第227話 最高の狙撃手
(まずい……この状況は非常にまずいぞ)
消えたノアの姿を必死に探す。だが、いくら周囲を見渡してもノアの姿を視認することは出来なかった。
私はノアの秘術、その本質を知っている。だからこそ急いでノアを発見するか、身を隠す必要があるのだが……
(くそっ……せめてノアのいる方角さえ分かればっ)
逃げるにしてもどちらに向けて逃げれば良いのか見当が付かなかった。
そして、私が立ち止まって迷っている間に……
「ぐっ……ああああああぁぁぁぁぁっ!」
どこからともなく飛来した光弾が私の体に直撃した。
まるで雷に打たれたかのような痛みに歯を食いしばりながら、私は光弾の向かってきた方向にあたりを付ける。
(ノアの魔術にも射程距離はある。それほど遠くにはいけないはずだ)
校舎の近くに植えられた記念樹の周辺が怪しいと睨んだ私はそちらに注意を向けながら、走り出すのだが……
「……がっ、はっ……ッ!?」
次は私の左腕を貫くように光の筋が通り抜けた。
それも私が意識していなかった背後から。
(まさか……ノアの箱舟は連続で発動出来るのか!?)
見当違いの方向から攻撃が来たことで、私は完全に疑心暗鬼に陥っていた。
ノアの居場所が分からない。遠距離から魔術を砲撃のように放つタイプの魔術師にとって、それはまさしく最高のアドバンテージと言えるだろう。例えるなら絶対に見つからない位置から銃弾を放てるスナイパーだ。戦場でこれほど厄介な敵もいない。
そう、ノアの秘術とは、ノアの箱舟の能力とは……
「──可視領域内三次元転移式。つまり……瞬間移動の魔術式。それがノアの研究していた秘術の副産物ダ」
聞こえた声は背後から。
振り向かなくても分かった。
ノアは……今、私のすぐ後ろに立っている。
「これさえあればノアは無敵ダ。誰もノアに触れることなんて出来ナイのだからな。強力な範囲攻撃でもあれば話は違ったのだろうが……ルナとノアでは相性が悪い。悪すぎる。どうやってもルナではノアに傷一つつけることも出来ナイだろう」
「……それをわざわざ言いに来たっての? 追撃するチャンスを棒に振ってまで?」
「ノアはお前とは戦いたくナイ。結果の見えてる事象に興味なんてないんダ。無駄は省こう。それが有意義な時間の使い方ダ。それにノアの目的はルナを殺すことじゃナイ。それが目的ならとっくの昔に終わってる」
「…………」
それは……確かにそうだ。
ノアは私を殺そうと思えばいつでも殺せた。こんな回りくどい方法をとって追い詰める必要なんてどこにもない。
「ノアの目的はルナを五体満足の状態で拘束しておくこと。それさえ出来るなら無駄に傷つけるようなことはしナイ。ノアは無駄を嫌うからナ」
「……なるほどね」
今のノアの口ぶり、ようやく私の予想にも信憑性が出てきたな。
つまり……
「それがノアのご主人様からの命令ってわけ?」
「…………」
私の問いに、今度はノアが黙り込む番だった。
ずっと考えていたこと。それは平民のノアがなぜ純血派の側に回っているのかと言うことだ。考えられる理由は幾つかある。最悪のパターンだとノアが純血派の奴隷になっていることまで考えられる。少なくとも、ノアが純血派の人間の言いなりになっていることは間違いがない。
つまり……
「ノアはただ言われたことをしているだけだ。本気で私達に危害を加えるつもりがあったわけじゃない。私はそう信じてる」
私の気持ちを込めた断言に、若干の間を置いて呆れを通り越し困惑している風にノアが答える。
「……お前、本気で言っているのか」
「本気も本気だよ。だってそうでしょ。どんな魔術や武器だって使い手次第でその用法が変わるもの。そこに人を害する手段があったとしても実行したのはその使い手自身の意思なんだから」
「その使い手がノアだった可能性もアル」
「かもね。でも、そうじゃない。私はそう信じてる」
私とノアはたかだが一ヶ月程度の付き合いしかしていないただの同級生だ。それも週末に一緒に魔術の研究をしていた程度の交友関係。相手の全てを知っているなんて口が裂けても言えはしないだろう。だけど……
「私はノアを信じてる。そして、だからこそ……」
「────ッ!」
振り向き様に振るった私の拳が空を切る。
ぎりぎりのところでノアは転移を完了させたらしい。見れば、まだ目で見える位置でノアはこちらを訝しむ様な視線で眺めていた。
無言のまま油断なく薄い青色の魔法陣を展開するノア。どうやらあれがノアの箱舟の魔術式らしい。詠唱なしで使えるってのも強い点だね。
「──私は許せないんだよ。ノアを使って裏でこそこそやってるソイツがさ」
「……ルナは不思議な奴だナ。ここまでされてまだノアのことを信じてるのか。そういえば火災の原因を偽装したりもしたのに、無駄足だったしナ」
「偽装って……もしかして、出火原因を煙草にしたこと?」
「ああ。お前とアンデル教授は仲違いしていただろう。だから、そっちに意識を向けようとわざわざ同じ銘柄のものを仕入れたのに、お前は真っ直ぐここまで来た。ルナには物事の本質を見抜く力があるのかもナ」
そこで初めてノアは笑みにも似た表情を浮かべた。
「だが、人を信じるってのはそういうことなのかもしれないナ。決して盲目的ではなく、性善的でもない。ルナのことを理想家だと判断したことがアルが、それも間違いだったのかもしれナイ。ルナは……理想を語るが、見ている現実はどこまでもリアルだ」
だからこそ、とノアは続ける。
「これだけは理解出来ナイ。どうしてまだ戦う? どうしてまだ抗う? 現実が見えていないわけではないだろう。つまりルナ、お前は……」
私を見るノアの瞳に力がこもる。
それはどこか眩しげで、輝いて見えた。
「──お前はまだノアに勝てるつもりでいる。そうだナ?」
そう言って眉を歪めるノア。私にはそれが興味深い被検体を見つけた科学者のそれに見えた。
「別に勝てるなんて思ってないさ。ただ……」
「ただ?」
「……真剣勝負ってのは終わってみるまで分からない。私はただそう思ってるだけだよ」
私の言葉に、ゆっくりと満足げな表情を浮かべるノア。
「良い。良いナ、それ。未知こそこの世で最も尊いものダ。ノアにとっては先の見えた未来なのだが、お前にとってはどうやらそうではないらしい。ならば……見せてみろ、ルナ」
そう言ってノアは楽しげに右手を掲げて見せた。
「ノアの知らない未来を、見せてみろ!」
それはノアが本気を出し始める合図。
本格的な戦争への幕開けだった。




