第266話 大事なものは人それぞれ
少しだけネネとの関係を修復できたかな、と。そう思ったその時だった。
「少し席を外すわね」
ネネがそう言って立ち上がる。残された私とノノはお互いに顔を見つめあうのだが……
「…………」
無言のノノは私を睨むばかりで一向に話しかけようとはしてこない。まあ、それも当然と言えば当然だけどね。先に喧嘩をしかけたのはこちらだ。ノノからすれば私は危険人物として映っているのだろう。
「…………」
「…………」
そして口下手な私がうまい弁解をほいほい思いつくはずもなく、部屋にはきまずい沈黙が舞い降りた。まるで針の筵にいるかのようだ。長い長い十数秒を経てようやくその沈黙は崩れた。
「……ノノはあの人を守りたいのです」
ゆっくりと語り始めるノノによって。
「あの人って、サドラーのこと?」
私の問いにノノはこくりと頷き返す。
「……あの人はノノを人間として扱ってくれるのです。ネネ以外では初めてだったのです。だからノノはあの人を守りたいのです」
どこかぎこちない口調で語るノノはちらりと私を上目遣いで見つめ、
「だから……ごめんなさいなのです」
「……え?」
その小さな頭をぺこりと下げ、謝罪してきたのだった。
「ちょ、ちょっと待って。謝るのは私の方だよ。私が先に手を出したんだから」
「……それでもノノがルナを殺そうとしたことに代わりはないのです」
「…………」
こ、殺そうとした?
そ、そっか。そこまでの決意だったのか。へ、へえ。
「……ノノにとって大切なのはネネとあの人だけなのです。それ以外の人はどうでも良いのです。だけどそれでは駄目だとネネは言うのです」
なるほど。確かにネネは広い世界に興味を持っているようだった。
社交的な性格のネネと内向的な性格のノノ。双子だけど性格まで一緒というわけでもないらしい。私としてはネネの考え方に賛成したいところだけど……
「私はそれでも良いと思うけどね」
「……え?」
「ノノは大切な人を守りたかっただけなんでしょ? だったら謝る必要も正す必要もないよ」
私はノノの考え方も否定したくなかった。
人間関係にはどうしたって優先順位が付きまとう。あの人よりこの人。そういう風に私達は自分の中で他人をランク付けしている。ノノの考え方は確かに視野が狭いのかもしれないけれど本人にとってそれだけ彼女たちが大切だという証明でもある。
「他人の意見に流される必要なんてない。ノノはノノの思うようにやれば良いよ。それがきっと後悔しない生き方だと思うから」
私自身、自分勝手に生きてきた自覚がある。
誰かを守るためこの手を血で汚したことだってある。
だからノノの生き方を否定することは私には出来ない。
「とはいえ私も殺されたくはないけどね」
最後にそう付け加え笑いかけるとノノはその長い前髪の間からちらりと私を盗み見て、
「……そう言ってもらえたのは初めてなのです」
僅かに頬を染めそう呟くのだった。
何か言葉を探すように開かれては閉じるノノの口元。そこから言葉がこぼれる、その前に……
「帰ったぞ」
開かれる扉の音と共に低い男の声が聞こえてきた。
そちらに視線を向けるとそこには予想通りの男が立っていた。
「ん、来てたのか」
サドラーは私を見ると意外そうにその目を軽く見開いていた。
「お邪魔してるよ」
「ああ。何もない部屋だがゆっくりしていけ」
私がいると言うのに無防備にもこちらに背中を向け濡れた服を片付け始めるサドラー。こいつには緊張感というものがないのだろうか? 昨日殺されかけたばかりだというのに。
「……ああそうだ。ルナ、お前の父親のことなんだが少しだけ情報を集めてきたぞ」
「え?」
「何だ? 要らなかったか?」
「いや、欲しかった情報だけど……どうして?」
なんだ? 私は昨日サドラーとは手を組めないとはっきり断ったはず。
私にはサドラーが何を思ってそんなことを言い出したのか判断がつかなかった。
「俺も太陽の園の人間だからな。同僚の話を聞くのは手間でもなんでもない。どういう事情があるかまでは分からなかったがお前の父親の状況なら聞いてきた」
タオルで髪を乾かしながら語るサドラー。何でもないように言ってるが私にとっては超重要事項だぞ、それ。
「……聞きたいか?」
「…………」
聞きたい。それは喉から手が出るほどに欲しい情報だ。
だけどその対価として求められるものも私にとっては重過ぎる。
どうしたものかと思案に暮れていると、
「そんな怖い顔をするなよ。冗談だ」
サドラーは小さく笑い、
「お前の父親はどうやら太陽の園に借金をしているらしい。その支払いの為に近くの鉱山で働いているようだな」
すらすらとその情報を口にする。
私がずっと求めていたその情報を。
「それ、本当なの?」
「嘘を言っても仕方ないだろ」
確かにサドラーが私に嘘をつく理由はない。
むしろこんな簡単に私の味方をしてくれる方が私としては不自然なのだが……
「さっきも言ったが俺にとってその情報を手に入れるのは苦でも手間でもない。お前が欲しがっていたようだったから仕事のついでに聞いたようなもんだ。感謝されるようなことじゃない」
私の疑惑の目線に気づいたサドラーはそう言って椅子に座ると深く息を吐いた。相当に疲れている様子だった。
「……ひとまずは信じるよ。ありがとう」
「だから感謝されることじゃない」
サドラーは手を振って否定するが私からしたら本当にありがたいことだ。
これでずっと気になっていたことにも説明がつく。
(しかし借金か。お父様はそんなこと一言も言ってなかったのに。私を売っただけでは足りなかったのかな)
私が言うのもなんだけど私は高く売れたと思う。それなのにお父様がまだ借金を抱えたままだというのは少し違和感がある。
(……もしかして)
その理由を考えた時、私は一つの可能性を思いついた。
(私が山賊に捕まったとき、私が派手に抵抗したから……なのか?)
私が山賊に捕まる前、私は必死に抵抗した。恐らく殺した人間も両手では数え切れなかったことだろう。もしそれが納品の際の損害として数えられたのなら……
(お父様がその責を問われた可能性もある、のか?)
全て想像に過ぎない。だがもしそうだったとしたら。
「……私のせいだ」
「ん?」
「お父様が独りになったのは……私のせいだ」
家族とも離れこの地でただ孤独に働くお父様。
その姿を想像した時、私は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
「……サドラー、一つ頼みがある」
胸元を握り締めその痛みに耐える。
まだ私にも出来ることはあるはずだから。
「私はお父様の力になりたい。もしもお父様が自由になれるのなら私はサドラーと手を組んでも良い。だから教えてくれ。私はどうすれば良い?」
「…………」
サドラーは私の頼みに少しだけ考え込み、
「……まず俺は金銭面では力になれない。だから俺との取引でそれを要求するのは無理だ」
「…………っ」
「だが方法がないわけでもない」
サドラーは私と正面から向かい合い、その方法を口にする。
「この街の近くには幾つもの鉱山があるがその中でも特に質の良い魔鉱石が採れる鉱山が一つだけある。だがほとんどの冒険者はその鉱山を利用しない。なぜだか分かるか?」
サドラーの突然の問いに黙り込む私。
そんな私に彼は答えを口にした。
「純度の高い魔力が満ちる場所にはそれだけ危険な魔物が生息するからだ。そういう場所はこの世界のあちこちに存在している。お前も名前くらいは聞いたことがあるだろう」
そこまで言われてようやく私は気付く。
私はその場所を知っていることに。
「──『ジエール迷宮』。それがこの街にある最も危険で最も稼げる場所の名前だ」
そう。かつて私がいた……あの地獄と同じ名を。




