第281話 二振りの剣
私の前に立ち塞がるサドラー。
彼の初動にはまるで迷いがなく、洗練されたものだった。
「──起動」
彼が右手を振るうと、それに合わせて周囲の地面は蠢き、私を押し戻すかのように隆起した。
(っ……設置型の魔法陣っ! すでに罠を作ってやがったのかっ!?)
地震のような揺れの中、空中に放り出される私。
そんな私に対して、サドラーを次の手に打って出た。
腰に吊るしていた試験管のようなものを取り出すと、中に入っていた液体を空中に撒き散らすサドラー、そして……
「奔れ──『飛弾』ッ!」
短い詠唱と共に、魔術を起動した。
空中に舞った液体は魔力を帯び、鈍色の弾丸となって私に襲い掛かる。
「っ……『月影』ッ!」
咄嗟に私は魔力を右手に集中。
巨大な腕の形に形成した影法師で、その弾丸全てを受け止める。
だが……
「……墜ちて、ルナ」
「────っ」
耳元に聞こえた声。
振り向くと、そこには手の届く距離に曲剣を構えるノノの姿があった。
そして……
──ドゴオオォォォォッ!
私のガードごと押しつぶすノノの一撃により、私は激しく地面へと激突させられた。圧倒的な破壊力。超密度の『月影』ですら受けきれないとなると……ノノの攻撃を防ぐ術は、今の私にはない。
「が……はっ……」
駄目だ。
ネネもノノも、下手したらサドラーすらも私より強い。
一対一ですら見えなかった勝機がどうして三対一で見えるというのか。
(こうなったら何とかして吸血モードに……いや、その隙すら与えて貰えるわけがない)
だとしたら……私に残された手はただ一つ。
「サドラーっ! 話を聞いてくれ!」
何とかしてこの三人を説得するしかない。
「私はすでに太陽の園と敵対してる! 前に言ってくれた取引にも今なら応じることが出来る! 私達の目的は同じになったんだ! だから……」
「……すまない、ルナ」
私の必死の叫びを、サドラーは短く遮った。
「もう遅いんだ。命令が下ってしまった。そうなる前に何とかしたかったのだが……」
「今ならまだ間に合うっ! ネネとノノ、二人を止めてくれ! 主人であるお前になら出来るだろうっ!」
「それは出来ない」
「どうしてっ!?」
ここまで頑なに私の助力を拒むサドラー。
その真意が私には分からなかった。
「…………」
無言のサドラーはゆっくりとマントをずらし、上着を緩める。
何をしているのか分からなかった私に、サドラーはそれを見せてきた。
「……なっ!?」
「お前ならこれがどういう意味を持つのか。分かるな?」
晒されたサドラーの肌。
その心臓部にそれはあった。
「奴隷紋……だって? そんなまさか、お前、それじゃあ……」
信じられない思いでサドラーの顔を見つめる。
沈痛な面持ちのサドラーの表情に、それが嘘ではないことを私は悟った。
「お前は……お前も、奴隷だったのか……」
「ああ」
私の問いに、サドラーは小さく首を縦に振った。
「太陽の園は数多くの奴隷を囲っている。この街の現状を一言で言うなら『奴隷大国』だ。だが、囲う奴隷の数が多くなれば多くなるほどその維持は困難となっていく。だからこそ、奴らは奴隷に奴隷を使役させる方法を用いた」
冷めた瞳で私を見るサドラー。
そこにはかつて見た、強い意思のようなものは宿っていなかった。
「最小限の資源で最大の効果を。管理方法としては理想に近いだろうな」
「アンタは……一体、いつから……」
「最初から、さ。全てはこの街の王、キースの目論見通り。奴らはこの街を王国から独立した一つの国にするつもりなのさ。恐らく吸血鬼も国家に必要な軍事力の一つに過ぎない」
「…………」
最初から、だって?
私はこいつが奴隷を管理するのが自分の仕事、なんて言っていたからてっきり……
「俺もお前と協力できることならしてやりたい。だが、お前の動きを察知したキースから直々に命令が下った。ルナ・レストンとその一行を捕らえろとな」
「っ!? わ、私だけじゃないのかっ!?」
「ああ。どうやらお前の動きは最初からマークされていたらしい。ダレン・レストンの娘とあれば、それも当然のことなのかもしれないがな」
「…………っ!」
甘かった。
騒ぎを起こしたとしても今夜の内に街を出れば大丈夫だろう、なんて計算が甘すぎたんだ。やつらはすでに動き出している。
私が予想していたよりもずっと早く。
「くそっ!」
「どこに行くつもりだ、ルナ?」
「決まってるっ! 今すぐ皆のところに……っ」
宿の方向に向け、走り出す。
その瞬間のことだった。
「させないわよ」
ヒュンッ! と、軽い音が響き私の足元に横一文字の亀裂が走る。
見ればポニーテールに魔力を纏わせたネネが私の往く手を阻んでいた。
「くっ……!」
背後に視線をやれば、そこにはサドラー。
残された横の抜け道もノノによって塞がれている。
私に退路など存在しなかった。
「そこをどけッ!」
「出来ない相談だ」
叫ぶ私に向け、サドラーが告げる。
「──『飛弾』」
どこまでも冷酷に、どこまでも無慈悲に。
「ネネ! ノノ! ルナを影に入れさせるな! 太陽の光で弱らせるんだっ!」
サドラーの声が周囲に響く。
こいつ……全力で私を捕らえにきてやがるっ!
(だけど、一つだけ分かったぞ。こいつらに私を殺す気はない!)
だったら、道はある!
「そこをどけぇぇぇぇぇっ!」
私はノノに狙いを定め、全力で駆け抜ける。
普段から自己主張が薄く、今までの戦闘でもどこか一歩引いていたノノ。
ここが一番突破しやすいと見たからだ。
しかし……
「それは最も愚かな選択ね、ルナ」
ネネの言葉と同時に、ぞわり……と背筋に悪寒が走る。
それは私の目の前、ノノの掲げる曲剣に魔力が集まるのが見えたからだ。
それはどこまでも黒く、暗い漆黒。
全てを飲み込むかのようなどす黒い刀身に、魔力の煌きが迸る。
「死を運べ──『葬剣』」
そして、その光が瞬いた時、
私は右手に掲げた『月影』ごと、一瞬にして私の体はその『崩壊』に巻き込まれるのだった。
「ぐっ、が、あああああッ!?」
衝撃波と言うにも生温い。それはまるで嵐のようだった。
体中を揉みくちゃにされながら、私は瓦礫と共に洪水のような流れに飲み込まれていく。
私の防御はたった一振りで切り飛ばされた。
まるで障子紙を突き破るかのようにあっさりと。
「ぐ、あ……」
「闇系統の単一魔法──『影魔法』。その能力自体は高いわ。でも、それは吸血鬼としてはただの基礎能力に過ぎない。私達はすでにその上にいる。まだ、第一段階にいるルナに勝ち目なんて最初から存在しないのよ」
痛みに呻く私の頭上に、ネネとノノ。二人の冷徹な声が降りかかる。
「闇系統プラス水系統。斬るという情報を空間に乗せた、複合魔法」
「……闇系統と火系統。物体を強制的に塵へと変換する複合魔法」
私の視界に写るのは共に漆黒の剣。
だが、その色合いは僅かに違って見えた。
「広範囲攻撃を可能とした神速の剣。それが……」
「全てを断ち切る滅びの剣。それが……」
私の持つ単一魔法の更に上、それこそが彼女達の持つ……
「──『奏剣』」
「……『葬剣』」
二振りの剣。その真髄だったのだ。




