第265話 家族の意味
「いやー、今日は良い天気ですねっ! お姉さま! ほら、見てください! こんなに雨が降ってますよ! これはもう太陽の出番はないですね! 買い物でも行きます? 行っちゃいます!?」
「……ごめん、アンナ。カーテンしめて」
雨音が静かに室内を満たす。
私は今、借りた宿のベッドに沈み込みながら腕で瞳を隠すように寝そべっていた。何もしたくない。考えたくない。そんな気分だった。
「曇りでも完全に太陽の光が消えるわけじゃないから」
「ご、ごめんなさいっ!」
慌てた様子で部屋のカーテンを閉めるアンナ。彼女は昨日の話し合いには参加していなかったけれど、何があったかはすでに聞いている様子だった。いつも以上に私に尽くそうとしてくれるアンナの献身はありがたい。
だけど今はタイミングが悪かった。
「……アンナ、悪いけど少し一人にしてくれるかな」
このままだと私は何の罪もないアンナに辛く当たってしまいそうだった。
行き場のない感情の捌け口として。それだけは許すわけにはいかなかった。
「……分かりました」
朝から私の傍についてくれていたアンナも私がそう言うと素直に従ってくれた。足音が遠ざかっていくのが聞こえる。そして扉が開く音が続き、
「あの、お姉様。アンナはお姉様の味方ですからね? 辛くなったら頼ってください。どんな形でも構いませんなから」
最後にアンナの優しい声が聞こえてきた。何か応えなければと思っているうちに「それでは、また」とアンナは部屋を出て行ってしまった。
(……一体、何をやってるんだよ、私は)
自分を気遣ってくれる人に対してこの態度はないだろう、私よ。昨日のことだってオリヴィアさんやウィスパーにしてみればきっと落胆したはずだ。もしかしたら怒っているかもしれない。折角心配してやったのに、と。
「……そういう人たちでもないか」
自分で自分の考えに笑いながら立ち上がる。そのまま窓辺に向かうと酷い顔をした自分がそこに映りこんでいた。
外は土砂降り。この分なら出発は数日ずれ込むことだろう。
「…………」
正直、お父様のことに関してはまだ迷っている部分がある。あれだけ突き放されてまだ諦めないのかと思われるだろうが私にだって譲れないことはあるのだ。
ティナの頼みとルカの期待。それらを裏切るようなことはしたくないし、私自身この展開に少しの違和感を持っていた。昨日みた父親の姿と私の記憶にある父親の姿。それらがどうしても一致しないのだ。
(オリヴィアさんが話してくれた昔のお父様のこと。それを考えれば不思議ではないのかもしれない。けど……)
信じたい。私は私の中にあるお父様を信じたいのだ。どうしても。
『どっちが本物なのか分からないなら自分で本物を決めちゃえばいいのよ。それが人を信じるってことだと私は思う』
「……そうですね。クレアお嬢様」
私は最も敬愛する主人の言葉を思い出し、方針を固めることにした。
「……良し!」
落ち込むのはここまでにしよう。これからは動くぞ。どう動けばいいかは全然分からないけどねっ!
「まずは情報集めからかな。お父様がこの街を離れようとしない理由も気になるし」
私達から離れるためなら別にこの街である必要はない。だけどグラハムさんから聞いた話ではお父様はこの街から離れる様子がなかったらしい。
この街に留まる理由。この街である理由。
まずはその辺りから探っていくべきだろう。
「となるとこの街に詳しい人を味方につけたいところだけど……」
んー……協力してくれそうな人が一人しか思いつかないな。あいつだけには頼りたくなんてないんだけど……この際贅沢は言っていられないか。
「……行くか」
覚悟を決めた私は普段日傘にしている傘を掴み、窓から身を乗り出す。
正面から出て行くと誰かに会うかも知れないかもね。今はちょっと合わせる顔がない。ここはこっそり出て行くとしよう。
「ごめんね、皆」
私を慕ってくれる皆に背を向けるのは正直胸が痛む。
だけどこれは私にとって譲れないことなのだ。例えお父様が私を売ったのだとしても、それでも私はお父様に手を差し伸べたい。お父様……いや、父親という存在はそれだけ私にとって大きな意味を持っているのだ。
「さて、行くか」
とんっ、と軽く跳躍し階下の窓枠に飛び移る。二度ほど窓枠を経由して地面にたどり着いた私は記憶にある道をなぞるように歩き始める。一度迷子になってしまったとはいえ私は別に方向音痴というわけではないのだ。十数分歩くと目的地に辿り着く事が出来た。
「誰かいるかな」
そこはサドラー達が寝床に利用しているアパートだった。まだ日が完全には沈んでいない時間帯。もしかしたら全員出かけている可能性もあるけどここまで来て帰るわけにもいかない。
私は意を決してその呼び鈴を鳴らした。
すると……
「……はい?」
ガチャッ、とドアが開き眠たそうな顔をしたノノが顔を覗かせた。
その藍色の瞳が私を見つめた瞬間、くりくりとした瞳が見開かれ驚きの表情を作る。
「こんにちは」
何か言われる前にとひとまず挨拶をしてみる。
「……何の用なのです?」
口調が少し厳しい。ノノは私に対してあんまり良い印象を持っていないようだ。
「その……まずは昨日のことを謝りたくて。折角二人が親切にしてくれたのに喧嘩別れみたいになっちゃったからさ」
「…………」
うっ、その疑いの目はやめてくれ。私に効く。
「ノノ? 何しているの?」
私がどうしたものかと立ち尽くしているとノノの後ろから更にひょっこりと同じ顔がもう一度現れる。
「あれ、ルナじゃない」
長い碧色の髪を今日もポニーテールに纏めているネネだった。
こちらはノノほど私に対して敵対心を持っていないらしく、私が挨拶をするとあっさりと部屋に上げてくれた。
「今日はどうしたの? 忘れ物……はなかったよね?」
「うん。少し話したいことがあって」
言いながらさりげなく室内を見渡す。どうやらサドラーはいないらしい。
「彼なら朝から仕事に行っているわね。最近忙しいみたいだから」
「そっか……」
「何か相談でもあったの?」
「んー、相談っていうか少し聞きたいことがあって」
父親の情報が欲しかったが改めて考えると彼の協力を断った私が彼に協力を求めるのはフェアではない気がする。私と彼の頼みの次元が違うとはしても、だ。
「……それってルナの父親のことよね?」
「え?」
「あれだけ心配そうに話してくれたら流石に分かるよね。私には……私達には父親がいないからその感覚は良く分からないのだけど、そう思うのが普通だよねって昨日一日考えてたの」
瞳を伏せ、神妙な面持ちのネネ。
「ねえ、良かったら教えてくれない? 父親って何? 家族ってそれほど大切なものなの? 血が繋がっていても結局は他人なのでしょう? どうしてルナはそれほど父親を守りたいの? 裏切られているかもしれないのに」
一気にまくし立てるネネ。
裏切られているかも、ではなく裏切られているのだけどね。それでも私がお父様を連れ戻そうとする理由、か。
「…………」
それをネネが気にする理由は彼女の立場を考えればなんとなく分かる。
きっとネネやノノは知らないだけなのだ。家族というものの意味を。実感として理解できていないのだと思う。知らないことを知りたいと思うのは当然だ。
特に彼女たちのような立場の人間には。
「……私はね、とても自分勝手な人間なんだよ。相手が私のことを嫌いでも、私は好きでい続けたい。誰かを嫌いになるってしんどいからね。だから私はただ自分が楽をしたいだけなんだよ」
だから私は自分自身の本音を語ることにした。
同じ吸血鬼という種族を背負う者として。彼女たちへの恩返しの一環として。
家族の意味を。人を愛するその意味を。
「もちろんそれだけでもないけどね。私と両親が一緒に暮らしていたとき、二人は私にとても良くしてくれたんだ。その時の恩を私は忘れたくない。いや……」
少し違うか。恩とかそういう言葉は今回の場合は当てはまらない。
「私は幸せだったあの頃を取り戻したいだけなんだ。お母様がいて、お父様がいて、そこにルカも加わって、私がいる。そんな日常を取り戻したい。もう一度皆で仲良く暮らしたい。ただそれだけだよ」
うまく伝わったかは分からない。不器用な言葉で不器用な笑顔を浮かべる私に二人が何を思ったかは分からない。ただ、少しでも彼女たちに考えて欲しかった。
「だから二人にもいつかそんな風に思える日がくるように祈ってるよ。ああ、生きてて良かったって。私は今、幸せなんだって。そう思える瞬間が来るように」
幸せの意味を。奴隷という身分として生まれた彼女達に。
「……そっか」
私の言葉にネネは一度だけ頷き、
「ありがとね、ルナ。話してくれて」
何とも言えない曖昧な笑みを浮かべるのだった。




