、体が自動的に動く感覚。例えるならば傀儡子に操られる人形のような気分、だろうか?
「……良い気分だ」
口から声が漏れる。
だが、それも私の意図したものではなかった。
「ぐっ……貴様。その手を……っ!」
「喚くな、劣等種族」
いつの間にか掴んでいたキースの右手。振りほどこうともがく相手に、私は軽くステップを刻み、
「どれ、少し遊んでやろう」
キースの巨体を上空へ放り投げた。
100キロを優に超えているだろうキースの巨体は軽々と山なりの軌道で空中に舞い上がる。
「そういえば貴様、自慢げに我を研究してきたと言っていたな。底の浅い見識だ。出来損ないを幾ら量産したところで、意味などないと言うに」
私は切り飛ばされた左手で服を掴み、砕かれた右手をキースに向ける。
「──本物を見せてやる」
キースの顔が驚愕に歪む。空中に放り出されたキースの眼前に無数の蝙蝠が羽ばたいていたからだ。彼らは鋭い牙でキースの全身に齧り付く。
「ぐっ……この……ッ!」
体中にびっしりと覆いかぶさられたキースは全身に魔力を纏わせると……
「吹き荒れろ──『暴風』ッッッ!!」
自身を中心とした暴風域を展開した。
吹き荒れる疾風はまさしく台風が如き荒々しさをもって、蝙蝠群を引き剥がす。中々優秀な魔術だ。移動・転移を司る風系統の魔術師。つまりは風使い。それが奴の強さの根幹か。しかし……
「所詮は児戯よ」
「────ッ!」
変身スキルで接近してからの踵落とし。
キースの体は地面に向けて一直線に落下する。
そして……ビンッ! と空中でその体が突然静止する。
「が、な……っ!」
キースはそこでようやく気付いたことだろう。
自らの左腕に絡まる『影糸』に。
「蝙蝠の一部を魔力に変換した。喰い付かれた時点で貴様に逃げ場などない」
先ほどの暴風もこの糸を利用して凌いだ。私の体重が軽かったせいか、自らを基点に繋がれた糸に気付けなかったらしい。鈍感な男だ。
「先ほどとは逆だな。貴様は上手く抜けられるか?」
自然と口元に笑みが漏れる。
全身変身時に取り残されないように服を掴んでいた左手をぐい、とこちら側に引っ張る。すると『影糸』に捕らわれていたキースの体は重力に反して、飛び上がるようにこちらに向かってきた。
そこに私が合わせるのは右の手刀。
先ほどの意趣返しという訳でもないが……
「逝くが良い」
私は死に逝く男に、まったく同じ台詞を送るのだった。
「…………ッ」
左腕を引っ張り上げられたキースは苦悶の表情を浮かべていた。
自らに迫る死にようやく気付いたのだろう。キースは右手を自らの左腕に添えると……
「ぐっ……おおおおおおおおおおおおおおおッ!」
獣のような雄叫びを上げると、自らの左腕を切断した。
拘束から逃れたキースは重力に従い落下し、ドゴッ! と派手な音を立てて地面に激突する。近くに着地した私は『影糸』の先に絡まる太い左腕を見る。
「……なるほど、どうやら判断力と決断力には優れているらしいな」
本音を言うと、かなり驚いた。
一線を退いて久しいであろう大ギルドのボスがこうも易々と自らの腕を捨てることが出来るとは。どうやら奴には私と同じ、目的の為、全てを犠牲にする覚悟があるらしい。
そして、それは恐らく私益な内容ではない。
自分しか愛していない人間は、自分を切り捨てる事は出来ないからだ。
「俄然貴様に興味が沸いたぞ」
久しく逢えていなかった強者の香りがする。
それも肉体的な力だけではない。こいつは魂も強い。
……と、思ったのだが。
「ぐっ……う、うう……ひぐぅ……お、俺の……俺の腕がぁぁぁあぁっ……」
キースは自ら切り落とした左腕を見て、顔を悲痛に歪ませていた。
「……高貴なる魂も世俗に塗れ、汚れ堕つ。身の程を超えた財を手に入れたばかりに失う恐怖を覚えたか」
心に覚えた感情は落胆。
こいつとなら楽しい殺し合いが出来ると思ったのだが……
「憐れなものよ。空虚に身を窶せば、恐怖もなかろうに」
こやつもまた、他の凡夫と並ぶ塵芥だったということか。
やはり、我の心を癒すのは……
「──ぐっ……がッ……!」
思考が逸れた一瞬、頭の中に酷い頭痛が走った。
針に突き刺されたような鋭い痛みだ。意識が剥離され、体が遠のく感覚を必死に耐える。
「はあ……はあ……はあ……」
ゆっくり、ゆっくりと意識がはっきりしてくる。
歪む視界が正常に戻り、思考がクリアになっていく。
「今の……私は、一体……」
自らの左手を見る。幻覚ではない。斬り飛ばされたはずの左手がそこにあった。一瞬に思えたキースとの攻防。何を話していたのか、何をしていたのか、その記憶が曖昧だった。
「ぐっ……う、うああぁぁ……」
はっきりしているのは、キースが追い込まれ、私は全回復しているということ。
追い込まれた私の吸血鬼の本能がこれをやったのか?
どうにも違和感が強い。夢を見ていたかのような気分だ。
起きたらすぐに忘れてしまう類の夢。だけど、夢だろうと何だろうと今は良い。
今は……
「……このチャンスを逃さない」
敵がこれほど隙を晒しているのだ。
殺す。明確な殺意を持って、殺すのだ。
「ぐっ……この、化け物がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
駆け寄った私にキースが半狂乱になって、残された一本の腕を振り回す。
「お前のようなガキがっ! 俺の、俺達のっ! これまでを! これからを! 邪魔するなッ! 死に晒せぇぇぇぇぇぇぇッ!」
最早文脈も何もない。
ただただ感情を撒き散らすだけの獣となってキースは私に攻撃をしかけてくる。感情を乱せば魔力も乱れる。魔術師ならば、常に冷静であれ。
(師匠の教えをこんなところで実感することになるとはね)
私は殺意を心に沈め、静かな呼吸を繰り返す。
「──『影法師』」
どろりと伸びた影を右腕に纏わせる。
今の私にはキースの動き、その全てがはっきりと見えていた。
「正直なところさ、私は別にアンタを憎んでいる訳じゃないんだ」
振るわれた拳を軽く左に寄って避ける。
「ただ、それが必要なことだからそうするってだけの話でね」
右の回し蹴りをバックステップでかわす。
「そういう意味で、私とアンタは何も変わらない。だから……」
距離を詰め、眼前に迫った私にキースが懇願の声を上げる。
「お、俺が悪か……」
「謝るな」
キースの言葉を遮る。
どんな言葉にも意味なんてない。特にそれが命乞いともなれば尚更だ。
「謝る必要なんてない。自分の為に他人を犠牲にする。この世界に生きる人間なら誰もがやってる当たり前のことをアンタはやっただけだ。だから謝るな」
腰を抜かし、地面を這うキースに向けて、私は……
「──私もアンタに謝らない」
鋭く、右手を振り下ろし……
──キースの首が、鮮やかな色彩と共に宙を舞った。




