第261話 血の源流
ネネの出してくれたお茶を一口飲み込み、私は改めて目の前の男に視線を送る。
「…………」
シュルツ・サドラー。かつて私をとある冒険者に売りつけた奴隷商人だ。
こけた頬に虚ろな瞳。まるで枯れ木のような印象を受ける男だ。
その今にも死んでしまいそうな雰囲気を持つサドラーは同じように出されたお茶に手をつけることなく、話を切り出してくる。
「……まず理解してほしいのは俺にはもうお前をどうこうする権利はないってことだ。すでにその権利は譲渡してあるからな。ここにいるのは俺とお前、何の契約もない完全な個人同士ってことだ」
「そんなことは分かってる」
「……ならもう話すこともないと思うが」
「どうして貴方はここにいるの?」
「…………」
私の一方的な問いに、「それはこちらの台詞だ」とでも言いたげな様子のサドラー。
「……お前は気付いていないようだが、この街は以前にお前を監禁していた場所のすぐ近くなんだ。距離にして一日もかからない」
なに? ここがあの牢獄の近くだと?
確かにあの頃は自分がどこにいるかすら分からなかったが……
「……今もあの場所はあるのか」
「管理は別の人間に任せているがな」
「それで? 貴方はこの街で何をしているの?」
「業務自体は今も昔も変わらない。奴隷の管理が俺の仕事だ」
そう言って深く息を吐くサドラー。
どうやら彼は自分の仕事に対して気苦労を感じているらしい。そういえば昔からそんな雰囲気があったかもしれない。だからどうだって話だけど。
「それで、今管理している奴隷ってのは?」
「何だ。興味があるのか」
変な人を見るような目で私を見るサドラー。
私はそんなにおかしなことを言ったつもりはないのだが。
「奴隷制度は間違ってる。あんなものは悲しみしか生まない」
「なるほどな。元奴隷として同情しているわけか」
「同情なんかじゃない。私は最初からそうあるべきだと思ってる」
「だが、実際問題どうしようもないぞ。奴隷は奴隷だからこそ生活が続けられるし、俺たちも奴隷がいるからこそこうして働き口を見つけることが出来ている」
「それは社会の仕組みが間違っているんだよ。奴隷なんて制度がなくても十分に人は生きていける」
私はそれを知識としてではなく経験として知っていた。
だからこそ強く断言することが出来る。
しかし……サドラーにとってそれは机上の空論に過ぎないようだった。
「それは理想論だ。それに今の安定した社会を崩してまで挑戦する価値があるとは思えない」
「それはアンタがそっち側の人間だからでしょうがっ」
荒くなる口調にサドラーの傍にいたネネとノノが僅かに腰を浮かす。
だが、サドラーが手をかざすと無言のまま席についた。
この三人の関係がどういうものなのかは分からないけれど、サドラーの方が立場としては強いように見える。もしかしたら……
「ねえ、貴方、その二人とはいったいどういう関係なの」
「……この二人は俺が個人的にギルドから借りている奴隷だ」
くそっ、やっぱりか。そんな気はしていたんだ。
「だが勘違いするなよ。この二人は今の生活に満足している。自分達だけでは生きていけないことを理解しているんだ」
「……それは貴方達が生きる術を奪ったからでしょうが」
「奪ってなんかないさ。こいつらには最初からそんなものはなかったんだからな。お前みたいに途中から奴隷になった人間には分からないかもしれないが、奴隷の生活もそれはそれで楽なものなんだ」
「楽って……」
「なんなら聞いてみれば良い。ネネ、ノノ。お前たちは今の身分を捨てて平民になりたいと思うか?」
「……いえ」
サドラーの問いに瞳を伏せるネネ。彼女はすでに自分の境遇を受け入れてしまっているようだった。幸福を知らず、未来を望まない。というより最初から知らないものならば望みようがない。
「お前は奴隷という存在に対して必要以上に同情してしまっているように見える。お前の境遇を考えればそれも当然かもしれないがな」
「だから同情なんて……」
「だったらなぜお前はそこまで奴隷制を忌避する? 言っておくが、これは必要なことなんだ。良いとか悪いとか、そもそもそんな次元で話をすること自体が間違っている」
「…………」
サドラーの言い分に、私は何も言い返すことが出来なかった。
この世界では向こうの意見が一般的で、私の方が少数なのだから。世界を作るのはその世界の人達だ。その人達が是とすることならば私はそれに従わなくてはならない。
「……俺の方はそんなところだ。それで? お前はどうしてここにいる?」
「…………」
「……ルナは父親を探してこの街に来たそうなのです」
私がサドラーの問いを無視していると、ノノが代わりに答える。
二人には私がこの街に来た理由も伝えてある。別に知られて困るわけではないけれど、少し嫌な気分だった。
「父親だと? ……それはルナの父親ということか?」
「他にないでしょ。というか私のことは良いから……」
「待て、ルナ。それは本当にお前の親なのか? つまり、産みの親ということで合っているのか?」
「そうだよ。さっきからどうしたの? 何かおかしなことでもある?」
「それはもちろん……いや、ちょっと待て。整理させてくれ」
先ほどから様子のおかしいサドラーは頭を抑え、考え込んでしまう。
なんだ? 一体どうしたというのだ?
「……産みの親だと? まさか父親が……いや、だとすると何故そいつは……あるとすれば……」
ちらり、とこちらに視線を向けるサドラーはそこで結論を得たようだった。
「ルナ、一つだけ答えてくれ。お前、いつから吸血鬼だった?」
「は? ち、ちょっと! ここでその話は……」
「二人のことなら心配はいらない。この二人も吸血鬼だからな」
「…………は?」
二人が吸血鬼、だと?
え? それってつまり……
「う、嘘でしょ……」
「嘘じゃない。何なら証拠も見せる」
サドラーがすっと両手を横に向けると、意図を察したらしいネネとノノがそれぞれに齧り付く。すると……
「…………っ」
二人の額に漆黒の角が出現した。
それは『吸血』スキルが発動した証拠。
念のため『鑑定』を使って二人の種族を確認したのだが……
「まさか……そんな……」
確かに二人の種族は吸血鬼だった。
「自分以外の吸血鬼を見るのは初めてか? まあ、それはそうか。滅多にいる種族ではないものな」
「二人も……吸血鬼、だったのか」
ネネとノノ、二人に視線を送ると彼女達は僅かに視線を伏せた。
「それは良いんだ。それよりさっきの質問に答えてくれ。ルナ、お前は一体いつから吸血鬼だった?」
「いつからって……」
本当なら答える必要なんてなかった。
だけど動揺していた私は口から零れるように答えてしまう。
「そんなの生まれたときからに決まってるじゃない」
「……やっぱりそうか」
一体なぜサドラーはそんな当たり前の質問をしたのか、私には分からなかった。
だけど……
「ルナ、お前は一つ勘違いをしているぞ」
「勘違い?」
「ああ」
続くサドラーの言葉に、私は更なる混乱の渦へと落とされることになる。
「──この世に生まれながらの吸血鬼なんてものは存在しないんだ」
「…………は?」
生まれながらの吸血鬼はいない、だと?
「いや、いやいや。それはおかしいでしょ。だって私は最初から……」
「良いか、吸血鬼ってのは人族の人間に吸血鬼の血を体内に一定量流し込むことにより生まれる存在なんだ。つまり、生まれた時点で吸血鬼なんてことは有り得ない。お前だって考えたことはあるだろう? なぜ自分が吸血鬼として生まれたのか、その理由を」
「…………」
吸血鬼として生まれた理由。
そんなものは存在しないと思っていた。吸血鬼というのは自然発生的に生まれる障害のようなもので、一定の確率でそうなるものだと。
だけど……それが違うと言うのなら。
「……誰かが私を吸血鬼にした?」
私の知らない間に、私の記憶にない間に。
だが、もしそうなのだとしたらそれを行える人間なんて数えるほどしかいない。私は生後半年の頃にはすでに意識があったのだから。つまり……
(いや、そんなはずはない。そんなことがあるはずがない)
浮かんでしまった一つの疑念を振り払う。
そんなことはあってはならない妄想だ。
すぐにでも否定しなければならない。
なのに……
(だけどもし……もしそうだったなら、私が吸血鬼だと知っていた人間が一人だけいることになる。そうしたらずっと疑問だった私の情報を山賊に売った人間。これも確定することが出来る)
積み重なった疑問が、まるでジェンガのように崩れていく。
たった一つの事実を認めるだけで、全ての疑問が綺麗に片付いていくのだ。
それに対し、その事実の否定材料はただの一つも見当たらない。
まるでそれが真実であるかのように。
「間違いなくお前を吸血鬼にした人間は存在する。そして、物心ついたころにはすでに吸血鬼だったというのなら……もう答えは決まっている」
「……うるさい」
「お前の情報に関しては俺のところにも来ていた。状況から判断するにお前を売った人間もまた同一人物である確率が高いだろう。というより、最初から売る為にお前を吸血鬼にしたのだとすれば全てに説明がつく」
「……うるさいっ」
「お前ももう分かっているんだろう? お前を吸血鬼にしたのは……」
「うるさいっ!!」
それ以上先を聞きたくなかった私は絶叫してその言葉を遮る。
だが、吸血鬼の聴覚はたとえ耳を手で覆っていてもサドラーの最後の言葉を拾ってしまう。
「──お前を売った人間は、お前の父親だ」
その、絶望的な真実を。




