第234話 朱色の刃
私は言った。
命を賭けると。
その言葉に嘘はない。彼女たちの日常が守れるのなら、彼女たちの笑顔が守れるのなら、私は何度だってこの命を賭けて闘いに身を預けよう。
それこそが私に与えられた使命なのだと、そう信じて。
「……ふっ……ッ!」
ノアが最大出力の魔力を放つ寸前、私は自分で自分の右手首を思い切り切り裂いた。ドバドバと流れ落ちる血に、意識して傷口をそのままで固定する。『再生』スキルによって塞がってしまわないように。
そう。私の新技には『血液』が必要なのだ。
魔力を通す触媒としてこれ以上の適任もいない物体。それが血液。
まずはこれに風系統の魔力を纏魔する。
(ここは『舞風』の応用で慣れてるから問題はない。問題なのは……)
瞳を閉じ、魔力の制御に全力を傾ける。
風系統の魔力が纏魔された血液は重力に逆らい、うねうねと蠢き始める。ここから更に……魔力を練り上げる。
私の『影魔法』が魔術に対して有効な防御手段とならないのは、それが100%魔力で構成されている物質だから。物理的な干渉力が高くても、魔力による影響を受けやすい側面を持っていた。ならば……
(魔力の影響を受けにくい物質を混ぜてやれば良い。つまり……実際に存在する物体を)
だが、それは同じ纏魔の技術だとしても難易度が段違いである。
そもそも自分の体以外への纏魔は難易度が高い。魔術師は基本的に武器を持たないからだ。イーサンのような魔法剣士と比べ、何かに魔力を纏魔させるという発想がそもそも起こりにくいのだ。
加えて私が今回、媒体としたのは血液。つまりは液体なのだ。
コーティングして強度を増すための闇系統の纏魔。
そして、それを自由自在に動かすための風系統の纏魔。
この新技には二つの纏魔が必要になる。つまり、それは……
(『術式複数展開』の亜種。実際に術式を展開する処理が必要ないとはいえ、それを扱う難易度に変わりはない)
ぶっつけ本番でやるにはあまりにも無謀に過ぎる策。
だが……それでもやるしかない。
彼女を、ノアを超えようと思うならばこの程度のことはやってのけなければお話にならない。
「《其は闇を払いし黄金の光・照らし・映す・神秘の奔流──》」
短い期間とは言え、私もこの学園で学んできた。
その成果を今、収束させる……
「《道往く先に・光あれ──》」
イメージならすでに私の中にある。
私はずっと『影魔法』を使い続けてきたのだから。
言うなればこれはその上位互換。傷を生み、『再生』スキルを一時的に停止する必要があるが、その代わりに物理強度と魔法抵抗力を極限にまで高めて作るこの魔法に名前を付けるならば……
「《──『グラン・レイ・ヴェル・ソーラ』》!」
──それはきっと、こんな名前が相応しい。
「我が血を糧に……形成せよ──」
迫り来る光の奔流。まるで流星群のように迫るその弾幕に対し、私は……
「『血界』」
静かにその、魔法の名を呼んだ。
「──『紅椿』ッッ!!」
その瞬間、体内の魔力が爆発するような勢いで右手へと集まり始める。
血液が加速し、真紅の魔力となって一つの形へと収斂されていく。
つまり……一振りの刀へと。
「うおおおおおおおおおおおおッ!」
物体としての側面を持つこの魔術に射程距離は存在しない。
魔力を込めれば込めただけ、血を流せば流しただけ、その体積がそのまま私の射程となる。つまり……
「全弾全て……打ち落とすッ!」
この光の奔流に対してさえ、対抗することが出来る!
更なる魔力を右腕に加えた私は血液を分離、それを横薙ぎに振るう『紅椿』の軌道に合わせて飛ばす。
複数の軌道を描いて飛ぶ血の斬撃は光の弾丸に激突し、眩い閃光を周囲に散らしていく。魔力の塊である光系統の魔術では同じく魔力の塊である闇魔法には干渉出来ても物体である血液までもは貫けない。
「ノアの言う通り、きっとこの世の中にはどうしようもないことがたくさんある。後悔しない道なんてないのかもしれない。だけど、それでも……ッ!」
光の弾丸を打ち落としながら一歩、また一歩とノアへと向けて進み続ける。
「決まりきった結末なんて、この世には絶対にありはしない!」
ノアが『過去』を切望したように、私は『未来』を信じている。
「ノアが『今』に絶望していたとしても、過去に囚われる必要なんてない! 未来は……私達が進む先にはきっと光が待っているはずだから!」
進めば進むほど険しくなる光の包囲網。
体中の傷を放置しながら進む私はきっと愚か者だ。
だけど……それでも、私は……
「……どうしてそんなことが言える。決まった未来がナイと言うのなら、今より酷い未来が待っているかも知れないじゃナイか。どうしてお前は、そこまで楽観できる」
少しでも早く、一秒でも早く……
「ノアには……無理ダ」
今はこの、一人ぼっちの少女の元に辿り着いて上げたかった。
「ぐっ……!」
降り注ぐ光の弾丸はまるでノアが私を拒絶しているかのようだった。
それ以上近づくなと、そう告げられているようだった。
「やめろ、無駄ダ。ルナではノアに……届かナイ」
「だ、から……ッ! 決まりきった未来なんて、ないって言っただろッ!」
崩れかける足に力を込め、大地を踏みしめる。
「お前だって、そうだろうが! 今が認められないから過去に帰るんだろ!? 諦めきれない過去があるから進み続けているんだろうが!」
体中、血だらけになりながらも一歩、一歩と確実に前へと進み続ける。
そして、ついに……
「だったら全てを犠牲にしてみせろ! この期に及んでまだ……」
私はノアを自らの射程距離へと収めるのだった。
「まだ、私を殺す覚悟が出来ねえのかよッ!」
「…………っ!」
私より遥かに賢いノアが言ったのだ。私では届かないと。
なのに私はまだ生きて、ノアへと迫りつつある。それはつまりノアがまだ全力を出していないということ。
私がノアへと辿り着いたその事実。
それこそがノアの不義理の証明だった。
「ノアに出来ないってんなら……私がやってやる! 私が終わらせてやる! 言っただろ! 私はもうとっくの昔に覚悟を決めてるんだ!」
右手に魔力を集中。
魔法陣の全てを攻撃に回してしまった今のノアには避ける術などありはしない。
つまり……
「これで……終わりだ! ノアッ!」
私の右手から放たれる紅の斬撃。
それは光系統の魔術ですら防ぐことは出来ない。
真っ直ぐ、一直線にノアの元へと向かうその一撃はやがて……
「…………っ」
空を裂き、その鮮血を宙に撒き散らす。
それと同時に粉々に砕け散った魔法陣が光の残滓となって、宵闇に消えていく。静かに、音もなく。
それが……私とノア。
二人の魔術師の決着の合図となるのだった。




