第284話 仁義と忠誠の剣士
「オリヴィア、さん……?」
私とリンの前に現れたその人物に、思わず私はぽかんと間抜けな表情を浮かべていたと思う。だけど、それほどに意外だったのだ。この場にオリヴィアさんがいることが。私達を助ける為に動いてくれたことが。
「そんなに意外か、ルナ?」
私の内心を見抜いたのか、オリヴィアさんは苦笑を浮かべていた。
「確かに私は私情で動くことを禁止されている。王国の剣として、それに相応しい行動を取る必要がある。そのせいで迷宮へは同行できなかったが……今回ばかりは事情が違う」
しゃっ、と剣を振り毅然とした構えを見せるオリヴィアさん。
夕日の中で佇むその姿はさながら勝利の女神、フランスの英雄ジャンヌ・ダルクのようだった。
「『太陽の園』は明らかに違法な奴隷運用をしている。この事実を知った以上、奴らをこのまま野放しにはしておけん」
「オリヴィアさん……」
……正直に言おう。
私はこれまでオリヴィアさんのことがちょっぴり苦手だった。迷宮攻略についてきてくれなかった時も、理不尽だと分かっていても「どうしてついてきてくれないのだろう」と身勝手な不満を抱いてしまっていた。
勝手に冷たい人だと、そう思っていた。
だけど……そうではなかった。彼女はただ自分の中の信念に従って生きていただけなのだ。こうして私の味方になってくれたオリヴィアさんに対し、今の私が思うのはただ一つ。
(オリヴィアさん、かっけぇぇぇぇぇぇっ!!)
やばい! オリヴィアさんが格好良すぎる! まさしく騎士の中の騎士! イーサンが憧れるだけのことはある!
私が女だったら惚れていたね! いや、女だけど!
「これまた厄介な奴が出てきたもんだな」
私がオリヴィアさんに惚れてまうやろー! していると、ようやく到着したらしいサドラーがオリヴィアさんを見て、そう呟いていた。
「ちょっと、遅いわよ」
「お前らの速度に人間がついていけるわけないだろう。無理言うな。それより気をつけろ。アイツはオリヴィア・グラウディス。腕っ節だけで騎士団の分隊長まで上り詰めた女だ」
「へえ、詳しいのね」
「俺達みたいな日陰ものにとって厄介な人間は全員マークしてる。あいつはその一人だ。気をつけろよ。奴はその中でも特に厄介なタイプだ」
ネネの愚痴を軽く受け流し、油断無くこちらに視線を向けてくるサドラー。どうやらオリヴィアさんのことは知られてしまっているらしい。
「でも結局はただの人間でしょう? 私達に勝てるわけないわ。それこそ一個中隊に匹敵する人員がいれば話はまた違うのでしょうけど」
確かに人間と吸血鬼のスペックの差はそれだけで勝負を決してしまうほどに開けている。ネネの指摘は尤もだ。だが、そんなネネの言葉を聞いてオリヴィアさんは、
「ルナ、ここは私に任せて先に行け」
不遜な態度で、たった一人で戦うことを宣言する。
「え……いや、私も戦いますよ。流石にあの三人を相手にしたらいくらオリヴィアさんでも……」
「お前の目的はここで足止めを食らうことなのか? 違うだろ。目的を見失うな、ルナ」
私の言葉をばっさりと切り捨てるオリヴィアさん。
確かに私は一刻も早くお父様を見つけ出す必要がある。だけど、幾らなんでもこの場をオリヴィアさん一人に任せるのは……
「心配そうな顔をするな。ここは私一人で問題ない」
「……任せて、良いんですか?」
「ああ」
たった一言。
だけど、その声音に気負いも緊張も含まれてはいなかった。
オリヴィアさんが大丈夫と言うのなら……きっと大丈夫なのだろう。
「分かりました。ここは任せます」
「ああ、ダレンのことは頼む。あの馬鹿には言いたいことが山ほどあるからな」
そう言って剣を構え直すオリヴィアさんはどことなく不満げだった。お父様と彼女の関係がどんなものだったのか、私は詳しく知っているわけではないけれど、どことなく含むものがあるような気がした。
もしかしたらオリヴィアさんは……
「さっきから勝手なことばかり言ってるが……俺達がルナを黙って見逃すとでも思っているのか? オリヴィア・グラウディス? それは幾らなんでも傲慢にすぎるだろう」
「ならばさっさと捕まえに来ればいい。わざわざ呼びかけてから動くとは随分と余裕だな。それとも……私の剣の間合いに入るのがそんなに怖いのか?」
「…………」
「ふん。そこでそうして機を伺っている時点でお前達の底は知れている。確かに戦闘能力自体は高いのかもしれない。だが、私から見ればお前達は未熟すぎる」
リンと共にその戦場を去る寸前、私は見た。
「さっさと来い。私はすでに剣を抜いているぞ?」
不敵な笑みを浮かべるオリヴィアさんに迫る二つの影を。
それはそれぞれに剣を構えるネネとノノの姿だった。
吸血モードに入った二人の身体能力はまさしく怪物というに相応しい。人間が追いつけるような速度ではない……はずだった。
「なるほど、速いな……だが、それだけだ」
超接近したノノに合わせるかのように距離を詰めるオリヴィアさん。突き出される『葬剣』に対し、オリヴィアさんは僅かに身を捻る。たったそれだけ。
「戦い方が素人だな、吸血鬼。それではこれから攻撃しますよと言っているようなものだ。剣筋も素直すぎる。そんな剣捌きでは一生、私に攻撃を当てることは出来んぞ」
「この……っ!」
再び振るわれる『葬剣』。
それに対しオリヴィアさんは体捌きだけで回避していく。
受けたら終わりの破壊の剣。一撃必殺のその攻撃への対処法は唯一つ。
受けることが出来ないのならば、最初から受けなければいい。
それこそが『葬剣』に対するシンプルにして絶対の対処方法だ。
とはいえ……
(あの距離の攻防を吸血鬼相手に挑むのか……っ!?)
それを可能にするには吸血鬼の身体能力に対抗できるだけのものを備えていなければならない。少なくとも人間には不可能としか思えない。だが、その超人じみた動きをオリヴィアさんは成し遂げている。
「どうして……剣が、当たらないの……」
ノノも私と同じく、その光景が信じられない様子だった。
「……どうやら貴様はこれまで吸血鬼としての基礎能力だけで戦ってきたようだな。それで戦えていたことが幸か不幸かは知らんが、私相手にそんな雑な考え方は捨てたほうが良い」
困惑する私達を脇に、オリヴィアさんは更に反応速度を上げていく。
交わし、逸らし、賺す。ノノの振るう『葬剣』はただの一度もオリヴィアさんに届くことはない。
「私は今日まで剣を振るい続けてきたのだぞ? 剣戟で私が素人に負けるわけがないだろうが」
「…………ッ!」
そして……ついに、オリヴィアさんの反撃が始まった。
「乾坤一擲──百花蝶ッ!」
傍から見ればただの突き。言ってしまえば人間の域を出ない反撃だったが……
「うっ……!」
ノノはその突きをかわすことさえ出来ず、肩口から赤い飛沫を散らしていた。
不思議なほどあっさり決まったその攻撃に、ノノがよろめく中、オリヴィアさんは更に距離を詰めて追撃へと入る。
「ノノっ!」
相方の窮地を察したネネはその長い髪から神速の斬撃を飛ばす。
「連携が甘いな。戦い慣れていないのが見て取れるぞ」
だが、それもオリヴィアさんはあっさりと剣で弾いてしまう。
魔法剣と呼ばれるイーサンも使っていた剣に魔力を通す技だ。これにより、本来物質として質量を持たない魔力にも、剣で触れることが出来る。
「……ルナ、行こう」
「リン?」
「……心配はいらない。あの人、強い」
「…………」
どうやらリンにはバレバレだったらしい。
私がまだこの場を離れることを躊躇っていることが。
だけど……うん。あの様子を見る限り、オリヴィアさんにも勝機がないわけではないらしい。というよりむしろ押しているようにすら見える。
ならば……
「行こうか、リン」
私は私の役目を果たすとしよう。
「お父様を……取り返すんだ」




