第237話 最終兵器
「それは……」
私の頼みに、ノアは逡巡しているようだった。
ノアと純血派の関係がどのようなものなのかは分からない。だけど、悩むってことは絶対に話せないと言うわけでもないのだろう。何とかして聞き出そうと更に詰め寄る私に……
「その必要はないですわよ、ルナ」
背後から、少女の声が降りかかる。
即座に振り返ると、そこには……
「キーラ……お嬢様?」
「お久しぶりね、ルナ」
やんわりと柔和な笑みを浮かべる私達のクラスメイト。
キーラ・イーガーの姿があった。
「なんで貴方がここに……」
「あら? 分からない? 思ったより勘が鈍いのね。それとも、単純に人を疑うってことを知らないのかしら? まさか予想していなかったわけでもないでしょうに」
にこにこと笑みを絶やさないまま詰め寄ってくるキーラ。
私は反射的に引き下がりそうになるが、私の手を握るノアの存在に咄嗟に立ち止まる。
「キーラ……」
眉を潜めるノアに全てを悟る。
そうか……そうだったのか。
キーラお嬢様。彼女こそが……全てを裏で操っていた純血派、その筆頭だったのだ。
「あらあら、怖い顔ですこと。折角の可愛い顔が台無しですわよ」
「……ずっと騙してたんだね。その人当たりの良い態度も私達を油断させるためにそう演じてただけで」
「そんなことはないですわよ。私だって心を痛めておりましたもの。必死に足掻く貴方達を影から見ながら、ね」
そう言って上品に口元を手で隠し、くすくすと笑い声を漏らすキーラ。
今はその笑い声がとても陰湿なものに思えて仕方がなかった。
「アリスやクレアへの嫌がらせも貴方が指示したの?」
「ええ。そうですわ。彼女達は学園に在籍するに相応しい人物ではないと判断されたの。でもそれも当然ですわよね。ここは古くから続く伝統あるエルセウス魔導学園。亜人や劣等血種が私達と肩を並べてお勉強だなんて学園の格が落ちてしまいますもの」
「それは貴方が判断することじゃない」
「そうかもしれませんわね。でも、それを言うなら今の学園長様が決めることでもないですわ。あの人は魔術の腕こそ伝説級ですが、元を辿ればただの平民ですもの。格式や伝統なんて高尚なものがあの方に理解できるとは到底思えませんわ」
伝統、格式、血統。
そう言ったものを第一に考える思想も分からないではない。
どんな国にだって象徴となるような人物、血統は存在する。実際に国を背負って立つ貴族の人達が高い地位にいることも理解している。
だけど……
「だったら正式に抗議すれば良かったじゃないか。こんな……こんな陰湿な方法で彼女達を傷つける必要なんてなかった!」
目的はこの際どうだって良い。
私にとって問題だったのはその手段だ。
「抗議ならとっくにしましたわよ。だけど、聞き入れられることはなかった。他の貴族家も『時代は変わった』などと日和見主義の意見を口にし始める始末。徐々に血が薄れているのでしょうね。平民との婚姻も今時、珍しくもないことですし」
やれやれと言わんばかりの態度でため息を漏らすキーラ。
その視線は明らかにノアの方に向いていた。
その視線にどんな意図があるのかは分からない。だけど……
「それの何がいけない? 血を守る為に望まぬ道を進むくらいなら、血を捨てでも大切な人と一緒にいる。私はその方が価値のある生き方だと思う」
「それは平民だから言えることですわ。立場が変われば意見も変わる。貴族には貴族の務めがありますの。その特権階級の代償として私達は国の為に生き、国の為に死ななければならない。その務めを放棄して、ただ権利だけを貪る連中など私達の社会には必要ない。そんなもの、むしろ害悪でしかないのですわ」
「そうかもね。でもそれはアリス達が学園にいてはいけない理由にはならない」
「私も学園に在籍するだけなら我慢しましたわよ。実際に他の科には多くの平民の方々がいますものね。私が許せないのは、魔術科の、それも貴族クラスに相応しくない血が混ざること。ただお勉強がしたいだけなら平民クラスに行けばよろしいのですわ」
「彼女達は正当な手続きを踏んで学費もきちんと払ってる。対価は払っているのだから何も問題はないでしょう」
「問題ありますわ。元平民の貴族など、信用に値しませんもの。私はね、何も平民だからと言って目の敵にしているわけではないのですわ。市民とは私達にとって守るべき対象。愛すべき領民なのですもの。私達が許せないのはただ利益の為だけに爵位を買い、貴族社会に参入しようとする連中ですわ」
徐々に熱を帯びてくるキーラの言葉。
「ただでさえ今の貴族は腐敗し始めていると言うのに、平民の貴族化など利益を貪るだけの簒奪行為以外のなにものでもありませんわ。国を預かる者として、そんな連中を野放しにはしておけません」
確かにキーラの言う通り平民の貴族化には利益が付きまとう。
師匠のような例もあるし、確かにキーラの言うことにも一理あるのだろう。幾らなんでも極端だとは思うが。
(これは……駄目だな。最初のスタート地点から意見が食い違ってる)
グラハムさん達、元平民貴族は純血派の妨害を『既得権益に固執する古い貴族の妄執』だと言った。そして純血派のキーラは彼らを『国の資金を横取りする簒奪者』だと言うのだ。
果たしてどちらの言い分が正しいのか、それを判断することは平民の私には出来ない。情報があまりにも断片的で、主観的に過ぎるからだ。
「ルナ、貴方には分かりませんわ。私達の気持ちなど。私達の持つ覚悟など。貴方にはどうして私がここに来たか、それが分かりますか?」
「それは……」
キーラの言葉に、私は何も言えなかった。
もしかしたら私に殺されるかもしれない。その可能性はゼロではないのに、どうしてキーラはこの場所に現れたのか。それが私には分からなかったからだ。
「……ルナ、こいつはお前が吸血鬼であることを知っている。恐らくそれをネタにお前を脅迫するつもりダ」
「えっ……」
ゆっくりと立ち上がると、私を守るかのようにキーラへと立ち塞がるノア。
「固有魔術、『遠見の魔眼』。キーラは事前に登録した者の瞳……今はノアの視覚情報を共有することで情報を一方的に集めることが出来る。だから……こいつはずっと見ていたんダ。学園でもずっと、それに……ノア達の戦いも」
「あら、もうネタばらし? まあいいですわ。私だけが一方的に隠し事をするのもフェアじゃないですものね。確かに私は『遠見の魔眼』で一部始終を見ておりましたわ。まさか吸血鬼が学園に潜んでいたとは思っていなかったからとても驚きましたが……ルナは別に野心家ではないですし、評価を変えたりはしませんからご安心なさって」
いつでも雇って上げますから、と微笑むキーラ。
話を聞いた後だとてっきりクレアへの嫌がらせだと思っていたのに、あの勧誘は本気だったらしい。まだキーラの冗談である可能性もあるが。
とにかく。
(しかし……それだとなおさら分からない。どうしてキーラは私の前に現れた? 吸血鬼の私の前に、どうして……)
怖くないはずがない。
ノアの視点で私を見ていたということは、私が『威圧』スキルで偽の殺気を放つところも体感したはずなのだ。それなのに、彼女はのこのこと私の前に現れた。
それはつまり絶対に殺されない自信があるということ。
もしくは……
「それと先に断っておきますが、別にルナが吸血鬼だからといってそれを理由に貴方をどうこうするつもりはありませんわ。私はルナが何をしようと、それを止めるつもりはありませんもの」
こいつ……やっぱりそっちか。
あまりにも余裕な態度だと思ったんだ。何か秘策があるようにも見えないし、『遠見の魔眼』も確かに凄い魔術ではあるが戦闘ではそれほど役に立つ術だとは思えない。
つまり……キーラは……
「さあ、私はどちらでも構いませんわ。私の言葉に共感して協力してくれるも良し。私に反発して私を殺すでも良し。貴方のお好きにどうぞ」
──ここで私に殺されるという結果を、すでに許容しているのだ。
死ぬことを覚悟しているのなら、どんな脅しも効果は為さない。
すでにキーラはそれほどの覚悟を持ってこの場に臨んでいるのだ。
「私がこの場に現れた意図をより詳しく説明するなら、私は私の覚悟を貴方に見せたかったのですわ。貴方はとても優秀な魔術師。ノアと同じく、私達と共に戦うに相応しい戦士と判断しましたの。劣等血種の掃討に協力してくれるならノアと同じように貴方にも望むものを与えましょう」
そう言って再びにこりと可憐な笑みを浮かべるキーラ。
この人……見かけによらずとんでもない胆力だ。
私を自らの陣営に加えるために、自分自身の命を賭け皿に載せてきやがった。
並大抵の覚悟じゃない。この人が言うなら貴族の責務とやらも信用しても良いのかもしれない。いや……実際にキーラはこうすることが正しいと信じているのだ。
嘘や虚飾を一切配せず、ありのままでぶつかってくるキーラ。多少なりとも私の人柄を知って、反応を予測出来ていたにしても豪胆すぎる一手と言えるだろう。
「はは。随分、私を評価してくれるんだね」
「ええ。私は才能ある人が大好きですもの。それに謙虚な人も。ルナは私の思う理想の人に近いのですわ。どうかお友達になりましょう? ルナ?」
「それはとても魅力的な提案だね。それなら……そうだね。一つだけ条件を呑んでくれるなら貴方の陣営に加わるよ」
「ルナっ!」
焦った様子で私を見るノアを手で制し、ゆっくりと追い越しキーラへと近づく。一歩、一歩と確実に。そして……私はその条件を口にした。
「アリスとクレア。この二人への妨害をすぐにやめてくれること。それが私の出す唯一にして絶対の条件。どう? 呑める?」
「……私達が手を止めたところで、向こうが争うつもりならどの道止められませんわ」
「そっちは私が止めてみせる。口約束にはなっちゃうけど……そこは私を信じて欲しい」
「…………」
私の言葉に口を閉じ、考え込む様子を見せるキーラ。
ここだ……ここが私達の運命を決める分岐点。
ようやく純血派の人間と交渉のテーブルにつくことが出来たのだ。この機会は絶対に逃せない。ここを逃せば……きっと戦争は止められない。
(頼む……キーラ。呑んでくれ。私に時間をくれ。争いを止める為の時間を)
祈る思いでキーラの言葉を待つ私。
そして……
「駄目ですわね」
やがて、キーラは短く、そう呟いた。
「別にルナのことが信用出来ないわけではありませんわ。これは私達の信条の問題ですの。どんな理由があれ、我が国の不利益になるような存在は見逃せない」
「…………」
駄目……か。
キーラの覚悟は固い。クラスの中心であり、他の生徒達のまとめ役でもあるキーラがそういうのなら現状を変えることはどうしたって出来ない。どんなに言葉を交わしても、すでにキーラは進むべき道を定めてしまっている。
これではどんな言葉も届きはしない。
私の交渉は……失敗だ。
「他の望みであれば叶えて差し上げますわよ。大金でも何でも。私達の持っていないものなどほとんどありませんもの。大抵のものは準備して差し上げますわ」
「……いや、私の条件は一つだけだよ。私にも譲れないものがあるからね。それ以外の施しは必要ない」
本気で私が欲しいのか、再度交渉を始めるキーラ。
だが私にすればこれはもう終わってしまった交渉だ。
キーラは私に望むものを与えてはくれない。それがはっきりと分かってしまったから。
「そう……それはとても残念ですわ。金銭や地位などという俗物に惑わされない貴方のような人物こそ、私達の同士に相応しいと思いましたのに……」
そう言って本当に、本当に残念そうな表情を浮かべるキーラ。
そして……
「では……私を殺しますか? そうすれば一時的には妨害工作も止まるかもしれません。ですが、それも新しい指揮系統が生まれるだけ。結果は何も変わりませんが……それでも時間稼ぎにはなるでしょう」
キーラは両手を広げ、私の選択を受け入れた。
「私の提案を受けないと決めた時点で貴方に残された道は二つに一つですわ。純血派と徹底的に争うか、それとも全てを諦め逃げ去るか。お好きな方を選ぶとよろしいですわ」
確かにキーラの言う通り、私の目指す講和への道はほとんど詰んでしまっている。両者共に争いを止める気がないというのだから、それも仕方がないと言えば仕方ないけど。
だけど……
「まだ……道はある」
「……なんですって?」
全ての希望が消えてしまったかと言えば、そうではない。
「言っておきますけど、私達に対してはどんな交渉も意味はないですわよ。私達は使命と責務によって行動しているのですもの。物欲に目を眩ませるようなことは決してありません」
「そうだろうね。話していて分かったよ。キーラにはキーラの理想とする貴族としての姿があって、それを貫く為に命を賭けている。その姿は純粋に尊敬できるし、力になってあげたいとも思う。だけど……」
ゆっくりとキーラに近づきながら、私はかつてウィスパーに言われた言葉を思い出していた。
「私はさ……多分、そっちじゃないんだよ。従者の立場になってそれが良く分かった。昔、知り合いに言われたこともある。私は『与える側』の人間なんだって」
「? 何を言っていますの?」
「何かを得るためには何かを捨てなければならない。それがこの世界の理だ。それは分かってる。だけどさ……何を捨てるかくらいは自分で選びたいじゃない?」
一歩、更にキーラへと近づく。
「……なるほど。それで私を切り捨てるというわけですのね。良いでしょう。それもまた一つの結果です。私の賭けは失敗した。そういうことのようですわね」
「確かにキーラの望むものは手に入らないかもね。私、自分勝手だからさ。プレゼントとかでも相手が贈って欲しいものより、自分が贈りたいものを選ぶタチなんだ」
更に一歩、キーラに近づく。
すでに私は手が触れるほど近くにキーラへと近づいていた。
目線の先に、キーラの瞳が近づく。私は彼女へあることをするため、ゆっくりと手を伸ばした。
「私が死んでも純血派は死にません。決して折れることなどないのですわ。私達の覚悟を、決意を、最後にその瞳に焼き付けるといいですわ。ルナ」
キーラは瞳を閉じなかった。
彼女はこれから起こる事柄全てを許していた。
やっぱりこの人は凄いね。私には自分の命を無条件で差し出すなんて出来ない。それだけの覚悟をキーラは持っているということなんだろう。でも……ごめんね。君の命なんていらないよ。
だって、私は『与える側』だから。
「望むなら……与えてあげる。ただし、それは貴方の考えている冷たい『死』なんかじゃないから」
「……なんですって?」
私が何をしようとするのか分からず、きょとんとした表情を浮かべるキーラ。
本当は瞳を閉じて欲しかったけれど……仕方ない。ならば、その目に焼きつけるといい。私が君に与えるその瞬間を。
「さあ、与えてあげよう」
ゆっくりとキーラの顔が近づく。
彼女が逃げられないよう右手で後頭部を支えた私はそのまま……
「私の──『愛』を」
一瞬の猶予も与えず、キーラの唇に私の唇を押し付けた。
「~~~~~~~~~~っっっ!!??」
死ぬことは予想していても、キスされるとは思っていなかったみたいだね。熟れた林檎のように真っ赤になったキーラの顔が可愛らしい。咄嗟に押しのけようと腕を突っ張ってくるが、私は更に強引に体を密着させる。
力では敵わないと悟ったのか、キーラはすぐに諦め、ぎゅっと瞳を固く閉じてこの陵辱を耐えようとする。だけど……
──まだ終わりじゃないよ?
(本当はこんな手段なんて取りたくはなかったけど……仕方ない。全ての責任は取る。だから頼む……一度だけ私の不義理を許してくれ)
私は目の前の少女に謝り、そして……
──全力で『魅了』スキルを発動させた。
「…………っ!?」
その瞬間、びくっ! とキーラの体が跳ねた。
ぶるぶると体を震わせ、呼吸が荒くなる。目尻が下がり、とろんとした表情を覗かせる。
そう。これこそが私の切り札。
最低最悪の最終兵器。
「……ぷはっ……」
やがて唇を離した私は、崩れ落ちそうになるキーラを両腕で支えこむ。
まるでお姫様にするかのように優しく抱きかかえたまま、止めとばかりに耳元で囁く。
「ねえ、お願い。私は皆と仲良くしたいんだ。だから……協力してくれないかな?」
私の囁きに、耳まで真っ赤にしたキーラは小さな声で、しかし、確かに、
「…………はぃ……♡」
目をハートマークにしながら、こくりと頷くのだった。




