第212話 色欲VS怠惰
「『怠惰』……だって?」
視界に写るその情報が、私には信じられなかった。
もしかしたらそんな人がいるかもしれないと予想はしていた。だけど、それはやはりもしかしたら程度の仮定で、実際にいるとは思っていなかったのだ。
しかも、それがこんな身近な人間だったなんて。
「びっくりしてるとこ悪いんだが……稽古中だってこと、忘れてんなよ」
「…………ッ!」
師匠の言葉にはっと我に返った私は咄嗟に後方に跳躍していた。
眼前を通り過ぎる手刀に前髪が揺れる。
そうだ。今は呆然としている場合じゃない。師匠が私と同じ人種だったことは驚いたが、私がすること自体が変わるわけじゃない。
だけど……
(私は……勝てるのか? この人に。私と同じ力を持っているこの人に……)
「はっ! さっきまでの威勢はどうした!」
「くっ!」
追撃してくる師匠の攻撃を迎撃し、いなしていく。
何度も組み手をしたから動きのパターンは頭に入っている。だけど、それでも師匠は常に私の上を行っていた。
「ふっ!」
「しまっ……!」
気づいたときにはもう遅い。
腕を取られた私は一瞬にして、師匠に組み伏されてしまっていた。
「はい、俺の勝ち」
だが……
「ん? おっ?」
軽く驚く師匠の前で、私は取られていた右手を蝙蝠に『変身』させて、拘束を解いた。まさか師匠も私がこんな方法で脱出するとは思っていなかったのだろう。珍しく驚いた表情を浮かべていた。
「ちっ、そういや吸血鬼には特殊なスキルが色々あるんだったな。つかお前、スキル多すぎんだろ。うっかり忘れちまってただろうが」
鑑定を使って私のステータスを見ているのだろう。
師匠は呆れの混じった目で私を見ていた。
これまで何度も助けてくれた鑑定がまさか自分に使われることになるなんて。これはもう、ほとんどの手札を晒されたも同然だ。師匠はそれをあまり有効活用できていないようだけど、これでまた一つ私の有利が消えたわけだ。
それに、さっきの攻防。
吸血鬼の蹴りを受けて平然としているなんて普通じゃない。間違いなく原因はあの狂ったステータスだ。
魔力6370の私が言うのもなんだけど、物理防御力4250って何だよ。ふざけてんのか? あの土蜘蛛ですら1800だったんだぞ? どう考えても人間の堅さじゃない。
しかも、師匠の動きを見るに単純に体が硬化しているわけでもなさそうだ。もしそうなら間接が固まって動くことすらままならないだろうからね。ということは全身に液体金属を纏っているようなものと考えるのが妥当だろう。ターミ○ーター2の敵みたいな奴だな。
(あれだけの物理防御だ。物理的な攻撃は全て防がれると思っていいだろう。つまり……私とは最悪に相性が悪いぞ、これは)
私は高い身体能力と影魔法をメインに使う。そして、その両方が物理攻撃力に特化した構成。あの高い物理防御を貫くにはそれだけの火力が必要になるが……さっきの一撃で分かった。分かってしまった。今の私の手持ちのカードでは師匠には傷一つ付けることはできないだろうと言うことが。
それはたとえ、吸血モードだったとしても変わらないだろう。吸血モード+獅子王だとしても厳しそうだ。
「……幾らなんでも、それはずるいでしょ」
「はっ、お前も人のことは言えねえだろうが。実際、吸血鬼とその『色欲』は相性抜群だと思うぜ」
まあ、確かに。
師匠の『怠惰』は物理防御力を上げるもの。『再生』スキルを持っている吸血鬼からしたら不要と言えば不要な能力だ。むしろ、あらゆるスキルに魔力を使う分、『色欲』の方が相性は良い。
だけど……
「それを言うなら師匠と『怠惰』も相性抜群でしょうに」
物理攻撃は『怠惰』で。そして魔法攻撃は光魔術で防げば良い。
さらに近接戦闘を得意とする師匠にその物理防御の高さはまさに鬼に金棒だ。『怠惰』を持っている以上、師匠はどんな反撃だろうと一切を無視できる。防御を捨てて攻撃に全ての意識を割けると言うわけだ。
「そりゃ、このスキルを活かせるように戦闘スタイルを作ったからだっつの。初期手札から強いタイプのスキルじゃねえよ。お前の『色欲』みたいに万能じゃないしな」
最初から強いタイプじゃない? 馬鹿を言うな。魔術を使える人間がこの世界にどれだけいると思っているんだ。圧倒的多数にある一般人には師匠にダメージすら与えられないだろう。
それこそ、優秀な魔術師。それも純粋な攻性魔術に特化したタイプでなければ師匠とはそもそも勝負にならない。
(この私ですら師匠に対する有効な攻撃手段が見つからないんだぞ。この人に傷をつけられるであろう人間なんて……それこそグラハムさんクラスの超人じゃないと無理だ)
圧倒的な基本性能。それこそが師匠の一番の強みであり、長所。
しかも……あのスキル。
(『狒々王』、ね。これは明らかに私の『獅子王』と同じ類の大罪スキルの派生。これだけのスペックの上、更に奥の手まであるなんて……)
「……ふう」
何と言う理不尽。
何と言う暴虐。
こんなことが許されていいのか?
これまで私と戦ってきた人間がいつもこんな思いをしていたのかと思うと、本当に申し訳なくなってくるレベルだ。
しかし……
「変成──『ツバキ』」
私は負けるわけにはいかない。
絶対に。なんとしても。
「おいおい。もう分かっただろ。お前じゃ俺には勝てねえよ」
「だとしても……諦めることなんて、できない」
強く意思を込め、右手のツバキを握り締める。
そして……
「あああああああッ!」
私の勝機なき戦いが、幕を上げた。




