第298話 慣れないことはするもんじゃない
私はこれまでに多くの敵と戦ってきた。
時には山賊と、時には怪物と、時には魔術師と。
しかし、剣士というジャンルの敵と戦ったことは数えるほどしかない。特に命を賭けた真剣勝負となると、その経験は皆無と言って良い。だから……
「くっ……!」
卓越した技能を持つ剣士であるお父様に苦戦を強いられるのは当然と言える結果だ。
お父様の振るう剣閃。その軌道が掴み切れない。
(くそっ……『吸血』スキルを起動させる隙がない……ッ)
事態はすでにノーマルモードの私の力で何とかなる領域を超えている。
チャンスがあれば『吸血』スキルを発動させたいのだが……その隙がない。
こんなことなら先に血を吸っておくべきだったのだろうが……ノア達と交わした「二度と血を吸わない」という約束が私の決断を鈍らせた。結局のところ甘かったんだ。このままノーマルモードの私でもなんとかなると、そう思っていた。
(とはいえ、今は後悔をしてる暇さえない)
踏み込む寸前に切り込まれた斬撃をバックステップで交わしつつ思考する。
幸いにも単純な脚力で言えば私の方が勝っているらしく、一気に距離を詰められ切り捨てられる、という展開にはなっていない。とはいえ……
(まずはあの剣の間合いを何とかしないと話にならないな)
まだ私はお父様に一撃すら入れられていない。
バックステップを続けて距離を取った私は右手に魔力を収束。
「影法師──『影槍』」
射程5メートルのアドバンテージを生かした攻撃を仕掛ける。が、
──キィィィンッ!
お父様の剣先が槍の軌道をずらす。右に逸れた槍はそのまま虚空を貫き、霧散する。移動速度では私が上かもしれない。だが、お父様の反応速度もまた尋常ではなかった。
(離れてからの攻撃は完全に見切られてる。かといって距離を詰めるのは愚策。そこはお父様の独壇場だ)
近距離でダメ、遠距離でダメ。
となると残された手段は唯一つ。
「影法師──『影糸』」
槍の形から細くうねる無数の糸をイメージ。
そのままその糸を空中に広く展開する。
「『影糸・影舞踏』」
射程ぎりぎりまで伸ばした糸で即席の結界を作り上げる。
このフィールドなら長物は使いづらい。お父様の反応速度を超えるぎりぎりの中距離戦。それが私の狙いだった。しかし……
「《循環する理よ・寄る辺に従い・在るべきを正せ──》」
お父様の口から詠唱が漏れ聞こえる。
それは私が以前にも聞いたことのある音の並びだった。
「──【レジリエンス】」
故に私はその一撃を避けることが出来た。
白色の光を纏った剣閃。
それは私の作り出した影糸を難なく切り裂き、道を作り出す。
「避、けろ……ルナっ……!」
私の眼前に飛び出すお父様。苦しげな声音はお父様が奴隷紋の拘束に必死に抗っている証拠なのだろう。しかし、人の意思で振り切れるほど呪いの効果は甘くない。
返す刀で斬り返される逆袈裟切り。
私はこれを直感的に避けきれないと感じていた。
だから……
「なっ……!?」
避けるのではなく、前に出ることでその攻撃の最も速度が乗る瞬間を回避する。
「あっ、うっ……!」
しかし、それは攻撃そのものに対する防衛手段ではない。
腹部にめり込む刃の冷たさを感じる。このままでは内臓が深刻なダメージを食らうだろう。だが、そうならないための一手はすでに打っている。
お父様の剣を食らう瞬間に差し出した左手。
その拳はすでにお父様の腹部を正面から捉えていた。
「発ッ……勁……っ!」
ゼロ距離から放たれる衝撃波はお父様を吹き飛ばす。
私が狙っていたのは相打ち覚悟のカウンター。肉を斬らせて骨を絶つってのが理想だったけど……
「ぐ……あぁ……ッ」
痛い。痛い、痛い、痛い!
立っている事すら困難な激痛に私はその場に蹲る。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
見ればだらだらと血が溢れるように脇腹からこぼれ出していた。
すぐにでも治療しなければ命に関わる傷に見える。致命傷だ。
しかし……
「まさかあの程度の攻撃で気を失った訳もあるまい。さっさと起きろ、ダレン」
キースの命令でお父様が立ち上がる。額から血が滲んでおり、足も微かに震えている。確かにダメージを与えることはできたが……私の決死の一撃は骨を断つには至らなかったらしい。
「はあ……はあ……くそっ!」
痛みのせいか、今までに溜め込んでいた疲労が一気に溢れてくる。
立ち上がることすら今の私には果てしない苦行に思えて仕方ない。出来るならばこのまま倒れこんでしまいたい。そんな衝動に駆られる。
「……キース。お願いだ」
そんな私を見かねたお父様が、隣に立つキースに向けて語りかける。
「見逃してやってくれ……頼む」
それは私が初めて見るお父様の懇願する姿だった。
「これ以上はもう無理だ……許してくれ、キース。俺にはルナを殺せない」
泣きそうな顔でキースを見るお父様。そんなお父様に、キースは……
「は?」
呆れとも失望とも取れる表情でお父様を見て、
「おいおい。おいおいおいおい。殺せないだと? まさかとは思うがダレン、貴様今、殺せないと言ったのか?」
すぐさまその表情を怒気によって染め上げた。
細められた視線は真っ直ぐにお父様を睨みつけており、歪んだ口元からは小馬鹿にしたような声が漏れ始める。
「まさか、ダレンともあろう奴がそんな訳ないよな? お前が、俺達が、今までに殺してきた人間のことを思えば、そんな軟弱な台詞が吐けるわけがないよな?」
「……キース、俺は……」
「今更善人ぶるなよ、裏切り者が。喜びも幸せも俺たちには不釣合いなものだ。今までもそうだったし、これからもそうだ。今更日の当たるところに出て幸せになろうだなんて甘ぇんだよ。忘れてんなら思い出せ。てめぇの両手はもうとっくの昔に汚れ切ってる。俺たちは幸せになってはならない。そうだろ」
「…………」
キースの言葉にお父様は俯く。
二人の話を聞いていた私はその内容のほとんどが理解できなかった。
私はこの二人の過去に何があったのかを知らない。その点において私は部外者だ。だけど……
「……幸せになってはならない、だって?」
その言葉だけは、聞き逃すことなんて到底出来なかった。
「ぐっ……!」
足に力を込め、立ち上がろうとする。それだけで体力が根こそぎ奪われるかのような倦怠感に包まれる。
「どうやらお前の娘も死にたがっているらしいぞ。あの傷で立ち上がるなんぞ、自殺行為だ。引導はお前自身の手で渡してやれ。それがせめてもの情けというものだろう」
すでにキースの中ではこの戦闘は終わったものらしい。
確かに私のダメージは限界だ。立ち上がったところでお父様とキース。この二人を倒す算段が立っている訳でもない。
「お前が、私の限界を……決めるなよ」
無駄な足掻きなのかもしれない。
「勝手に見定めて、勝手に決め付けて……勝手に人の人生を計るな」
勘違いも甚だしい、ガキの戯言でしかないのかもしれない。
「お前は王様なんかじゃない」
だけど、それでも……
「お前に他人を縛る権利なんてない」
──私はこの男を否定する。
──私自身の存在を賭けて。
「人はいつだって、誰だって……幸せになる権利を持っているッ!」
立ち上がった私は宣言する。この街の支配者に向けて。明確な宣戦布告を。
「あの傷で立ち上がっただと? ……っ! お前、その傷は……っ」
はっと何かに気付いた様子のキース。その視線は私の傷口に注がれていた。
「魔術の便利なとこだよね。基礎さえ出来てればいくらでも応用できる」
しゅる……と、私の指先から影糸が垂れる。
こいつが暢気にお話してくれてたおかげで時間が出来た。
激痛に耐える時間が。
「まさか……自分で傷口を縫ったというのか? 麻酔もなしに、今の一瞬で」
「ようやく余裕の表情が崩れたね、帝王さん」
常に魔力で補強する必要があるが……ひとまずの応急手当は出来た。
「アンタの過去に何があったのかなんて私は知らない。だけどね、どんな過去があろうともそれは他人を縛り付けて良い理由にはならない」
右手を引き、左手を開手にして構える。
「籠の中の鳥じゃあるまいし。人が人を隷属させるなんて間違ってる。人は誰だって自由であるべきだ。幸せになるべきなんだ」
現代日本で生きてきた私の意見はこの世界においてズレている価値観なのかもしれない。しかし、この生き方だけは変えられない。いくら見た目が変わっても、名前が変わっても、性別が変わっても、この魂だけは曲げる訳には行かないのだ。
「行くぞ、帝王。私の大切な人を返してもらう」
それだけが唯一、それこそが私だと言い張れるものだから。




