第232話 魔術師VS魔術師
それは突然の出来事だった。
僅かに揺れる風の波を感じた私は咄嗟に前方へと駆け出していた。そこへ……
──バチチチチチィィィィッッ!
耳を劈くような音と共に、紫色の閃光が屋上に降り注いだ。
(ちぃっ……!)
広がる閃光に避け切れないと判断した私は咄嗟に足元に影を集中。それを踏み台として空中に退路を求めた。
だが……それがいけなかった。
「《其は闇を払いし黄金の光・照らし・映す・神秘の奔流──》」
「…………ッ!?」
私が飛んだ先に、まるで未来でも見てきたかのようなタイミングで両腕をかざすノアの姿がそこにはあった。
「《道往く先に・光あれ──『グラン・レイ・ヴェル・ソーラ』》!」
そして、視界全てを覆い尽くすかのような光の奔流がノアの両腕から放たれる。
(くそっ! なんだよこれはっ! こんなのもう固有魔術みたいなもんじゃないかっ!)
そのあまりにも強すぎる輝きに通常の影魔法では通用しないことを悟った私は……
「《森羅に遍く常闇よ・集い・形成せよ──》」
より強固なイメージを練る為に、詠唱を開始する。
出来るかどうかは分からない。だがやらなければ死ぬ。
「《──【ヴィルディング】》ッッ!」
私が作り上げたのは普段使っている『月影』の型。
それを手のひらで受け止めるように広げた私は渾身の力で光の奔流へと対抗する。
そうしてぶつかる光と影、黄金の光と漆黒の闇。
だが、その趨勢は数秒と持たずに決着がついた。
「ぐっ……あああああああああッッ!」
全身を突き刺すような痛みが襲い掛かる。
だが、今はそれにすら構っている暇はない。
「くっ……!」
視界さえ満足に働かない状態で『影糸』を作り出す。
そしてそれを足場として一気に下降する。
もはや墜落と言っても良い勢いで屋上に舞い戻った私はそのまま疾走を開始。
(絶対に立ち止まるな! 立ち止まった瞬間に撃ち抜かれる!)
それはノアの追撃を確実なものとして理解していたから。
そして、その予想は裏切られることなく更なる光の奔流が上空から降り注ぐ。
「ちぃッ!」
まるで雨のように降り注ぐ弾幕。
滅茶苦茶に狙いをつけてきているのだろうが、その数が多すぎる。
このままでは防戦一方になると判断した私は屋上から飛び降り、校庭を目指すことにした。決して低くない距離を飛び降りながら、上空から迫る光弾を影槍で撃墜していく。
そのほとんどは貫通され、僅かに軌道をずらすことしか出来なかったが直撃さえ避けれればそれでいい。
地面を転がるようにして怪我を最小限に抑えた私は折れた足を治しながら駆け抜ける。目指すのは以前にも師匠と戦った第三訓練場。あそこなら木々が密集していて視界が悪い。ノアのような遠距離専門の魔術師を相手にするならあそこが最善だ。何とかあそこまで駆け抜けることが出来れば……
「言ったはずダ、逃がさナイと」
「……くっ!」
そうそう簡単にノアが行かせてくれるわけがない、か。
だが動き回ることに意味がないわけでもないぞ。
ノアの魔術にだって射程はある。距離が開けば開くほど威力は落ちるし、私に防御される可能性が高まってくる。だからこそノアは一定の距離を保って攻撃し続ける必要があるのだ。そこが私の狙い目。
(そう。魔術には射程という限界がある。そして……魔術は連続で発動出来ない。必ずクールタイムが発生するものだ。その一瞬の隙に懐に飛び込むことさえ出来れば……っ)
「変成──『ツバキ』ッ!」
迫り来る弾丸を『集中』スキルによりスローモーションのように写る世界の中、手元の『ツバキ』で弾き飛ばしていく。
正直に言って魔術同士のぶつかり合いでは『干渉』に特化した光系統が最強だ。だが、向こうとこちらでは術者との距離が違う。向こうの10%の出力に対してこちらが100%で対応出来れば防御も不可能ではない。
とはいえ……
「ぐっ、はっ……!」
それも完全でばない。
飛んでくる弾丸を『ツバキ』で受け止めるのはまさしく実弾をナイフで切り飛ばすが如き難易度の高さだ。完全にガードすることは到底望めない。
だがそれでも私はこの状況に居座り続ける。粘り、その一瞬の隙を狙い続ける。
(魔力効率の良い単一の光系統魔術を相手に消耗戦は本来悪手も良いところだ。だけど……)
向こうはこちらの弱点を知っている。
だが、逆に言えばこちらの長所も知っているということ。
ならば私は向こうの持つ『知識』を利用する。
(そうだ。焦れろ。こっちには『再生』スキルがある。このぐらいの火力なら幾らだって受け止められるぞ)
吸血鬼の持つ回復能力。
それがある限りノアは決定打を催促され続けるのだ。
もしもノアがこのまま消耗戦を続けるなら魔力保有量の差で私の勝ちになる。『色欲』と言う名のジョーカーを隠し持つ私にとって消耗戦はむしろ望むところ。
だが……きっとそうはならない。
(ノアは賢い。私がこの状況を良しとしていることから見抜いてくるはずだ。私の持久戦狙いを。だから……)
無言のまま続く魔術の応酬。
お互いがお互いの裏をかこうと戦術を練っているのが分かった。
そして、永遠とも思える一瞬の拮抗の後……
──ついに、ノアが動いた。
(……来たッ!)
持久戦を狙っていた私だが、短期決戦を挑まれた場合の返しも当然用意していた。『ノアの箱舟』のクールタイムは恐らくそれほど短くはない。あれほど広範囲を対象とする魔術だ。認識領域の獲得にも相当の時間を要するはず。そして、それはこれまでの戦いぶりからも見て取れる。
少なく見積もっても10秒。これが『ノアの箱舟』起動の絶対必要時間だ。
(その10秒で距離を詰めきる事が出来れば……私の勝ちだッ!)
威力を上げるため、僅かに距離を詰めてきたノア。
その前進に合わせて私もまた動き始めていた。
「らあああああああああッ!」
体を貫く光の弾丸は全て無視する。
防御は完全に『再生』スキル任せ。私は意識の全てを反撃に回す!
「…………っ」
私が同時に距離を詰め始めたのを見て、ノアが急停止。そして、視線を私の背後へと向けた。
(──そこかっ!)
それもまた『ノアの箱舟』の弱点。
可視領域内における瞬間移動を実現させるその術理はその特性上から必ず、元の視線の先に術者が現れるのだ。
そのことに気付いていた私はノアの転移先を把握、ノアが術式を起動した瞬間には踵を返していた。
そして間もなく現れるノアの姿。転移後は体勢も元の方向に限定されている。つまり、私の背後に回る際には向こうもまた私を背後に捉えているのだ。
(ここだ! ここで決める……ッ!)
瞬間移動できる人間との競争では絶対に勝てないだろう。
だが、私は身体能力と反応速度でノアを圧倒している。
振り返る隙さえ逃さなければ……追いつける!
(今度は逃がさないっ! 一瞬で意識を刈り取ってやるッ!)
右手に『月影』を形成。そのまま体当たりする勢いでノアに突撃し、振りかぶる。時間にしてその間、僅か3秒。ノアの秘術の再発動には7秒もの時間がある。
そして、この距離からノアを気絶させるのに時間なんて2秒もいらない。
つまり、それは……
「私の──勝ちだッ!」
ノアに迫る『月影』。その拳が小さな体を叩きつけ、意識を奪う。
長く苦しい戦いだったが、ついに……ついにその決着がつく。
……はずだった。
「…………え?」
──相手がノア・グレイでさえなければ。
私の視線の先、先ほどまでそこにいたノアはまるでそれ自体が白昼夢だったかのようにその姿をかき消していた。
その現象が理解できず、呆然とする私に……
「ルナがカウンターを狙っていたことには気付いていた。お前には勝ち筋がそれしかナイのだからな。逆に言えばノアはそれさえ警戒していれば絶対に負けナイということでもアル」
ノアの無情な声が響く。
遥かなる頭上から。
「だからこそルナが距離を詰めた瞬間にノアは二段構えの回避策を用意していた。いや……正確に言うなら五重の回避策、だナ」
釣られるように視線を上へと向ける私。
そして……そこで私は見た。
「そんな……まさか……」
「ルナの狙いは間違っていナイ。ルナが勝つには『ノアの箱舟』の起動後を叩く他にナイからな。それももう一度発動されて逃げられる前に。そういう意味でルナの戦術はどこまでも正しい。だが……相手が悪かったな、ルナ」
それは以前に授業の中でも聞いたことがあった。
実際にグラハムさんが行っているのも見たことがある。
だからそういったことが出来る人種が存在することは知っていた。
だが……そんなものは本来、考慮することさえ馬鹿らしい確率の問題だ。
「ノアは頭の中で複数の術式を同時に処理することが出来る。これが魔術師戦闘においてどういう意味を持つか、お前も知っているだろう?」
そう言って私を見下ろすノア。
その足元には『ノアの箱舟』の魔方陣が浮かび上がっていた。
「──『術式複数展開』。ルナもこの言葉くらいは聞いたことがあるはずダ」
そして……足元のそれとは別に全部で四つ。
「『五重展開術師』。ノアはそう呼ばれている。つまり……」
「──ノアは同時に五つの魔術が行使出来るということダ」




