第241話 第二の家族
エルフリーデン王国の中央部に位置する首都、バレシウス。
最も栄えている国の最も栄えている都市でもあるこの街では手に入らないものはないとまで言われるほどだ。
これまで学園とメイド生活が忙しかったせいもあって、なかなか訪れる機会のなかった商店街に私は出向いていた。
「…………」
「…………」
無言のまま私の隣に立ち尽くす師匠と共に。
私が太陽の下にいられないということで行商用の通路に背中を預けながら流れ行く大勢の人ごみを眺め続ける。
けれど、この空気にもいい加減限界だった。
「師匠……何か言ってくださいよ」
「……例えば?」
例えばって……それぐらい自分で考えてくれよ。
とはいえ、師匠がこういう性格なのは遥か昔から知っている。
ここは私が会話を繋ぐ必要があるだろう。
「もうすぐ試験だけど準備してるのかーとか」
「メイドのお前には関係ねーだろ」
「いや、まあそうなんですけど」
……あかん。私が元々口下手なのもあって会話が成り立たないぞ。
師匠との仲は以前に殺されそうになった時から何も変化していない。だからこそこうして妙な空気のまま放り出されているわけなのだが……
「ふー……埒が明かんな。そろそろ腹を割って話そうぜ」
「……ですね」
お互い遠回りな詮索は好まない性格だ。
ストレートに行こう。
「とはいえ、こうして一緒に出かけている時点でお前の考え方は大体分かってんだけどな。普通殺されそうになった相手と一緒に街を歩くか?」
「そう言われると異常な気もしますけど……まあ、相手が師匠ですからね。殺されそうになった経験なんてそれこそ修行時代から何度もありますし」
「今回のとそれとじゃ状況が全然違うだろうが」
「だけど今はもう私を殺そうなんて思っていないんでしょ? だったら良いんじゃないですか」
「凄い割り切り方だな……恨みとか縁のなさそうな性格だぜ」
「はは、まさか。これでも結構執着深い自覚はありますよ。ただ、師匠の場合には受けた恩が大きすぎたってのもありますし、それに……」
そこでちらり、と隣に立つ師匠の表情を伺う。
「本当は私を殺すつもりなんかなかったんでしょう?」
「…………」
私の問いに師匠は何も答えなかった。
だけど私はほとんど確信に近い自信があった。
というのも師匠ほどの人物があの時、あの場所にいたイーサンの存在を見落としていたとはどうしても思えないのだ。
イーサンが助けに入ってくることを見越して師匠は私を殺そうとポーズを取った。私はあの時のことをそう結論付けた。
「はっ、馬鹿を言え。そりゃ流石に妄想のしすぎだ。俺はそんなに優しくはねえよ」
「だとしても師匠には他にもやりようはあったんです。お母様達を人質に取られるだけであの時の私は詰んでいた。そうするほうがより簡単で確実なはずだったのに、ですよ?」
「ふん。そりゃ卑怯者のすることだ。この俺がそんな手段を取るはずがねえだろうが」
「かもしれませんね。でも、それならどうして……」
事ここに至って未だ素直に認めない師匠に向けて、私はその決定的な一言を告げる。
「どうしてグラハムさんとの戦いで手を抜いたんですか? 師匠の持っているスキル……『狒々王』を使えば勝てたかもしれないのに」
「それは……」
感情に関しては誤魔化しが効く。幾らでも取り繕うことが出来る。
だが、戦いに関してはそれもない。特に『鑑定』で相手の強さを測ることが出来る私達にとって、手抜きを見抜くなんて造作もないことだ。
「グラハムさんは私達のルーツを知りません。幾らでも不意を打つことは出来た。それで勝てたかは正直微妙なラインではありますが……少なくともあそこまで一方的になることはなかった」
未だに各部位に包帯の巻かれた師匠を見る。
アリスの治癒魔術で幾らかマシになったとは言え、あの戦闘で受けたダメージは決して少なくない。奥の手を出さなかった理由が手抜き以外、私には思いつかなかった。
「……俺の『怠惰』には代償がある。アリスにはナルコレプシーっつう病気ってことにしてあるが、その症状は『怠惰』の影響なんだよ。そんで俺の『狒々王』にもまた同じようなデメリットがある。俺はそれが嫌だっただけだ」
スキルのデメリット?
私の『獅子王』にも発動条件があるけど、それと似たようなものか?
「でも手を抜いたことは事実ですよね?」
「…………」
しつこく追求する私に師匠がうんざりした表情を浮かべる。
片手で髪をかき上げると溜息を漏らしながら、
「ああ。そうだよ。お前を殺そうとしたのはフェイクだ。お前があまりにもズレた感覚でいたからむかついたのは確かだけどよ」
「むかついたって……しょうがないじゃないですか。まさか元の世界に帰るために研究していたなんて思いもよらなかったんですから」
「お前も転生者ならこの感覚を分かってくれると思ったのによ……どうやらその辺からして俺達は全く違う人種のようだな」
全然理解できないといった様子で私を見る師匠。
だけど前世に未練とかないしなあ。私。
「でも良かったじゃないですか。ノアが協力してくれたら研究もきっと進みますよ」
「まあ、そうだろうな。アイツの魔術に関する知識は最早教授顔負けだ。元々の研究分野が似てるってのもあるし、良い研究パートナーにはなってくれるだろうぜ」
ノアの研究していた過去への移動と、師匠の研究している異世界への移動。
全く別もののような気がしないでもないけど、専門家的には親戚のような研究内容だったらしい。その辺は私には分からない世界だね。
「……ここらが丁度良い節目なのかもな」
「? 何の話です?」
突然独り言を漏らした師匠に聞き返す。
「アリスのことだよ。元々アイツを拾ったのは研究を手伝って欲しかったからだ。だが……それももうそろそろ役目を終えても良いと思ってな」
「え……」
私はアリスと師匠がどういう経緯で一緒にいるようになったのかを知らない。
だから踏み込んだことは分からないのだが……師匠の語るその言葉はある種の決意を感じさせるものだった。
「その……聞いてもいいですか? アリスと師匠がどういう風に出会ったのか」
「…………」
勿論、これはアリスの過去にも踏み込む話だ。だからこそ当人がいないところで話せないというのも分かる。だからこそ、無言のまま考え込む師匠に期待はしていなかったのだが……
「……アイツと始めて会ったのは8年も前のことになる」
ゆっくりと静かに、師匠は語りだした。
アリスと師匠。二人が出会った日の事を。
「雪が降り積もる田舎町によ、ぼろぼろの布切れ一枚に包まって震えているガキがいたのさ。今にも死にそうなほどやせ細った体のガキがな」
昔を思い返すように上空を見上げた師匠はおもむろに煙草の箱を取り出すと、一本口に加えて紫煙を燻らせ始める。
「当時の俺は……その、なんだ。ちょっと荒れていてな。一言で言えば全て忘れられる何かを求めていた。元の世界に戻ろうと思ったのも丁度その頃だ。不可能だと思っていたんだが、アリスを見つけてぴんと来てな。こいつを利用すれば不可能も可能に出来るかもしれないって。始まりは本当にそんなもんだったのさ」
ふー、と長く煙を吐き出した師匠はそのまま語り続ける。
「アリスは俺を慕ってくれているが、俺からすればそんなもんは幻想だ。俺は誰かに感謝されるような人間じゃねえ。アリスを拾ったのだって完全に自分の為だったんだからな」
自嘲気味に呟く師匠に私は思うところがあった。
もしかしたら師匠はアリスに対して引け目を感じていたのかもしれない、と。
今回の件にしても、師匠はアリスに対して何かを頼るようなことをしなかった。それはつまりアリスが私に対してしていたのと同じように、師匠もまたアリスを遠ざける事で彼女を守ろうとしていたのではないか……と。
「……それで役目は終わりってことですか?」
「ああ。あいつはそろそろ解放されるべきだ。俺みたいな人間にいつまでも執着してたら人生の無駄使いだぜ」
「…………」
師匠はそう言ってなんとも言えない笑みを浮かべていたが、私は笑えなかった。だって……私はアリスの本音を知ってしまっていたから。
「……クレアお嬢様が前に言っていたんです。他人への感情はその人の意思とは必ずしも関係しないって」
「あん?」
「それが例え善意だったとしても、ありがた迷惑ってこともありますよね。だから逆に相手からしたら大した事でなくても、本人にとっては大きなことだったって場合もあると思うんです」
「……アリスのことを言ってんのか?」
「はい。師匠にとっては自分の為だったとしても、アリスが感じている感謝は本物です。それは例え師匠であっても否定できるものじゃない。だって、その感情はアリス本人だけのものなんですから」
人の心は複雑で、完全に理解出来るようなものではない。
だからこそ自分がどう思うかこそが大切なのだと、今の私は思っている。
「もしも自分がアリスを縛る鎖だと思っているならそれは間違いですよ。始めからそんなものは存在しないんですから」
「…………」
またもや無言になってしまった師匠に、どれだけ私の本意が伝わったかは分からない。人の心は理解できないのだからそれも当然だ。後は、師匠が私の言葉をどう受け止めるかだけだが……それもきっと心配いらないだろうと思う。
だって……
「ちょっと! ちゃんと店の前で待っててって言ったのにどうしてそんな隅っこまで移動してるのよ!」
突然、私と師匠の前に声を荒げて現れるワンピース姿の少女。
「今日はちょっと日差しが強かったからさ。ごめんね……アリス」
「もう。だから一緒に店の中に入りましょうって言ったのに」
腕を組み、ぷんぷんと膨れっ面を作る可愛らしい姉に思わず笑みが漏れる。
「そ、それで? その……変じゃない? こういう格好をするの初めてだから自分じゃ良く分からないんだけど……」
「うん。とっても似合ってるよ、アリス。凄く可愛いと思う」
「そ、そうかしら……えへへ」
不安げな表情から一転、小声で笑みを漏らすアリスに色欲の発作がでかかったのを何とか抑える。昼間っからこんな人通りの多いところでフィーバーするのだけは抑えてくださいよ、色欲さん。
「……それで、マフィはどう思うかしら?」
「あん? あー……似合ってんじゃねえの?」
「もうっ、どうしてそこで疑問系なのよっ」
再び膨れっ面に戻るアリスは今日も忙しそうだ。
だけど、こうして外の世界に興味を持ち始めてくれたのは良い傾向なのだと思う。いつも付けていたフードを取って、堂々と街中を歩くアリスに不審な目を向けるものはいない。
結局、アリスが気にしすぎだったと言う話。良く見なければ人族との違いになんて気付かないしね。勇気を持って踏み出してみれば、それまでずっと怖かったものだって意外となんでもなかったりするものだ。
「まったく、好きな物を買ってやるなんて珍しいことを言ったと思ったら、そういうところは相変わらずダメダメよね。だからその歳まで良い人が見つからないぃぃぃ痛い痛い痛いっ! アイアンクローは禁止って言ったのにぃぃぃぃっ!」
「されるようなことをてめーが言うからだろうが」
いつものようにじゃれ合う二人を見て思う。
うん。やっぱり心配はいらなさそうだ。
この二人はきっと相性が良いのだと思う。
私にさえ入り込めない距離感を二人の間に感じてしまうのだから。
「あー、くそ。ダリい。やっぱり日中に動き回るもんじゃねえな。さっさと家に帰ろうぜ。おい、ルナ。お前今日は非番なんだろ? 久しぶりに飯作ってくれよ」
「別に良いですけど、たまには師匠も手伝ってくださいよ」
「俺は食べる専門だって何度も言ってんだろ。そういうポイント稼ぎはアリスに譲るぜ」
「ぽ、ポイント稼ぎって何よ! 人聞きの悪い事を言わないで!」
「だってよお。お前だって基本的に面倒臭がりじゃん? ルナが絡む時くらいだぜ。お前が積極的にお手伝いなんてするのはよ」
「あー! あー! あー! あー!」
真っ赤な顔で手をぶんぶん振りながら師匠の台詞を遮るアリス。
だけどごめんね。吸血鬼の聴力はばっちり二人の声を聞き分けてたよ。
「そういうことならちょっと豪華な料理でも作りましょうか。お母様達にも手伝ってもらいながら」
「おお、いいなそれ。金は俺が出すからよ。今日は豪華にやってくれや」
「え? 好きなもの食べれるの? だったら私、お魚食べたいわ! あと甘いものも!」
「なら買い物して帰らなくちゃ。これぐらいは師匠も手伝ってくださいね?」
「あん? そういうのはメイドの仕事だろうが」
「別に良いじゃない。たまには一緒にお買い物でもしましょうよ」
「……はあ、仕方ねえな。手早く済ませろよ」
最後まで愚痴を呟く師匠を挟んで、三人で王都の街を歩く。
それはまるで幸せな家族のように。
誰一人としてまともな経歴を持ってはいないが、その瞬間、この瞬間だけはどこにでもいる普通の家族のように見えたことだろう。
私にとってはもう一つの家族。
本物ではないけれど、とても大切な家族。
この瞬間を幸せだと感じる自分がいるのを、私は自覚せずにはいられないのだった。




