第240話 因果応報
学園にて水面下で行われていた純血派と劣等血種の対立。
幾つもの障害があった。幾つもの悲しみがあった。
だけど……それでも私達は乗り越えたのだ。
「えー、こうして無事に我々が再び集うことになりましたのは皆様のご協力と弛まぬ努力の結果でありまして……」
「ルナ、真面目なのは貴方の美徳だけれどもそろそろ話が長いわよ」
私が必死に考えたスピーチ内容を一蹴するクレアお嬢様。酷い。
だけどまあ確かに固すぎたかもしれない。私達の間には今更遠慮も建前も存在しない。もっとフランクにいくとしよう。
「皆ありがとっ! お疲れっ!」
「「「「お疲れ様でしたーーっ!!」」」」
私がそう言って持っていたグラスを掲げると、他の皆も倣って乾杯の声を上げてくれる。
全てが終わって最初の休日に私達はクレアの屋敷に集まって祝杯を上げていた。この会に集められたのは以前に月夜同盟の部室に集まってもらったメンバー達だ。
平民も多く参加しているこの面子を呼んだのは迷惑をかけてしまったお詫びも兼ねているのだとクレアは言う。そんなの気にしなくても良いと思ったが、こういうところがクレアの良い所なんだよね。
集まる場所がなくなってしまったのも事実なので、こうしてクレアのお言葉に甘える形にしたわけだ。屋敷を誰かが訪ねるのは本当に久しぶりだったので、クロエさんを始めとするメイド仲間の皆はとても驚いていた。
うん。その反応もどうかと思うけどね。
クレアお嬢様も成長したのだと捉えて欲しい。
「ルナ、飲み物の追加をお願い」
「あ、はい。畏まりました」
そして、その当人は持ち前のリーダーシップを存分に発揮しているご様子。ギルドも運営している彼女は本当に良く気が回る。これならすぐに皆とも友達と呼べる関係になるだろう。良かった良かった。
「ルナ」
私が追加のドリンクを準備していると背後から私を呼ぶ声が。
振り返るとそこには居心地悪そうに前髪を指でくるくるしているノアの姿が。
「なあ、やっぱりノアは呼ばれるべきじゃなかったと思うんだが……」
「それについてはもう話したじゃない。ノアはもう十分に代償を払った。誰に遠慮する必要もないよ」
「…………」
私の言葉に未だ納得の言っていない様子のノア。
彼女が純血派の人間で、部室に火を放った張本人であることは私しか知らない。ノアが心を入れ替えた以上、それは誰かに言ってもプラスなことなど何一つないからだ。
それに……
「師匠の研究を手伝ってくれるって約束してくれた時点でノアはもう許されてる。今後のことを考えるならむしろ感謝されるべきかもしれないぐらいなんだから」
あの日、純血派と和解した日にノアにした頼み事。
それは師匠に関することだった。
グラハムさんが師匠を抑えてくれたとはいえ、それだっていつまでも続くようなものじゃない。師匠は自ら選んだ道を違えはしないだろうから。
だからこそ私は師匠の求めるものを提供する必要があった。
そして、あの日、師匠とグラハムさんの決戦の日に私は師匠と一つの取引をした。
研究に必要な費用は払えないけれど、ノアの持つ頭脳はそれに匹敵する価値を持っている。それを代償として差し出すことで、純血派との対立を未然に防ぐことにしたのだ。
それで全てが丸く収まったと言えば収まったのだけれど、結局最も被害を受けたのはノアになってしまった。その点だけが心残りではある。
「それは構わナイ。ノアには時間がアル。今までが急ぎすぎたのさ。これからはゆっくりと自分の道を探すことにするよ」
「え? ノアは自分の研究……やめちゃうの?」
「ああ」
ノアにとっては一大決心あったはずなのに、あっさりとした口調でノアは言う。
「というかルナが言ったんじゃないか。未来は悲観するべきものじゃないって」
「その考え方を押し付けるつもりはないよ。ノアが望むならまた研究を手伝っても良いって思ってたのに。折角何年も研究してきたんでしょ? それにマリン先生にもう一度会えるなら……」
「ルナ」
何とか説得しようと言葉を重ねる私に、ノアが一言。
「……良いんだ」
まだ葛藤を残す表情で小さくそう呟いた。
ノアが選んだ道なら私はそれを尊重したい。横から外野がどうこう言うものでもないだろう。ノアの道はノアだけのものなのだから。
「そっか……うん。分かった。もう言わない」
「ああ。気にしないでくれ。迷わなかったわけではナイが、少なくとも後悔することはナイ。今はそう思えるからな」
「そうなの? なんで?」
何の気もなく聞き返したのだが、ノアは私の言葉に渋い表情を浮かべた。
え……なぜに?
「お前は……頭は悪くナイはずなのに、どうしてそういうところだけ……」
「え? ご、ごめんっ、なんか悪いこと聞いちゃった!?」
「別に悪くはナイが……」
そう言ってノアは赤く染まった頬を隠すかのように指先でなぞる。
いつもはきはき喋るノアにしては珍しく言葉に困っている様子だった。
「お前が……だよ」
「え? なんて?」
「だ、だから……あー! もう! お前がいるからだと言ったんだ!」
最後はやけくそのように叫ぶノア。
最早顔が茹蛸のように真っ赤になっていた。
というか私がいるから……って?
「え……え? もしかして研究を辞めた理由って……」
私との出会いをなかったことにしたくない……からなの?
最後の部分だけぼかして尋ねるとノアは、
「~~~~~~っ!」
頭から湯気を出しそうな勢いで赤面してしまった。
まさかまだ上があったとは。意外とノアは照れ屋なのかもしれない。
というか……な、なんだこの生き物は。可愛すぎるっ。
え? え? ノアってこんな可愛かったっけ?
確かに一度色欲が発動したことはあったけど……え? ヤバイ。なんかもう……好き。純粋に好きという感情が溢れ出してくる。
今すぐにこの可愛らしい生き物を抱きしめて、頬ずりして、ぺろぺろして、お持ち帰りしたい。というかする。今する。すぐする。
「良し、ノア。こっちおいで」
「な、なぜだ」
「そんなの決まってるじゃない。与えるためだよ。愛を」
「っっっ! ノ、『ノアの箱舟』ぅぅ!」
あ! 逃げた!?
くそっ……取り逃がしたか。まあいい。時間は幾らでもある。ゆっくりと時間をかけて攻略していけばいい。ふふふ。
「おーい、ルナ。何やってんだよ。一緒に話そうぜー」
ノアに逃げられ一人になるとすぐにデヴィットに呼ばれた。
折角の機会だから皆と話そうと集まっている場所に行くと……
「なあ聞いたぜ。お前ここで働いてる時ってメイド服着てるんだってな。ちょっと着て見せてくれよ」
「…………え?」
いきなりデヴィットに意味の分からない要求をされた。
今の私は学生服。今回のパーティーでこの服を選んだのには勿論理由がある。
それは……
「あ、アンナもお姉様のメイド服姿、見てみたいですっ」
「ルナのメイド姿ですの? 確かに私も興味がありますわ」
「お嬢は可愛いもの好きですからね。ルナなら絶対に似合うでしょうし」
皆の前でメイド服着るとか……恥ずかしいだろっ!
待て待て。なんで皆そんなに乗り気なんだ。私のメイド服姿なんて見たところで誰も得しないだろ。そんなパーティーの余興みたいなノリで晒し者になるのは絶対に御免だ。
「で、でも私には給仕の仕事もあるから……」
「なら、なおさらメイド服の方が良いんじゃねえの?」
ぐはっ! い、イーサン。てめえ、馬鹿の癖にこんな時だけ論破してきやがるのか!?
「でも持ち場を離れるわけにも……」
「ルナ。命令よ。着替えてきなさい」
クレアぁぁぁぁぁぁぁ!!
私は今ほど君のドS根性を恨んだことはないッ!
クリティカルヒットだよちくしょう! ほんと覚えてろよ! 卒業したらこの借りは利子つけて返してやるからな!?
「分かり……ました……では、少々お待ちを……」
ご主人様の命令とあれば従う他にない。元々メイド服姿で出迎えるのが当家のメイドとしては正しい姿なのだし……うう。一度誤魔化そうとした分、恥ずかしさが倍になってるよ。
(こんな女の子っぽい服を皆の前で……だ、駄目だ……心が挫けそうだ……)
土蜘蛛と戦ったときでさえ折れなかった私の魂が今、膝を付きかけていた。
それでも何とか着替えを終えて会場に戻ることが出来たのは一種の誇り故だったのかもしれない。幾ら姿を変えようともこの魂だけは不変。それだけを頼りに生きてきた10年を思えば、今更メイド服を着ることくらい何の問題もない……
「お、お待たせ……しました……」
……わけがあるかっ!
くぅぅぅっ! これは思ったよりもきついっ!
恥ずかしさで顔が赤くなっているのが自分で分かる。さっきノアをイジった罰なのかこれは。
恥ずかしさゆえに身をすくませながら戻った私に……
「「「…………」」」
その場の全員の視線が集まってくるのが分かる。
と、というかなんで無言。ちょっと怖……
「か……」
「か?」
「「「「可愛いぃぃぃぃぃっっっ!?」」」」
「え? えっ!?」
「なんだこれ!? ルナお前、似合いすぎだろっ!?」
「お、おおお、お、お姉様ぁぁぁぁぁぁっ♡」
「ルナっ! 今すぐ私の屋敷に仕えなさいっ! 給金を今の倍……いえ、100倍出しますわっ!」
「お嬢! 絶対に競り落としましょう! 俺の給料全部使って良いんで!」
な、なんだこの盛り上がり具合は……全員、目の色が変わったぞ。
「そ、そんなに似合ってる、かな?」
「「「「最高に!」」」」
私の問いに全員が即座に頷く。見たこともない力強さで。
「クレアさん、アンタ本当に良い仕事するなぁ!」
「ふふふ。そうでしょ。ルナの見た目に合わせてメイド服をリニューアルしたくらいなんだから」
え……? なにそれ、私も初耳なんですけど。
というか面接受かってから一週間くらい待たされたのってまさか服を新調するためだったのか?
「る、ルナ。そのす、凄く似合ってるよ。うん。か、可愛いと思う」
「あ、ありがと、ニコラ」
私以上に真っ赤な顔をしたニコラからも絶賛される。
そ、そうか。そんなに似合ってるのか、私。
複雑な気分ではあるけど……うん。これはこれで悪くない気分かもしれない。
「な、なあ。折角だからちょっとポーズ取ってくれよ」
「え? こ、こう……とか?」
さっきから妙にテンションの高いデヴの要求に咄嗟にポーズを取る私。
そして……
「ぶはっ……♡」
その隣でなぜかアンナが鼻血を流してぶっ倒れていた。
倒れたアンナをイーサンが看護している間も要求は続いていく。
まるでモデルにでもなったかのような気分だ。誰もが私を可愛いと褒め称えてくれる。
うん……悪くないね!
気付けば恥ずかしさも忘れて、むしろ皆に披露するかのようにメイド服姿を晒していた。くるりと回ってみたり、にこっと笑顔を浮かべてみたり。
煽てられて調子に乗っていた私はその後、ベッドの中で羞恥心に苛まれて芋虫にでもなったかのように体をくねらせながら枕をぼすぼすする羽目になるのだが……その時の私はそんな未来を知る由もないのだった。




