表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
吸血少女は男に戻りたい!  作者: 秋野 錦
第4章 王都学園篇

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

243/424

第239話 ふたりぼっちの世界

「くそが……」


 誰もいない訓練場の一角で、彼女……マフィ・アンデルは歯軋りしたくなるような感情を言葉に乗せ吐き出していた。

 油断なく周囲に視線を向けながら考える。

 自分の生存確率を。


「……ちっ」


 そして、やがて彼女は結論を出した。


 ──自分では絶対に勝てないというその現実を。


「そろそろ鬼ごっこもおしまいにせんかのう?」


 絶望の淵に立つ彼女に、ここが戦場だということを感じさせないゆったりとした口調で語りかける老人が一人。

 今は授業でも使われていない訓練場に声だけが響く。

 そう、その老人の姿をマフィは視認することすら出来ずにいたのだ。

 遊ばれているのが口調から分かる。それほどに二人の実力差は開いていた。


「このクソ爺……調子に乗りやがって」


「ほっほ。お前さんには丁度良い薬じゃろうて」


 ちりちりと周囲に火花にも似た音が満ちる。

 そしてゆっくりとその老人……オスカー・グラハムは唐突にその姿を現した。


「それにお前さんは少しやりすぎた。学生相手に本気を出すなど大人気ないにもほどがあるじゃろうに」


「あ? ルナのことを言ってんのか? 良いんだよ、アイツは。アイツだけは例外だからな」


「? 意味は良く分からんが……これ以上勝手をすると言うのなら儂もお前さんを止めねばなるまいよ。大戦の影響もようやく終息してきたところなのじゃ。余計な火種を内に抱え続けるわけにもいかん」


「だから俺を止めにお前が来たってわけかよ。はっ、自分だって似たようなことしてきたくせに。どの口がほざくのやら」


「それを言われると耳が痛いのう。じゃが……」


 頬を軽く掻いたグラハムはすっ……と静かに、そして鋭く目を細めた。


「お前さんを止める義務が儂にはある。お前さんの師匠じゃった儂にはのう」


「…………」


「弟子が間違った道を進むと言うのならそれを止めるのもまた師の務め。後のことは次の世代に任せるつもりじゃったが……孫弟子の頼みとあれば無下にもできんのよ」


「……ちょっと過保護すぎんだろ。クソ爺」


「ほっほ。この歳になると孫が可愛く見えるものよ。お前さんもいずれ……いや、お前さんの場合は貰ってくれる男がまずおらんか」


「やかましいわっ! 余計なお世話だっつの!」


 こめかみに青筋を浮かべるマフィ。

 そして、次の瞬間……


「むっ……」


「死に晒せ! クソ爺ッ!」


 一気に距離を詰めたマフィは必殺の回し蹴りをグラハムの側頭部に叩きこむ。

 軍式格闘術を改良した我流の体術を使いこなす彼女にとって、魔術師という人種は格好の獲物だった。詠唱の暇さえ与えず一瞬の内に意識を刈り取る。その自信がマフィにはあった。

 しかし……


「相変わらず素直な攻撃じゃのう。それに殺気も隠しきれておらん。これではどこを攻撃するか丸見えじゃ」


 マフィの放った攻撃はグラハムの体を貫通し、そのままの勢いで通り抜けていった。明らかに空を切った手ごたえに悟る。


(ちっ……『陽炎』かっ!)


 それはグラハムの持つ固有魔術の一つ。

 熱量操作により大気の密度を意図的に変化させることで光の屈折を起こし、自分の姿をまさしく陽炎の如く相手に誤認させる魔術。

 あらゆる魔術を極めたとされるグラハムだが、彼が特に得意とするのは火系統……それも『熱』に関する魔術体系であった。


「さて……続きを始めるとしようかのう」


 にっと笑みを浮かべた彼の背後から火焔が吹き荒れる。

 だが逆に彼の足元からは突き刺すような冷気が溢れ出していた。

 共に『灼熱地獄(ヘルフレイム)』、『極寒地獄(アルゲンティス)』と呼称される火系統の高等魔術。その二つを同時に発動させたグラハムを前に、マフィはひっそりと冷や汗を流していた。


 ──この爺……マジだ、と。



---



 ノアとキーラ。

 二人の純血派と同盟を結ぶことに成功してから三日後。

 クレアお嬢様は未だ体調不良で学園を休んでいた。これまで無茶な特訓を続けていた反動もあるのだと思う。この機会にしっかり休んで欲しいところだね。


 そして、私はと言うと今回の騒動の後始末に追われていた。

 純血派との対話には成功したが、私は言わば中立の立場。要は完全なる講和にはまだ至っていないということ。

 学園でクレアへの一方的な攻撃だけはやめさせられたから、従者としてはすでに任務完了と言って良い。だけど、それとは別に約束したことがある。


(キーラに対してあれだけ大見得切ったんだ。絶対にしくじるわけにはいかないな)


 それは貴族化を狙う劣等血種と呼ばれていた人達の処理に関してだ。

 私の知る範囲では師匠がまさしくこれに当たる。つまり、私にはまだあの師匠を何とかするという大仕事が残っていたわけだ。


 だけど、これに関してはすでに対策は練ってあった。

 それもほぼ100%嵌るであろう秘策だ。


(多少ずるい気はするけど……ノアとの約束もあるししょうがないか)


 それはノアとの戦いが終わった後のこと。

 ノアは私が『吸血』スキルを発動させたことに対して、かなりご立腹の様子だったのだ。


「ノアが言えた立場ではナイが……お前はもっと自分を大切にしろ。血を吸う危険性については伝えてあっただろうに。ちゃんと元通りの姿に戻れたから良かったものの」


 私を追い詰めた張本人であるノアが言うには確かにおかしな話だったが、彼女の言わんとすることは分かった。


「良いか? 本当にこれ以上血を吸うんじゃないぞ? 戻れなくなってからじゃ遅いんダ。もしも何かヤバイことに巻き込まれたならノアが代わりに戦う。だからお前はもう二度と血を吸うな」


 それが私とノアの交わした約束。

 私としてはノアに戦わせるくらいなら今度こそ戻れなくなるリスクを負ってでも自分で戦うつもりだったのだが、それを言うといつまで経っても話が進みそうになかったので私が折れる形で落ち着いた。

 だから……


「ねえ、マフィは今どんな感じなのかしら」


「えっと……そうだね。一言で言うなら……可哀想、かな」


 師匠を止める役割は私ではなくグラハムさんに任せることにした。

 実力的にも師匠を止められる人があの人くらいしか思い浮かばなかったのだが……うん。これは酷い。酷い相性の悪さだ。


 吸血鬼の視力で捉える二人の戦いはまさしく一方的というに相応しい暴虐だった。戦いにすらなっていない。それもそのはず。魔術攻撃しかしてこないグラハムさんを相手に師匠の物理防御力はないも同然。光魔術によるレジストも相手がグラハムさんでは処理が全然間に合っていない。


 複数の魔術を同時に使えるグラハムさんに対して師匠は一つずつしか解除できないのだからそれも当然。単純に手数が違うのだ。


「んー……私も視力強化の魔術を覚えていれば観戦できたのに」


「いや、これは見ないほうがいいと思うよ。なんというか色々と二人の印象が変わりそうだし」


 私の隣でアリスがぼやく。

 師匠とグラハムさんの決戦。その立会い人として彼女もまた私と同じくこの場所を訪れていた。グラハムさんから危険だからと、この位置まで離されはしたけどね。

 というか幾らなんでも遠すぎると思うのだが……一体、どれだけの広範囲に魔術を発動するつもりなのやら。


「……マフィは勝てそう?」


「いや、それは無理だろうね。流石に相手が悪すぎる」


「……そう」


 私の言葉にアリスは小さく呟いた。

 彼女の立場からしたら師匠が勝つことを望んでいるのだとは思うけど……うーん。


「ねえ、アリスはこれで良かったの?」


「良かったって……何が?」


「二人が戦えば師匠が負けるってことは分かってたでしょ。それなのにアリスは止めなかったから……その……」


「……良くはないわよ。全然ね」


 口ごもる私にアリスははっきりとした口調でそう言った。


「でも……そうね。マフィにとっては良くない結果かもしれないけど、結果的にはこれで良かったのだと思うわ」


「そうなの?」


「ええ。マフィは確かに優秀な魔術師だけれど、それだけだもの。貴族社会そのものを相手にしたら無事では済まなかったはずだわ」


 遠く見えない戦いに目を凝らすのを諦めたのか、アリスはそう言って近くの岩場に腰をかけた。

 私としてはもう少し二人の決戦を観戦していたかったが、すでに決着は見えている。

 私はアリスとの会話を優先することにして、彼女の隣に同じように腰掛ける。


「結局、ルナが全て丸く収めてしまったわね」


「そんなことないよ。私一人だとどうしたって無理だったし」


 今回の決戦のことだけではない。

 私が落ち込んでいたときに手を差し伸べてくれたクレアお嬢様、私のピンチに駆けつけてくれたイーサン、そして純血派の捜索に協力してくれた皆の助けがあったからこそ今の状況があるのだと思う。


「皆が力を貸してくれたのもルナがルナだったからでしょ。私だったらこうはいかなかったわ」


「アリス……」


「私には何も出来なかった。マフィの為なんて言っても結局はこの様よ。全部中途半端。一体何がしたかったのかしらね」


 そう言って自嘲気味に笑うアリス。

 女の子は笑っている顔が一番似合う。

 だけど……


「アリス」


 私は彼女に、そんな笑い方をして欲しくなかった。


「……昔さ、一緒に暮らしていた頃に私がアリスのお気に入りのティーカップを割っちゃって大喧嘩したこと、覚えてる?」


「え? ……ええ。覚えているけど?」


 いきなり昔話を始めた私にアリスは不思議そうな表情を浮かべた。

 確かにちょっといきなりすぎたかもね。だけどもう少し付き合って欲しいな。


「お互い意地になってたよね。今から考えると下らないことだけどさ。どんなに親しい間柄でもそういうことってあると思う」


 アリスが落ち込んでいるのは見ていて分かった。

 誰かを励ますなんて口下手な私に出来るか分からないけど……せめてこの気持ちだけは伝わって欲しかった。


「いや……親しいからこそ、なのかもね。そういうのって。小さなことで喧嘩してさ。もう絶交だ! なんて言っちゃって。どっちが悪いかなんて分かりきってたのに」


「ルナ……」


 結局その喧嘩はぎすぎすした空気に耐え切れなくなったアリスに泣きが入り始めたのでなあなあのまま元の鞘に収まったのを覚えている。


「今更だけどさ。きちんと謝らせてくれるかな。あの時はごめん。ティーカップを割っちゃって」


「……いいわよ。ティーカップぐらい。ルナに比べたら全然大したものじゃないんだし」


 わお。またこの子は天然に人を惚れさせるようなことを。

 可愛いじゃないかちくしょう。


「それで? まさかそんな昔のことを謝りたかったわけではないんでしょ?」


「え? あ、うん。そうだね」


 いかん。どうも話が脱線してしまう。

 やっぱり口下手だな。私は。

 もっとスマートに励ませればいいのに。

 だけどまあ……これも私らしいか。


「私が言いたいのは誰だって失敗するってこと。道を間違えて、それが認められないままずるずる進んでしまうことだってあると思う」


「……そうね」


 今まさに道を間違えてしまった自覚があるのだろう。

 申し訳なさそうな表情のアリスにまたもや言葉のチョイスを間違えたことを悟る。というか励まそうとして落ち込ませてどうするんだよ、私。


「えと……だからさ。アリスも落ち込む必要なんてないんだよ? 誰だって間違うし、それが本当に間違いだったかなんてのは終わってみるまで分からないんだから。これは師匠の受け売りだけどね」


「マフィの? ……ああ、でも確かにそういうこと言いそうね」


「うん。それに間違ったってそれを正してくれる人がいるなら問題ないんだよ。人は一人では生きていけない。傍で支えてくれる人がいるってことが重要なんだと思う」


 かつて土蜘蛛との決戦で、共に戦ってくれたリンのように。

 私はあの地下迷宮でそのことを教えてもらった。


「ねえ、アリス? アリスは私だったから皆が力を貸してくれたんだって言ったけど……」


 そして同時に強く思うのだ。私にとってリンがそうだったように、私もアリスにとって信用に足る人物になりたい、と。

 今はまだ力不足で、私一人の力では何も出来ないかもしれない。

 それでも……私はアリスの傍にいたかった。

 だから……

 


「──私がアリスを助けようと思ったのも、アリスがアリスだったからなんだよ?」



 足りない言葉で精一杯勇気付けようと彼女の手を取り、告げる。

 少しでもこの気持ちが伝わるように。

 もう独りじゃない。

 そのことを分かってもらうために。


「今回のことをアリスが後悔しているって言うのなら……次はもっと早くに私を頼って欲しい。そして一緒に考えよう? どうするのが一番良いのか」


 私の握る手を、アリスは振りほどかなかった。そして……


「……うん」


 アリスはゆっくりと頷き、震える声を漏らした。


「私も……ごめん。ごめんね、ルナ。ずっと避けたりして……ごめんね」


 ぽろぽろと零れ落ちる雫が地面に溶けていく。

 それはアリスが私の前で見せる始めての素顔だった。


「良いんだ、アリス。辛かったのは私だけじゃない。それがもう分かったから」


「うん……うんっ……」


 本当はもっと早くにこうするべきだったのだ。

 だけど、私達はお互いに素直じゃなかった。そのせいで随分遠回りしてしまったけれど……


「大丈夫。全部許すよ、アリス。だって私達は……家族なんだから。ね?」


「ルナっ……ルナぁっ……!」


 もう離さないと言わんばかりに強くお互いの体を抱きしめる。

 その日、私達は本当の意味で分かり合えたのだと思う。


 他には誰もいない二人だけの世界。ふたりぼっちの世界には……


「ありがとう……ルナ……っ」


 独りぼっちのあの部屋で外の世界を怖がっていた二人はもう、どこにもいないのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ