第300話 魂の邂逅
「あああああああああああっ!!」
吸血鬼の腕力で振るわれた拳はお父様の体をトラックに轢かれたかのように吹き飛ばし、建物の内壁へと叩き付ける。そこから蜘蛛の巣状のひびが広がり、お父様はぐったりと頭を垂れる。
「はあ……はあ……」
手応え──ありだ。
流石のお父様でも吸血鬼の一撃を受けて無事に済むはずがない。
というか……
「……あ、あれ」
お父様、し、死んでない、よね?
ぴくりとも動かないけど気絶してるだけだよね!?
「あ、あわわわ……」
ま、まずは容態を確認して……
「……驚いたな」
お父様に駆け寄ろうとした私に、声がかけられる。
……ああ、そういえばまだこいつがいたんだったね。
「ダレンは俺が知る中でも最強の剣士だった。それがお前のようなガキに敗北するとは……」
戦闘に参加するつもりが最初からなかったのだろう。
瓦礫の山に腰掛けるキースは自らの額を手で覆うと……
「くくく、ははははははっ」
抑えきれないと言った様子で笑い始めた。
「素晴らしい力だ! 予想以上だぞ! 吸血鬼! それでこそ研究してきた甲斐があるというものだっ!」
両手を広げ、高らかに笑い上げるキース。
なんだ……こいつ。さっきと明らかに様子が違う。
「そういえば……アンタには聞きたい事が一つあったんだった」
「くくく、死に往くお前が何を問う」
歪んだ笑みを浮かべるキースは立ち上がり、こちらに向けて歩き始める。
天井に空いた穴から月明かりがキースの姿を照らす。
自身に満ち溢れた立ち姿だ。隆起した筋肉と2メートルに近い体格。
溢れ出る強者のオーラとも言うべきか、この男……間違いなくお父様より強い。
「……ぐっ!」
激痛が左腕に走る。見れば先ほどお父様に斬り飛ばされた部分からだらだらと血が流れ落ちていた。
「今までの傷が癒えていないところを見るに、お前は吸血鬼としてまだ不完全なのだろうな。それでもその力量。本気のお前を見てみたいところではあるが……それはまた別の個体で試すとしよう」
影法師を展開した私は傷口をコーティングすることで即席の包帯と代える。
お父様との激戦で負ったダメージは深い。
そんな私にこいつと連戦して勝利することが出来るか?
「では、行くぞ」
キースは真剣な表情に切り替えると、弾丸のような速度でこちらに向けて駆け寄ってきた。
「なっ……!」
お父様の踏み込みより早い。
というより人間に出せる速度を完全に超えている!
「さきほどお前が見せたのは闇系統の纏魔だな? まだまだ稚拙な技だが、その年齢を考慮すれば十分な腕といえるだろう。だが……まだ浅い」
私の眼前にやってきたキースはその丸太のような右足で回し蹴りを放つ。
私の失った左腕、そちらを集中攻撃するつもりだな。右の掌底で威力を相殺して……
──ドゴオオオォォォォォッ!
「が……は……っ」
気付けば私は先ほどのお父様と同じように、壁に激突していた。
右手の先から感覚がない。どうやら骨が砕けてしまったらしい。
猛烈な熱量が体を支配する。まるで焼き鏝でも押し付けられているみたいだ。
「ぐ……う、あ……」
意識が朦朧とする。
これは……流石に……もう……
「自身の敗北が見えたか?」
「……きー、す……」
「恥じることはない。お前は精一杯やった。しかし……そこがお前の限界だ」
「 」
私はその言葉を否定しようとした。
しかし、口から出てきたのはヒューヒューという空しい呼吸だけだった。
私は力を込め立ち上がろうとした。
しかし、私の体は私の意思に反してぴくりとも動いてはくれなかった。
まるで電池の切れたロボットのように。
「そのまま生きていても苦しいだけだろう」
私のすぐ隣にキースが立つ。その右手に魔力が集まっていくのが見えた。
「これは慈悲だ。この地獄のような世界から貴様を救ってやる」
そして、その右手が振り下ろされ……
「逝くが良い」
──私の意識は塵と消えた。
◇ ◇ ◇
気付けば私は真っ黒な空間にいた。
体はなく、意識だけが宙を漂う感覚。
もしかしてこれが死後の世界というやつだろうか?
一回目はこんなんじゃなかったけどな。今では懐かしい。あのポンコツ女神は今でも元気にやっているのだろうか? 一発殴りに行けるのなら死ぬのも悪くない……なんて……
──そんな訳がない。
結局私は何一つ救えていない。
私の為に自ら奴隷となったお父様。
私を信じて送り出してくれた皆。
私に尽くしてくれた仲間達。
私は何一つ救えていない、報えていない。
だから……私はこんなところで死ぬ訳には……
「悔いているのだな」
ふいに優しい女の子の声が聞こえた。
その方向に目を向けると、紅の薔薇が一面に咲き誇っていた。
まるで血のように赤い紅。それらの中央にはこれまた真っ赤なカーペットにも似た道が出来上がっており、その先に大きな玉座のようなものが鎮座していた。
「貴様の魂が我に伝えてくる。敗北の苦渋を教えてくる」
そして、その玉座にソレはいた。
まるで影で出来たかのように真っ黒な人物像。周囲の背景よりもなお暗い黒色。
顔も形も曖昧ではあったが、確実に、何かがそこにいた。
「貴様は死に恐怖しているのか?」
ソレはどこか聞き覚えのある声で私に問いかける。
ソレが何者なのか、どういった存在なのか。それは分からなかったが、その問いに対する答えは決まっていた。
──恐怖などない。
一度は死んだこの身だ。今更、肉体の破滅など恐れるものではない。
「なるほど。恐怖はないか。それならば何故死を忌避する? 恐怖でなければその感情は何だと言うのだ?」
声はまるで私の内心を見透かしたかのように告げる。
なぜ死を忌避するのか……その答えもまた、私はすでに見つけている。
私にとっての死は肉体的な死を意味しない。私にとっての死は魂の死だ。生まれ変わったこの身で、性別すらも狂ってしまったこの体で、唯一自分自身だと言い張れるのはこの魂しか残っていない。
そして、今、私は自分自身に課した誓いを破ろうとしている。
必ず助けてみせると誓ったのに、こうして無様にも散ろうとしている。
それが私にはどうしても許せなかった。
「誰かのために戦う、か。口では言えてもそれを実践できるものは少ないだろう。それも自らの命を賭けてとなればなおのこと」
影は玉座の上で両足を組み、手すりに頬杖を付き、こちらを見る。
「……面白い魂に育ったものだな、■■■■」
値踏みするかのような印象を声から受ける。最後になんと言ったのか、うまく聞き取ることは出来なかったが……こいつ、一体何者だ?
「我が何者かなど今は重要ではない。重要なのは貴様に資格があるかどうかだ」
資格? 一体何の話をしているんだ?
「我とは相反する魂だが……それもまた一興か」
影が姿勢を戻すと、私の意識が引っ張られるような感覚に襲われる。
視点が変わり、眼前に影が来る。身動きできない私はまるで金縛りにでもあったかのように、ただただ影の声を聞くことしかできなかった。
「王者の資質は魂に現れる。貴様の願いも、祈りも、望みも、全て関係ない。まあ、今はまだ及第点と言ったところだろう」
立ち上がった影がこちらに向け、手を伸ばす。
その指先からぱりぱりとシールが剥がれるかのように素肌が露になって行くのが見えた。指先から腕、肩、首、そして……顔へ。
「これはあくまで褒美だ。束の間の刹那に我を楽しませた道化へのな。故に次はない。大切な人を守りたいと、貴様が今後も望むなら──強くなれ。ルナ・レストン。それが唯一この世界に反逆する術なのだ」
露になったそいつの顔、そこにあったのは……
いつも鏡で見続けた私自身の顔だった。
◇ ◇ ◇
右手を振り下ろしたキースは勝利を確信していた。
これまで積み上げてきた勝利と同じように、また一つ勝利を重ねたのだと。
だが……
「な……っ!」
振り下ろした右手を掴まれた瞬間に、そんな余裕は消し飛んだ。
「貴様、まだ動けて……」
言いかけて、言葉に窮する。
目の前で横たわるルナ・レストンの様子が明らかに異常だったからだ。ゆらゆらと揺れる体がゆっくりと起き上がる。流れる白銀の髪の隙間から覗いた瞳は……
──怪しげな紅色の光を放っていた。




