第277話 宣戦布告
テゾーロに促された私はその酒場に向かうことにした。
一体、どういう意図があって私をこの場に誘ったのかは分からない。だが、お父様を救う方法が一つしかないと言われては従うしかないだろう。なんだか釈然としないけどね。
「なんだ? 随分騒がしいな」
店の前までやってきたところで、騒ぎ立てる男達の声が耳に届いた。
営業中らしい店内と騒がしい声。まさか昼間から飲酒か? 良い御身分だことで。
ゆっくりと扉を開けると、中で騒いでいた男達はこちらに一瞥も向けることなく大声で話をしていた。その視線は部屋の中央、一人だけ席に座った男に向けられている。
(あの男は確か……)
私も一度だけ会ったことがある。
確か名前はアステロと言ったか。太陽の園の幹部の一人と思われる人物だ。
前に道端で出会ったときは馴れ馴れしい視線を向けてきた相手。印象で言えばテゾーロ以上に悪かったりする。私にとってアステロはそんな評価の相手だったのだが……
「ん~? お前、確か……」
アステロの視線がばっちりと私を捉える。
「ルナ・レストンだ! そうだな? そうだろ!」
アステロが私に向けて手を上げると、周囲の男達の視線が一斉にこちら向けられる。誰も彼もがまるでボディビルダーかよと言いたくなる様な体格の男達ばかりだった。
「綺麗な女ですな。タイナー様のコレですかい?」
「ははっ、まさか。あいつはテゾーロさんのお気に入りだからな。どんなに欲しくても手は出せねえよ」
一人の男の問いに笑って答えるアステロ。
男の示した親指と人差し指で円を作るジェスチャーの意味は分からなかったけれど、なんだか嫌な感じだな。
「あの、私達はテゾーロさんに言われてここに来たんですけど」
「ん? テゾーロの旦那に? 一体何の用事で?」
「私の父親、ダレン・レストンの借金の代替の件で、です」
「ん~? ……ああ、なるほど。そゆことね。おい、お前ら」
私の言葉にアステロは何かを理解したらしい。周囲の男達に向け、片手を横に振りどかせるともう片方の手でくいくいと私達を呼び寄せる。
「まあ、座ってくれ。ゆっくり話そうじゃねえか。そっちのお仲間さんも一緒にな」
「……失礼します」
軽く頭を下げて椅子に座る。アステロとはテーブルを挟んで反対側だ。
正面から向かい合うと、アステロはにやにやと何やら含みのある笑みを浮かべ始める。
「どうかしました?」
「ああ、いや。丁度さっきお前達の話をしていたところでな」
騒々しかった店内から一転、嫌な空気の中私達の会話は続いて行く。
「私達のこと?」
「正確にはお前の父親、つまりダレン・レストンのことについてなんだけどな」
「貴方はお父様の知り合いなのですか?」
「ん? ああ、いや。そういうわけじゃない。俺は領主の息子……簡単にいやこの街の地主みたいな立場にあるんだが、そういう事情もあって色々と情報が入ってくるのさ」
近くを通りかかったウェイターを呼びとめ、「何か頼むか?」とこちらに訪ねてくるアステロ。私達は全員、丁重に断った。
「……んで、お前の父親の話はなかなか興味深かったんでな。こうして酒の肴に話してたってわけだ」
「具体的にどんな話を?」
「はは、それをお前に言うのは流石に具合が悪いだろうぜ。けどまあ……良いか。それが知りたいってことなんだろう?」
相変わらずにやにやと意地の悪い笑みを浮かべているアステロ。
なんだ……この感じ。周囲の男達からも嫌な雰囲気を感じる。こちらを見下しているような、馬鹿にしているようなそんな雰囲気。
「お姉様……」
アンナもその空気を感じているのか、ぎゅっと私の袖を掴んでくる。
安心させるように小さく頷き、私はアステロの言葉の続きを待った。
「お前の父親は元々冒険者だったらしいな。それは知ってるか?」
「ええ。聞いたことがあります」
「冒険者を辞めた理由も?」
「確かお母様と一緒に暮らすために……だったはずです」
それはティナから直接聞いたことがある。私大好き人間のティナだが、それと同じかそれ以上にあの人はお父様のことが大好きなのだ。私がまだ赤ん坊の頃、飽きるほど彼女ののろけ話を聞かされた覚えがある。
向こうからしたら独り言のようなものだったのだろうけど、あの時から自我のあった私からすればちょっとした拷問のようなものだった。もしかしたら私のお父様への尊敬もあの時の洗脳によって出来たものかもしれないね。
「ああ、だが冒険者なんて仕事をしていた男に貯金なんかあるわけもない。冒険者家業から足を洗うのも簡単なものじゃなかっただろう。田舎でとはいえ、一つの店を出す資金はどこから調達したと思う?」
「…………」
そうか。そういうことか。
お父様が借金を抱えていた理由。それは単純なことだったんだ。
「それで『太陽の園』からお金を……」
「ああ、いや。そうじゃない」
「え?」
納得しかけた私にアステロは水を差す。
「キースの旦那とお前の父親は顔馴染みだった。借金よりもっと良い条件を与えてくれたらしいぜ。その内容に関しては……どうやらその顔を見るに知ってるみたいだな」
「…………」
アステロの口にした条件。それについて私は心当たりがあった。
(間違いない……吸血鬼化だ。お父様は私を吸血鬼にすることを条件に『太陽の園』と契約していたんだ)
太陽の園のギルド、その地下にある研究施設を思い出す。
仮説にはなるが、お父様は吸血鬼化の実験の為に私を太陽の園に売った。それ自体は成功したのだが、肝心の私の『納品』の際に予想外の出費が出た。その補填を行うためにお父様はここで働いている。それが私の認識しているお父様の現状だ。
しかし……
「笑っちまうのはその先だ。どうやらお前の父親はお前を逃がすつもりだったらしい。俺達相手に馬鹿をしたもんだぜ。当然、貸した金の担保をそのまま逃がすわけもねえ。お前が捕まった後、お前の父親はどうしたと思う? キースの旦那に泣きついたんだよ。俺はどうなっても良いから、娘は解放してやってくれ。ってなァ」
「…………え?」
娘を解放してやってくれ? それをお父様が?
「その場で奴隷にされたお前の父親は借りた金とその利子のために『鉱山行き』。馬鹿な男さ。自分が騙されてるとも知らずによぉ」
「騙されてるって……貴方達、まさかっ!」
私の言葉に、アステロはにやりと口元を歪める。
「ああ、そうさ。ダレンと旦那の間で交わされた約束は反故にされたのさ。だが、それも当然のことだろう? なにせ先に約束を破ったのはそっちなんだからなァ。金の絡む契約でそれはいけねえ。むしろその程度の罰で済んだことを感謝するべきだろうぜ」
楽しげに語るアステロに嘘は感じられない。
(私が師匠のところに送られたのはお父様がそうするように言ったからだ。あれがもしも私を安全な場所に逃がすための処置だったのだとしたら……)
一つずつ、点と点が繋がっていく。
(王都にいた頃、私は一度誘拐されかけている。あれも『太陽の園』の連中が手引きしたのだとすれば、納得がいく)
不思議には思っていたのだ。あの場所にいたのは私とアリス。人攫いにしてもどうして男はアリスではなく、私を狙ったのか? その理由もこれなら辻褄が合う。
(お父様がこの土地を離れなかった理由。お父様は離れなかったんじゃない。離れられなかったんだ。こいつらの手で奴隷にされて、身動きが出来なかったんだ。私を遠ざけようとしたのも……私を守るためだ)
宿屋で再開したお父様。きっとお父様は私が真実を知ったとき、どうするかを分かっていた。
分かっていたから、遠ざけた。私を巻き込まないように。
「…………ッ!」
一体どれほどの覚悟だったのだろう。
奴隷の身分に落ちてまで救った娘に嘘をつく。
恨まれる可能性も考えていたはずだ。いや、むしろお父様の反応を思い返せば、そうなることを予想しているみたいだった。私の為に、あえてお父様は恨まれ役を買って出たのだ。
愛する人に恨まれる覚悟。
私には到底出来そうにない。
だが、私のこの予想が合っているのだとしたら……
「……間違ってなかった」
「あん?」
「私の信じたお父様は……間違ってなかった」
お父様は私を売ってなんかいなかった。お父様は私を裏切ってなんかいなかった。そのことが分かって、私の心中には安堵の気持ちが広がっていた。だが、
「おい。今の話はどういうことだ」
アステロの言葉に対し、凄みのある声を発するオリヴィアさん。
「ダレンは自身の自由と引き換えにルナの解放を要求したのだろう? ならばルナは奴隷になどなるはずではなかった。今の話を総合するに、お前達は略取誘拐罪ならびに傷害罪、加えて奴隷法に違反している」
「はは、それは王都での法律か? 詳しいねえ。けどそれ、ここでは意味がないぜ? ここの法は俺たちタイナー家が作ってる」
「国内にありながら国法と関係ないなんて道理は通らない」
「法律を作るのは統治者、つまり領主だ。人口も面積も環境も風習も違うそれぞれの土地が全く同じルールで運用できるはずがないだろう?」
「それは領主が領民を虐げていい理由にはならない。しかもルナはこの土地に住む者ではないのだぞ。お前達に彼女の人生を自由にして良い権利などない」
怒気を滲ませたまま、ついには腰の剣に手をかけるオリヴィアさん。
緊張した空気が一瞬にして酒場に満ちる。
「おいおい。この街で俺に手を出すってのか? 俺は領主の息子だぞ?」
「そんなものは関係ない。罪には罰を。それが私の役目だ」
私の視力でも捉えることの出来なかったオリヴィアさんの剣閃。それはすでにアステロを射程内に捉えていることだろう。それに気付かないアステロの暢気なこと。
だが、オリヴィアさんの剣が血に濡れることはなかった。
周囲の空気が揺れ、アステロの前に一人の人影が現れる。それは渾身の力で腕を振りぬき……
「……は?」
──ドガシャァァッッ!
と、派手な音と共に周囲のテーブルごとアステロの体を殴り飛ばしていた。
「ようやく理解したよ。何があったのか。何がお父様を傷つけていたのか。教えてくれてありがとう。アステロ。これで私は……」
アステロを殴り飛ばした私は自分でも分かるほどすっきりとした表情で高らかに宣言する。
「何の憂いもなく、お前達をぶちのめせる!」
太陽の園に向けた、宣戦布告を。




