第236話 朝焼けと共に
夢を見ていた。
あの日、絶望を知ったあの日の自分。
母親の死を前に、自分は何も出来なかった。
あまりにも無力で、あまりにもちっぽけな自分。
それからの人生はそんな後悔に突き動かされただけの人生だった。
自分が間違っているということは最初から分かっていた。
だけどそれでも歩みを止めることだけはどうしても出来なかった。
もう一度あの温もりに触れていたくて。
もう一度あの優しい声が聞きたくて。
私は、ただ……もう一度。
母親に──会いたかっただけなのだ。
---
徐々に空が朝焼けに染まる頃。
その少女はゆっくりと瞳を開いた。
そして……
「……る、な……?」
「あ、やっと起きた? 良かった。もう少しで夜が明けるところだったよ。このままここにいたら焼け死ぬかと思ってた」
ノアの放った魔術の爪痕が色濃く残る校庭で、私は膝で眠るノアの顔を覗きこむ。かなり長い時間眠っていたから少し心配だったのだが、どうやら無事に目を覚ましてくれたらしい。
「どうして……ノアは……ルナに、殺されて……」
「誰が誰を殺したって? 私がノアをって言ってるならそんなことありえないから」
「な……」
「ノアも言ってたじゃん。私にノアが殺せるわけないって」
私とノアの決着。
最後の最後で私は魔法陣だけを壊すように『紅椿』を操作した。
その結果、無茶な軌道で『血界』そのものが砕けてしまったが当初の目的は果たせたのだから良しとしよう。操作性は今後の課題ってことで。
「だけど……お前、覚悟を決めてるって……」
「うん。決めてたよ。自分が死ぬ覚悟をね」
ノアの言葉に私は軽い笑みを浮かべて見せる。
「そもそも純血派との講和を目指してる私にノアをどうこう出来るわけがないじゃない。まあ、確かに途中はちょっと吸血モードのせいでハイになってたのは認めるけどさ。それでもノアを傷つけたりなんか出来ないよ。それに……」
力なく横たわるノアの前髪を軽くかき上げる。
そうして良く見えるようになった瞳を覗きこみながら、私は告げる。
「それに私にとっての『日常』にはノアも含まれてるんだから。自分でそれを壊すような真似はしないよ」
アリスやクレアが私にとって守りたい人だったように。
「私はね、ノアのことも守りたいって思ってたんだよ。戦ってる途中もずっとね」
私の言葉が意外だったのか、そこでノアは驚くような表情を浮かべた。
そして……
「なんで……どうしてお前はそこまで……」
ノアは私に問いかける。
私の真意を。
「……私は知ってるんだよ。死ぬってことがどういうことなのか」
それはきっと一度死んだ私にしか分からない感覚。
「ノアはさ、死んだ後には何が残ると思う?」
「……死んだ後?」
「うん」
「…………」
私の問いに、ノアはしばし無言で考え込み、そして、
「……残らナイ」
静かにその答えを口にした。
「何も残らナイ。死んだ後には何も……何も残らない……だから……ノアはもう一度……」
ここではないどこかを見つめるノア。
彼女の求めるものはここにはない。だから、彼女は戦ってきた。
だけど……
「正解はね、『思い出』だよ」
私は彼女の出した答えを否定せずにはいられなかった。
それがこれまで積み上げてきた彼女の努力、その全てを否定することになるとしても。
「人は死して名を残す。結局、最後に残るのは他人の中の自分だけだと思うんだ。そして、誰からも忘れられたとき、その人は本当の意味で死ぬ」
私は一度死んで、生まれ変わった。
その時に感じたのは残された人達がどう思ったかだ。
前世の私はお世辞にも人の役に立つような人間とは言えなかった。
もしかしたら私が死んだことに対して、誰も悲しまなかったかもしれない。
そう想像した時、私はとてつもない恐怖に襲われたのだ。
「だから私はいつだって理想の自分を追い求めてる。いつ死んでも悔いが残らないように。私が死んで、いつか誰かから『あいつは良い奴だった』なんて言ってもらえるように。だからね。結局は全部自分の為なんだよ」
人の本質はそう簡単には変わらない。
自分勝手に生きてきた自分がいきなり誰かの為になんてそんな善人にはなれない。
例え、生まれ変わったとしても。
「だからって死を許容しているわけじゃないけどね。無茶なことをしている自覚はあるし、死ぬ覚悟も決めてたけど、別に死ぬつもりがあったわけじゃない。いつだって、どんな時だって」
あの地獄のような日々でさえそうだった。
もしも生きたいと思えなくなった瞬間があれば、私はあっさり死んでいただろう。
「死は救済になりえる。だけど、それを自分で選ぶようなことだけは絶対にしてはいけないんだ。それは逃げだし、死んでいった全ての人に対して不誠実だ。だから……」
そこで言葉を区切った私はそっと、ノアの頬に手を添える。
冷たく、柔らかな感触。
「だから……ノアももう二度と死のうとなんてしないでくれ」
「な……っ」
驚くノアに、私は自分の考えが当たっていたことを悟った。
最後の瞬間、ノアは瞳を閉じて私の攻撃を受け入れた。
避けるでも、防ぐでもなく、ただ受け入れた。
それはきっと……私と同じように、ノアもまた覚悟を決めていたから。
いや、覚悟というよりは願望に近いのかもしれない。
失ってしまった人にもう一度会いたい。そう願うノアの気持ちは分かる。痛いほどに分かってしまう。だからこそ、ノアには魔術を使って過去に戻る他にももう一つ、とても簡単に会いに行く方法があると私は知っていた。
「ノアは残された人の痛みを知っている。だからそれを他の誰かに押し付けるような真似はしないでくれ。私はノアがいなくなったら……辛いよ」
「……お前は、こんな私を……まだ……許してくれるのか?」
「当たり前だよ。だって私達……友達じゃない」
優しく微笑み、ノアの手を取る。
少しでもこの気持ちが伝わるように。
「…………温かい」
私の手を恐る恐る握り返したノアはたった一言、そう呟いた。
そして……
「……っ」
空いた方の腕で目元を押さえると、静かに声を殺し、嗚咽を漏らし始める。
「すまない……ルナ……本当に、悪かった……っ」
「…………」
頬を濡らしながら謝るノアの頭をゆっくりと撫でつける。
まるで母親が我が子をあやすかのように。
「謝る必要なんかないよ。ノアは何も悪くない」
「だけど、ノアはっ……部室を燃やした……ルナの居場所を……壊したんだっ」
「それだってノアの意思じゃない。そうでしょ?」
「だけど……」
ノアは罪悪感を抱えているようだった。そして、それはきっとそう間単に晴れることはないのだろう。
ノアの目的、純血派との対立。それらの要素が今のノアを苦しめている。
だったら……
「大丈夫だよ、ノア。私はノアの味方だから。全て私に任せてくれたら良い」
私はその全てを排除しよう。
私の大切な人達が笑って暮らせるように。
「……だから教えてくれ、ノア」
ようやくここまで来たのだ。
私は私の役目を果たす。
私にしか出来ない、その役目を。
「──ノアに指示を出した人間、純血派のまとめ役がどこにいるのかを」




