第225話 最強の魔術師
深夜の学園を渡り歩く。
私がまず向かったのはかつて月夜同盟の部室だった場所だ。建物は火災の影響で崩れ落ち、今は見る影もない。立ち入り禁止の立て札と共に貼られたロープを掻い潜り、中へと入っていく。
「……一瞬で終わっちゃったな」
止める暇もなく、気付けばこの場所は燃え落ちていた。
これまで何度も自分の無力を痛感してきた私だが、今回のも相当なものだ。絶対に犯人は許すわけにはいかない。それがたとえ、どんなに親しかった人物であろうとも、だ。
「…………」
まだ撤去されていない瓦礫の山を慎重に崩しながら犯人に続く手がかりを探す。私の予想が確かなら、ここにはきっとアレがあるはずだ。
「……はあ……はあ……」
重い瓦礫の山は動かすだけでも一苦労だ。私が吸血鬼でなかったらこんな重労働は出来なかっただろう。だからこそ……きっとまだ証拠はこの現場に落ちているはずなのだ。
「ぐっ……どこだ……どこにある……」
深夜の学園で一人証拠を探す私。
本当は見つかって欲しくはなかった。決定的な証拠が出てくれば、それは同時に"彼女"の有罪を意味してしまうからだ。だから……この苦労が徒労に終わることを願いつつ作業を続けること数時間近く。
手が炭で真っ黒に染められた頃に、私はついに見つけた。
「……あった」
それは一枚のプラスチックにも似た材質のカードだった。
特殊な鉱物を使って加工されたこれは簡単には壊れない強度を持っている。熱にも強く、多少変形してはいるがあの火災の中でも原型を留めていた。
そして……私はこのカードに対し、見覚えがあった。
トランプ程度の大きさで、中央には魔法陣が描かれている。魔法陣について詳しくない私では見ただけでどんな術式かは理解出来なかった。理解は出来なかったが……私はそれを知識として知っていた。
それは"彼女"の前で何度も見せてもらった魔術だったから。
自分の夢の為、その研究の成果なのだと"彼女"は嬉しそうに語っていた。
そんな"彼女"を見て、私は自分が少しでも研究の手助けとなるならそれで良いと。そう思っていた。
私の本当の種族を知って、受け入れてくれた人。
私は"彼女"のことをずっと友人だと思っていた。
思って……いたかった。
「……なんでだよ」
式札とも呼ばれる魔法陣の描かれた簡易魔導具を手に、私は震えていた。
悲しみに、やるせなさに、そして……怒りによって。
「何でこんなことをしたんだよ……ノアッ!」
いつの間にか私の背後に立っていた"彼女"……ノア・グレイに向けて、私は吼えた。この感情全てをぶつけるかのように。
そして、私の怒声を浴びるノアは小さく、しかし確かに笑みを浮かべていた。
それはまるで悪戯のバレてしまった子供のように。
「いつから気付いていたんダ、ルナ? ノアが純血派の人間だと」
「……最初に違和感を持ったのはクレアのロッカーが荒らされていた時だよ。あの時私は気付いていたんだ。あの場所にノアがいたことを」
その時は別に不思議には思わなかった。
だが、後で思い返してみればあの場所にノアがいるのは不自然だったのだ。
「ノアは平民クラスの人間だ。校舎が違う。朝のあの時間帯にノアがあの場所にいるのはおかしいと思ってたんだ」
「ならその頃からノアのことを疑っていたのか? 疑っていてノアを仲間に加えようとしたのか?」
「疑ってなんかいなかったよ。いや……正確に言うなら疑いたくなかった、なのかな。ノアは私のために色々としてくれていたし、友達だと思っていたんだ」
「……思っていた、か」
過去形で語る私にノアが自嘲気味に口元を歪ませる。
ここで私の前に現れたということは隠し立てするつもりはないのだろう。ノアが裏切り者だったことは辛い事実だが……この機会を無駄にするつもりはない。
「ノア。お願いだ。まだ私達の間に少しでも友情と呼べるものが残っているのなら……純血派の人達との講和に向けて協力してほしい」
「……はは、ここまでされてルナはまだ純血派との講和を目指すつもりなのか。面白い……愉快なほど愚かだナ、お前は」
愉快と言いつつ、全く楽しそうにないノア。
「言っとくけど関係ないとは言わせないよ。このタイミングで事を起こしたんだ。純血派と無関係と言うなら、なぜ火を放ったのか。その理由を聞かせてもらう。この魔導具が落ちていた時点でノアの犯行だってことは確定しているんだから」
私がノアに見せるように手元のカードを掲げると、ノアは悲しげに目を細めた。
「……ルナに研究を見せたのは失敗だったナ。出来るだけ足の付かないようにしてきたつもりだったが……ノアもまだ詰めが甘い」
「答えて、ノア。私に協力するのか、しないのか」
「協力する、と言ってルナは信じられるか? 一度裏切ったノアを許すことが出来るか?」
「本当に協力してくれるなら許すよ。まだ私の目指す場所への道は閉ざされてはいないんだから。まだ取り返しはつく。まだ手遅れにはなっていない。私はそう信じている」
私達の関係はまだ終わってはいない。
そう願いを込めた私の言葉に……
「は、ははっ……ははははっ」
ノアはゆっくりと、笑い声を上げた。
「本当にルナはお人よしだ。ノアがわざわざこの場所に来た意味が分からないのか?」
「分かってるよ。分かってるからお願いしているんだ」
つうっ……と、額に汗が流れるのを感じる。
ノアと向かい合いながら、私は冷や汗を流していた。
「──"その手を下ろすんだ"、ノア。私達はまだやり直せる」
真っ直ぐに私に右の手のひらを向けたまま、微動だにしないノア。
どうやら……ノアはここでやる気らしい。
まるで天気の良い日に草原を歩くかのごとく自然体のノアは手を掲げたまま私に問いかける。
「ルナはアリスとクレア、どちらが大切ダ?」
「……どっちがって、そんなの決められるわけないじゃない」
「甘いナ。そこが甘いんダ。ルナは。アリスはもう決めていたゾ。自分の中で優先順位を決め、その為に迷うことなく動いていた。あの会議の中でノアはアリスの考えた方に共感した。ノアは自分の意思をしっかりと持った人間を好むからナ」
「……私が優柔不断だって言いたいの?」
「いや、違うナ。どちらも選ばないことを選んでいるルナの決断もまたノアは尊重する。ノアが言いたいのは……」
そこで言葉を区切ったノア。
その瞬間……
「ノアにとってルナは……最優先ではないということダ」
──ノアの体から、怖気を誘うような殺気が溢れだした。
それは『威圧』スキルにも似た闘気。背筋に走る寒気に弾かれるように私はその場を飛び出した。そして……私がいた場所を、閃光が駆け抜けた。
「光系統の初級魔術──『ソーラ』。確かルナはこれが苦手なんだったよナ?」
「くっ……」
最悪だ。最近、魔術師に対して相性が悪い事が発覚してしまった私に対してこのカードは酷い。それも相手は私が吸血鬼であることを知っている。その弱点をつくのもお手の物ってことか。
「さあ……決戦を始めよう、ルナ。純血派と劣等血種。どちらがこの学園に不要なのか」
バサッ、とコートを翻し宣言するノア。
いつも着ている古びたコートとは違う。所々に魔導具らしき道具が見え隠れしているノアの対戦闘用装備。
「殺す気でかかってくると良い。そうでなければ……」
全く引く気がないらしいノアは氷のような無表情で私を睨み付けながら言う。
「──死ぬぞ。お前」
当代主席。魔術師筆頭。同世代の中で最も魔術に秀でた少女が、自ら手がけた最高装備の魔導具を用意して私の前に立ち塞がる。
それはこれまで戦ってきた誰よりも小柄な少女。
だが、そんな彼女から感じる圧力はこれまで戦ってきた誰よりも重く、深く、私の体に重圧となって圧し掛かるのだった。




