第278話 クアトル逃亡戦
きっと私は心のどこかで迷っていたのだと思う。
私達はお父様の帰還を心から願っている。だが、お父様にとって私達は重荷に過ぎなかったのではないかと。
その妄想を振り払うことは難しい。お父様は寡黙な人だし、その本心を知ることは実質的に不可能だからだ。
だが、こうして真実を知った。
他人からお父様の行動の意味を考えることが出来た。
ならばもう迷うことはない。私は私の信じるもののために行動することが出来る。
「あー、すっきりした」
私の眼前で殴り飛ばされたアステロ。それほど強く殴ったつもりはなかったが、白目を剥いて失神してしまっていた。根性のない男だ。まあ、お山の大将気取りでぺらぺら悪行自慢するような程度の男。こんなもんなのだろう。
「ひっ捕らえろ!」
私が気分良くしていると、男の怒号が酒場に響き渡った。
「絶対に逃がすな! あいつら全員だ!」
「うげ」
そういえばこいつらがいた。アステロの取り巻き。お山の大将がぶん殴られればそりゃ怒る。
「逃げるよ!」
私は仲間達に号令を飛ばし、酒場から飛び出した。
しかし、逃げるのは良いけど私のこの傘はかなり目立つな……
「二手に分かれよう! オリヴィアさん達は宿の方に!」
なら逆に私が陽動を引き受けるとしよう。実際に手を出したのは私だし、良い囮になることだろう。
「イーサン、お前はルナにつけ」
「了解だ!」
一人で行こうとした私の隣にイーサンが並ぶ。一人の方が気楽ではあるけれども……仕方ない。
「白い子、どっちに行く?」
「任せるよ。ついてく」
恐らく素の身体能力なら私の方が上だ。イーサンに出来て私に出来ない動きはないだろう。ということでイーサンの背中を追う形で追跡者達から逃げるのだが……
「イーサン、待って!」
「どうした!?」
「あんた速すぎ! これだとアンナ達の方に集まっちゃう!」
タタンッ、と軽やかな跳躍と共に屋上へ、そのまま隣の建物に飛び移って裏路地に着地。コンマ数秒のラグすらおかずに走り出したイーサンに私はストップをかける。
「こっちだ! こっちにいるぞ!」
裏路地の向こう側からこちらを指差す男の姿が見える。
陽動として動くなら、もっと着かず離れずの距離をキープする必要がある。
「イーサン、応戦できる?」
「今は一本しか持って来てないんだが……まあ、何とかなるだろ」
旅の途中や迷宮攻略時には三本の剣を持ち歩いていたイーサン。だが、今日はこんな展開になると思っていなかったのだろう。いつもより軽装備だった。
「ここでやろう。丁度良い感じに光もないし」
持っていた傘を閉じつつ、イーサンに語りかける。
「わかった。それなら俺が前に出る。白い子は援護に回ってくれ」
「え……自信ないんだけど」
イーサンとは長い付き合いだが、一緒に動きを合わせたことはほとんどない。
二人とも近距離型のファイターだし、互いの動きが互いの邪魔にもなりかねない。
「なら俺が全部やる。白い子は下がってろ」
そう言って剣を鞘ごと手に持ち、駆け寄ってくる男達に向け走り出すイーサン。
「……ふっ!」
先頭にいた男の腹部を鞘尻で突く。蹲った男の両サイドから他の男達が飛び出してきたが、それに対してもイーサンは冷静に対処していた。
ナイフを持った男には抜き放った剣を、拳で殴りかかってくる男には鞘を振りそれぞれの攻撃を同時にいなす。狭い路地だ、一度に向かってこられる人間には限界がある。
どうやらイーサンは防御に徹することで、男達の動きを堰き止めるつもりらしい。脳筋の癖になかなか戦略的だ。しかし……
「うおっ!?」
いかんせん相手の数が多すぎる。陽動としての役割は果たしているが、これをイーサン一人に任せるのは流石に酷だ。
「イーサン!」
叫び、影法師を展開。
影糸を階段状に編み上げた私の意図を汲んだのだろう、イーサンが高く跳躍する。
「上だ! 上に逃げやがった!」
眼下から男達の怒号が聞こえる。階段も近くにはなかった。屋上までやってくるにはまだまだ時間がかかるだろう。
「白い子、これからどうする?」
「私はお父様を助けに行く。あんな話を聞いた後だしね。強引にでも連れて帰るよ」
イーサンの問いに傘を広げながら答える。
まだ太陽が落ちるには時間がかかるだろう。それまでは大きく動くことは出来ないが……
「イーサンは皆と合流して王都に帰る準備を進めてて。私も後で合流するから。場所と時間は……そうだね、この街に入ったときと同じ経路上に明日の日の出までってことで」
「それは構わないが……」
周囲を警戒する中、ちらりとこちらに視線を送るイーサン。
「白い子、お前は一人で行くつもりかよ」
「これは私が始めたことだからね。けじめは私がつけるよ」
「……分かった」
何か言いたげな様子だったが、今は議論している時間もない。
「ここまでありがとね、イーサン」
感謝の言葉を残し、私は一人歩き出す。
全てはそう……太陽の園に囚われている父親を救うために。




