第257話 誰しも一度は通る道
空が夕焼けに染まる中、私はゆっくりと日傘を閉じる。
これくらいの時間帯ならもう傘は必要ない。直射日光さえ避ければ私は活動できるのだ。まだ若干ステータス減少のデバフは受けるけどね。
「しかし本当にこの街は人が多いな」
「ですね。一体なんでなんでしょう」
すれ違う人達を避けるように歩く帰り道、呟くオリヴィアさんに私は頷き返す。
田舎と読んで差し支えないこの街にこれほど多くの人が住んでいることが意外でならない。他の街に行くにも交通の便が悪いし。
「それはやっぱり鉱山の影響が大きいんだろ。ここなら他の都市に比べて働き口も多そうだし、そういう労働者の集まる街なんだろうぜ」
「……その分、不心得者も多いようだがな」
そう言ったオリヴィアさんはくるりと反転するとすれ違った一人の男の手を取り、そのまま足を払って男を地面に組み伏してしまう。「ぐぇぇっ!」と潰されたカエルみたいな声を上げる男に私とウィスパーは驚くしかない。
「ちょっ!? お、オリヴィアさん、突然何を……っ!?」
「スリだ。おい、お前。このまま腕を折られたくなかったらさきほど抜き取った財布を返せ」
慌てる私にどこまでも冷静に答えるオリヴィアさんマジクール。
「本来なら出るところに出て裁きたいところだが今の私は業務時間外。運が良かったな。さっさと返すなら見逃してやる」
「くっ……」
ゆっくりと腕を上げる男の手には革製の財布がしっかりと収められていた。
どうやら本当にスリらしい。オリヴィアさんを狙うなんてとんだ間抜けもいたものだ。
そして間抜けは物事の判断が出来ないからこその間抜けらしい。
そのまま返すかのように見えた財布をオリヴィアさんの手が緩んだ一瞬を狙い、バッ! っと、近くを通りかかった男に投げ渡したのだ。
「行け!」
そして、その男は声に合わせて走り出す。
どうやらあいつもこの男の仲間だったらしい。準備のいいことで。
(だけど運が悪かったな。私はもう動けるぞ)
傘を投げ捨てた私はそのまま男の後を追う。
「待て! ルナ!」
後ろでオリヴィアさんの声が聞こえたが、このままあの男を見逃すわけにはいかない。無視して男を追うと、そいつは更に近くの建物の屋上に向けて財布を投げ捨てた。
(いや……違う)
捨てたのではない。
男は投げ渡したのだ。
「ちっ、一体何人仲間がいるんだ」
屋上で財布を受け取った男が走り出す。このままだと見失ってしまう。見れば先ほど財布を投げ渡した男が私を見て笑みを浮かべていた。
こいつ……私が追えないと思ってやがるな。
「舐めるなッ!」
咄嗟に私は影糸を生成。その先を壁に貼り付けて即席の階段を作り上げる。
タタンッ、と連続で跳躍して強引に屋上へと乗り上げる。すると先ほどの男が再び視界内に戻ってくる。これなら追える。ここまで来たんだ。絶対に逃がすものか。
決意を燃やし走り出す私。
だが男もなかなか優秀だった。
それとも単純に慣れているのかまるでパルクールのように街中を縦横無尽に走り回る男。しかし、私は私で負けてはいない。吸血鬼としての身体能力をフルに使って男を追い詰める。
「ほら、もう観念しろ。奪ったものをさっさと返すんだ」
「く、くそっ……」
狭い路地裏に逃げ込んだ男に追いついた私は影糸を使って男を縛り上げていた。
私が抵抗して勝てる相手ではないと男も理解しているのか、それ以上の抵抗はしなかった。だが……
「……あれ?」
取り返した財布には中身が入っていなかった。
「ねえ。これはどういうこと?」
「し、知らないっ! 最初から中身はなかったんだ!」
拘束を強めて問い詰めるが男は知らないと言う。嘘をついている様子もないし、途中で中身をどこかへ移す隙もなかったはずだ。つまり……
「……ふう。流石はオリヴィアさんだ」
恐らくこの財布はスリ対策に用意しておいたダミーだったのだろう。そう思えば男を追いかけた私を呼び止めたオリヴィアさんの真意も分かる。取り返す必要がないからこそ、オリヴィアさんは私を止めたのだ。
旅先でのトラブルを回避する方法としてこういうやり方があることも師匠に教わったことがある。用意するのが面倒だったから私はしていないんだけどね。
「ち、ちゃんと返したんだからこれを解いてくれっ」
「あー、はいはい。分かりましたよ、っと」
しゅるしゅると手元に戻る影糸に男は一目散に逃げ出してしまう。
本当は説教でもしてやろうかと思っていたけど気が抜けてしまった。もういい、さっさと戻るとしよう。
「…………ん?」
そして、そこで私は気付いた。
「……どこだ、ここ?」
男を追うことに一生懸命で私は道順を覚えることを失念してしまっていたのだ。先ほど着いたばかりの街に土地勘があるわけもなく……
「……しくった」
私は久々に迷子になってしまうのだった。




