第263話 消えない過去
「……これは一体どういうことなの」
「…………」
私の問いにネネは辛そうな表情で黙り込んでいた。
「見れば分かるだろう。ここは吸血鬼を人工的に作っているのさ」
その代わりに淡々とした口調で答えるのはシュルツ・サドラー。
私にとって宿敵と言っても良い存在だった。
「『吸血鬼』と呼ばれる存在が初めて確認されたのは遥か昔の大戦時だったらしい。どこから来たのか、何の為に存在しているのかは誰にも分からない。だが、それは確かにそこにいた。そして、それは全ての種族を戦慄させた。災厄の種族と呼ばれるようになった結果からも何があったのかは想像に難くないだろう」
歩きながら語るサドラーは水槽に手を付けると無表情のままその中に眠る少女を見つめた。
「吸血鬼は人族の突然変異なのだと良く言われるが、それは本当のことではない。どうしてそんな認識が広まったのかは知らないがな。だがその力が圧倒的であることだけは事実だ。そして、それを利用しようとしているのが……『太陽の園』。俺が今、所属しているギルドだ」
撫でる様に水槽に手を付けるサドラーが何を思っているのかは分からない。
ただ一つだけ確かなのは、この場所が反吐の出そうなほど醜悪な場所だということだけ。
「……お前らは吸血鬼を使って何をするつもりなんだよ」
「それは俺の知るところじゃないな。このギルドの幹部なら誰でも知っていることなんだろうが、今の俺はその地位にない。俺はただ魔法陣に関する知識を見込まれて雇われただけなんでな」
知らない、か。
恐らくこの男は嘘をついていない。そもそも、そんな嘘をつくくらいなら最初からここに連れて来たりはしないだろう。始めは吸血鬼についてどうしてそこまで詳しいのか、というのが始まりの問いだった。
そして、それに対する答えは得た。間違いなくこの男は吸血鬼という種族について私以上の知識を持っている。それはつまり……
(……この男が言っていたことは真実だった、ってことか)
否定したくてついて来たというのに、結果はこの様だ。
だが、今はそれすらも後回しだ。
今はそれ以上に解決しなければならない疑問がある。
「お前はどうして私をここに連れて来た?」
「……なに?」
私の言葉にサドラーは軽い驚きの表情を浮かべていた。
「私を納得させるためだけに連れて来たにしては大掛かり過ぎる。ネネやノノが止めていたところを見るに、部外者をこんなところに連れて来たと知られればあんたもヤバイんだろう? どうしてそんなリスクを背負ってまで私をここに連れて来た?」
「……はっ」
私の問いかけに、今度は笑みを浮かべるサドラー。
「なるほど。なかなか知恵が回るな。まあ、そうでなければ奴隷の身分から自力で抜け出すことも出来ないか」
「前置きはなしにしてさっさと要件を言え。私もそれほど暇じゃあない」
「分かった分かった。俺がお前をここに連れて来た目的だったな? なに、そんなに難しいことじゃない。俺がお前に望むことは唯一つ」
かつかつと床を歩くサドラーは私の前に立ち、真っ直ぐに見つめ言った。
「──俺と手を組め。ルナ・レストン」
その、予想だにしない言葉を。
「手を組め、だって?」
「ああ。具体的にはこのギルドをぶっ潰すのを手伝え」
「ギルドって……『太陽の園』のこと? 一体どうして……」
「理由なら目の前にある」
何を言っていると言わんばかりの表情でサドラーは檻に入れられた少女たちへと視線を向ける。
「一体何が目的でこんなことをしているのかは分からない。だが、これが間違っていることだってのは俺にも分かる。こんなことを続けさせてはいけない。誰かが止めなければならないのなら、事情を知っている俺が止めるしかないだろう?」
「…………」
私は即座に答えず、目の前の男の本心を探る。
奴隷商人なんてやっていた男が今更良心の呵責を覚えて~なんてわけもないだろう。だが、だとしたらこの提案にはどういう意味がある? 私を嵌めようとしているのなら、もっと簡単な方法があるだろうに。
「……言っておくがこれは俺の本心だ。裏も表もない。ただ言葉のままに受け止めてくれればいい」
言葉のままに受け止めろ、だって?
「それを私に望むのか? 貴方が?」
「それを言われると痛いところだが……お前にとってもメリットがないわけではない。お前が探している父親に関しても情報を集めてやれる」
「それはご親切なことだね」
この男が何を狙ってこんなことをしているのかは分からない。
だが、こいつの言うままに素直に手を組めるわけもない。
つまり最初から答えは決まっていた。
「だけど忘れないで。私は昔のことを全て水に流したつもりはない。貴方はまず手を差し出す前に頭を垂れるべきだったのでは?」
私が高圧的にそう告げると、サドラーはむっとした表情で言い返してくる。
「……あの時は仕事だったんだ。別にお前に恨みがあったわけでも、貶めてやろうとしたわけでもない」
「だから全てを忘れろって? そんなの無理に決まってる。百歩譲ってあの時のことを許したとしても貴方が信用ならない人間だということには何の変わりもない。協力者が欲しいなら別の人間を探すのね」
それで話は終わりだと視線を切る私に、サドラーは尚も食い下がってくる。
「待て、お前はこれを見ても何も感じないのか? 何とかしてやろうとは思わないのか? ネネもノノもお前にとっては恩人なのだろう? だったら彼女達の為にも……」
「黙れ」
私はそれを『威圧』スキルを使って強引に断ち切った。
確かに私だって何も思うところがないわけではない。だが、それで私がこいつと手を組むのは別の話だ。
「気に食わないんだよ」
そして、もう一つ。
私はサドラーの態度に関して、どうしても許せないことがあった。
「これはお前が『太陽の園』に協力したから起きたことなんだろうが。だったら誰かを頼る前に自分で行動しろよ。こんなになるまで放置しておいて今更良い人ぶってんじゃねえ」
私の力を当てにしようとするサドラーの言い方。
自分が火事場から逃げ出しておいて、向かいの家に火消しを頼むような図々しさを私は感じずにはいられなかった。
一言で言えばムカついた。どうしたって分かり合えないと理解させられてしまったのだ。
「私に何かを期待するな。私とお前の関係が変わることはない」
そう言って私は再び『変身』スキルを発動させる。
「帰るわよ。ここで見たことはひとまず誰にも言わないでおいてあげるから」
「…………分かった」
苦渋の表情でサドラーは私の言葉に従い、地下室を後にした。
ここで見たものは私にとっても衝撃的なものだった。確かに何とかしたいとは思う。だけど、私にとって最大の目的はお父様を探し出すことなのだ。
「……ごめん」
私は人間には聞こえない程度の音量でそう告げ、ギルドの外に戻ると二人と別れることにした。ここから宿までの道なら覚えているからね。もう彼女達の家に厄介になる理由もない。
「その……ルナ……」
「家に上げてくれてありがとね。凄く助かったよ」
何か言いかけたネネの言葉に被せるようにそう言って、私は彼女達とは別方向へ進みだす。今は少し一人になりたい気分だった。
「……くそが。一体私に何をしろってんだよ」
一人になった途端、いつもなら決して口にしないであろう口調で汚い言葉が飛び出してきた。なんとも言えない妙な気分に、イライラしていたのだと思う。
そうして薄暗い夜道を歩く私の前に……
「……ルナっ」
ざっ! と、跳躍する音と共に小さな影が舞い降りる。
その黒い影は私も良く知る少女のものだった。
「……リン?」
「やっと見つけた」
ほっとした表情でこちらに歩み寄ってくるリン。どうやらこの時間まで私を探して走り回ってくれていたらしい。額に汗が滲んでいた。
若干息もあがっている様子のリンはこちらに近づき……私の表情にぴくりと形の良い眉を寄せる。
「……何かあったの?」
流石はリンちゃん。私の表情から今の形容しがたい心中を察してくれたらしい。
「何もないよ。何も」
説明しようにも私自身がまだ整理の出来ていないことばかり。私は咄嗟に誤魔化すようにリンの頭を撫でていた。
「私を探しに来てくれたんだね。ありがとう、リンちゃん」
「……うん」
私がさらさらの髪の毛を撫でると、リンは気持ちよさそうに目を細めた。まるで主人にあやしてもらっている子犬のようだった。そして、突然はっとした表情になると、
「そうだった。ルナ、急いで宿に戻ろう」
「何かあったの?」
私の問いに、こくりと頷くリン。
そして……
「ルナの……父親が来てる」
私にとって何より優先するべきその言葉を告げるのだった。
どうやら今日と言う日はまだまだ続くらしい。




