第253話 成長しない人間はいない
先に街に着いていたメイとベラの二人から幾らか情報をもらいつつ会話を続けていく。そしてお互いが全てを語りつくした後、自然と皆は席を立ち始めていた。
最後に残ったのは私とアンナ、アポロとメイの四人だけになった時だ。
「ルナ。君はこれから父親を探すのかい?」
それは冒険者同士の情報交換というよりは単なる雑談のような口調だった。
「ええ。ここを離れたらすぐにでも探しに行くつもり」
「何かあてはあるのかい?」
「お父様を探してくれた人がいてね。まずはその人と連絡を取ることになってる」
「そうか……それならあまり僕が力になれることはないかもしれないね」
困ったように笑いながら近くを通りかかった店員にお勘定を告げるアポロ。
そのままこの国で流通している紙幣と硬貨を取り出し、店員に渡すが……
「あ、主様。この街にはチップの習慣はないよ」
アポロの背中にへばりついたメイが指摘する。
「ああ。そうだったのか。同じ国でも結構違うものだね」
幾つかの硬貨をテーブルに残し、ぺこりと頭を下げた店員は再び仕事に戻っていく。
この国、というかこの世界ではそれぞれの街があまり連携を取れていない。魔物や山賊などの存在のせいだ。今でこそ活発に貿易が行われているが、昔から続く風習はその街独特のものとして根付いている。
いうなればその街特有のルールや法が存在するということ。
「話を遮って悪かったね。僕が言いたいのは君に何らかの形で恩返しをしたいってことなんだ。こう見えても僕は律儀な性格でね。借りたものはきちっと返さないと気がすまないんだよ」
「別に私は見返りを求めて助けたわけでないよ」
「分かってる。君がそういう性格だからこそ、なおさら僕は感謝を形にしなければ気がすまないんだ。僕に差し出せるものがあるなら何でもいい。僕に恩返しをさせて欲しい」
むう……そこまで言われると断りづらい。
「とは言ってもなあ……私は物欲が強い方ではないし、旅の途中なんだ。余計なものをもらっても仕方がない」
「それも理解しているよ。だとしたら即物的ではあるけど、金銭での報酬はどうだろう? ありすぎて邪魔になるものじゃないし、全てに代えられるという意味で価値はあるはずだ」
「お金か……」
まあ、確かにそれが無難な落としどころだろう。
問題はそれが一体幾らの額になるかと言う話なのだけれど……
「……分かった」
私はちらり、とテーブルの端に視線を向け。
「それなら……私はこれを貰うよ」
先ほど店員が受け取らなかったチップの中から一枚の銅貨をすっ、と手元に引き寄せる。
「え? ……それだけ?」
「ええ。私はこれで十分。さっきも言ったけど別に見返りが欲しくて助けたわけではないんだよ。だから貴方が言ったように感謝の形が目に見えるならそれは何だって良いんだ」
それは金額にすればパン一欠けら程度の価値しかないもの。
だけど私はそれで良かった。
それが良かった。
「これはお守り代わりに大事に取っておくことにするよ。これで私達の間に貸し借りはなし。それで良いでしょ?」
もしももっとたくさんの、それこそたかが数日身柄を預かっただけの報酬としては破格の金額を要求したとしてもアポロは差し出しただろう。
だけどそれでは信頼を得ることは出来ない。
アポロが信用に足る人物であることはこの数日でもう分かっている。
そして、彼が他人種を受け入れられる人物であるということも。
「もしも何かあったら連絡させてもらうよ。その時は知り合い割引で請け負ってよね?」
それは勿論打算も含めた行動だった。
もし私に何かあった時、頼りに出来る人間が一人増えるかもしれないのだ。
それは金塊の山よりも価値のある存在に思えた。ただそれだけの話だった。
そんな私の腹の内を知ってか知らずか、
「ははっ、分かった。その時は責任を持って請け負うよ」
珍しく晴れ晴れとした笑顔で、そう言うのだった。
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次の日、私達は宿を出て冒険者ギルドへと向かっていた。
どの街にも必ず一つはある冒険者ギルド。ここには街中から色々な依頼が集まってくる。そして、私達はここでとある人物達と待ち合わせすることになっていた。
しかし……
「何だ? 相手はまだ来ていないのか?」
「そうみたいですね」
周囲を見渡すオリヴィアさんの言葉に私は頷く。
「少し時間を潰そう」
私がそう言うと、皆は近くにあったテーブルに座って待つことにしたようだ。私はこの街に集まる依頼に興味があったので掲示板の方へと向かうことにした。
ここは居酒屋も兼ねているのか、今まで見てきたどの冒険者ギルドよりもテーブルが多い。そして、まだ昼前だと言うのにジョッキに一杯になったビールを傾ける男達の多いこと。
酒の匂いを避けるように歩く私に、その中の一人が声をかけてきた。
「よお、お嬢ちゃん。パパかママは一緒じゃないのかい?」
その男は頬を真っ赤に染めたまま、ひらひらとこちらに手を振ってくる。
私が無視して歩いていると、
「ちょっとちょっと、話くらいしてくれてもいいだろう? んん?」
椅子を倒しながら男は立ち上がり、ふらふらの足取りで私の前へと歩いてきた。
「無視は感心しないなぁ。ご両親から人の嫌がることはしてはいけませんって教わらなかったのかい?」
「…………」
はあ、これだから酔っ払いというのは面倒なんだ。
一体、どの口が言うのやら。
「すいません。私は用事がありますので」
「用事? 用事ってもしかしてお嬢ちゃんは冒険者なのかい? 実は俺もなんだ! いやあ、お嬢ちゃんは運が良い! 仕事なら俺が手伝ってやるよ! 俺はこの街でも名の知れた冒険者なんだぜ!」
そんなことは聞いてもいないし、どうでも良い。
面倒になってガン無視を決める私になおも男はしつこく食い下がる。
「だから無視すんなって!」
その手が私の肩に伸びた、その瞬間のことだった。
「やめておけ。そいつはお前のような下衆が触れて良い人じゃない」
がしっ、と男の腕を横から伸びた手が止める。
私はその低い男の声に聞き覚えがあった。
「あん? 何すんだ、てめえ」
「何をするはこちらの台詞だ。折角の再会を邪魔しやがって。色々考えてきた時間が無駄になっただろうが」
「知るかっ!」
腕を掴まれた男は強引に振りほどくと、突然に殴りかかった。
いきなりの逆上だったが、割り込んできた男はそれに冷静に対処する。
「……やれやれだ」
軽く動いただけで拳をかわした男はそのまま相手の額に指先を当てる。
そして、軽く押すように指先を動かすと……どしゃぁぁぁっ! と派手な音を立てて酔っ払いの男がその場に転倒した。
始めは足元が覚束なくなったのだと思った。
だけど違った。
「は、え……? なんだ、これ? おいっ! なんだこれっ! ど、ど、どうなってる!? 俺の体、どうなってんだよぉっ!」
男は殴りかかった体勢のまま、ごろごろとその場を転がっていた。
「う、動けねえっ! おいっ、だ、誰かっ! 誰か助けてくれっ! 俺を助けてくれぇぇっ!」
まるで動き方を忘れたかのようにパニックに陥ったままその場を無様に転がる男。
その様子を一瞥した彼はそれっきり興味を失ったかのように改めて私に向き直る。
「久しぶりだな、ルナ。元気そうでなによりだ」
いつもフードを目深に被り、顔を隠していた彼だが今は違った。
目元から口にかけて走る傷を隠すことなく真っ直ぐにこちらを見つめる彼は……
「ええ、久しぶりね……ウィスパー」
かつて私と旅をした仲間。
名無しの男、ウィスパーだった。




