第211話 罪の証
常識的に考えて人族の人間がたった一人で吸血鬼に勝てるわけがない。たとえ吸血モードでなかったとしてもそれは変わらない。
速度が、膂力が、魔力が、基本的なスペックが人族のそれとは大きく離れているからだ。だからこそ、私が気をつけなければならないのは私にとってのウィークポイント。つまり、魔術による制圧攻撃だ。
(鑑定……は、やっぱり駄目か)
今回ばかりは絶対に負けられない勝負。
私は全力で対処するため、師匠のステータスを読もうと鑑定スキルを使ったのだが不発に終わってしまった。これは以前から何度も試していて分かっていたことなのだが、師匠にはなぜか鑑定スキルが効かないのだ。
鑑定が発動しない原因はいくつかある。
フードなどで顔が良く見えない場合、対象との距離が遠すぎる場合、色々ある。だが、今回はそのどのケースにも当たらない。私にとってはまさにイレギュラーと言える事態だ。だが、その原因にはすでに見当がついている。
「なんだ? こねえのか? だったら……」
私の目の前で軽く腰を下ろした師匠は、
「こっちから行くぜッ!」
まるで弾丸のような勢いで私に向けて飛び出してきた。
風になびく紅の頭髪だけが視界で揺れる。師匠は特殊な歩法を用いて、視界から消えるように動くのだ。吸血鬼の動体視力でようやく追いついたその先で、
「まずは……一撃ッ!」
すでに眼前にまで距離を詰めてきた師匠が大きく拳を振りかぶる。
咄嗟に両腕をクロスして、ガードするが……
「しゃらくせえっ!」
そのガードごと私は師匠の一撃によって吹き飛ばされてしまった。
魔術師としてはあり得ないその膂力は師匠の師匠たる由縁だ。彼女は魔力の扱いに関してはまさしくエキスパート。アリスも使っていた魔力を纏って身体能力を底上げする纏魔も最高の熟練度で習得していることだろう。
そして……それこそが、師匠に対して鑑定が効かない理由でもある。
(つぅ……なんて馬鹿力だよ……)
いきなり重い一撃を食らってしまったが……見えたぞ。
何とか持ち直した私は、一瞬師匠に対して鑑定が発動したのを見た。恐らく師匠は普段から光系統の魔力を纏魔し、魔術的な干渉を防御していたのだろう。
スキルは魔力を消費して発動するものが多い。つまりおおまかな分類で言えば、スキルは魔術と同じということだ。
魔力によって生じる現象は同じく魔力で対抗できる。
そして、最も効率よく魔力に干渉するのが『干渉』に特化した光属性の魔力。つまりは光属性の纏魔だ。師匠はそれによって私の鑑定を弾いているのだろう。
(となると『威圧』や『魅了』スキルは師匠に通用しない可能性が高い、か。まあ元々使う気もなかったから別に構わないけど、いきなり手数を減らされたのは痛いな)
私はそれほど手数が多い方ではない。
どれが有効な一手となるか分からない現状では、切れるカードは一枚でも多いに越したことはない。何しろ……
「はっ、あっさり吹き飛ばされやがって。お前もまだまだ甘いな、ルナ」
私は師匠に対する情報を一切持っていないのだから。
師匠がどんな系統の魔術を得意としているのかすら私は知らない。体術が並外れて優れているところを見るに、近接格闘をメインに据えた物理攻撃型の魔術師である可能性が高いことくらいだ。
(近接戦がメインになるなら身体能力を上げられる『付与』に特化した水系統の魔力が得意系統になるはず。だけど、師匠は治癒魔法が使えない。あれほど見事な光系統の纏魔を使っているのだから、光系統の魔力に適性はあるはずなのに、だ。だとすると水と光が必要な治癒魔術が使えない理由はないはず……まあ、ずぼらな師匠のことだからあえて習得していない可能性はあるけど)
鑑定が使えない私は相手の使う魔術を類推することができない。
これは魔術師戦闘における大きなディスアドバンテージだ。
いや、まあそれが普通なんだけどさ。鑑定なんてチートスキルを使える私がおかしいだけで。
(最低限の備えとして、光系統の魔術は常に警戒かな。水系統はひとまずないと仮定しよう。そんなに何個も何個も持ってるようなものじゃないし)
先天的な才能が必要になる魔力適性は努力でどうこうなるものじゃない。近くにアリスやらグラハムさんやら天才がたくさんいるせいで忘れかけていたが、本来魔力とはそういうものだった。
(なら、光魔術が飛んでくる前に距離を詰めて……いや、師匠相手にそれをするか? あの人に肉弾戦で勝てる可能性がどれほどある?)
今後の方針を考える私は、このどうにもやりづらい距離感に覚えがあった。
「……はは、なるほどね」
「あん? なんだよ」
「いや、流石は師弟だなって、そう思っただけですよ」
そう。そうだ。このやりづらさはアリスに感じていたものと全く同じなのだ。
離れれば遠距離魔術。近づけば格闘戦。どちらにしろ、相手のペースに巻き込まれるこの戦法は元々師匠のものだったんだ。修行を積み、熟練度を高めたアリスと戦っていると思えばいい。
それなら……
「そろそろ……こっちから行きますっ!」
私の取るべき戦法もまた、あの時と同じだ。
近接戦と見せかけ、奇襲で一気に仕留める!
「影法師──ツバキッ!」
右手に魔力を集めた私はまず、刀の型に魔力を形成。
そのまま切り込む姿勢を見せながら……
(ここだ……ッ!)
「影糸──影舞踏ッ!」
刀の形に集めた影を一気に展開。
私と師匠を包み込むように糸の結界を張り巡らせながら、一気に跳躍。まるで蜘蛛のように糸を手繰って空中を駆け抜ける私は師匠の頭に向け、アリスに放ったものと同じ渾身の踵落としを放つ。
そして……
「ぐっ、あッ!」
ゴッッッ! という鈍い音と共に、苦悶の声が漏れた。
「ぐっ、な……なん、で……っ?」
──私の口から。
まるで鉄塊でも蹴り付けたかのような反動に、体中を痺れにも似た痛みが駆け巡る。私の放った一撃は確かに師匠に直撃している。それなのに……
「……ほらな。やっぱり調子に乗ってんだよ。おめえは」
師匠はまるでびくともせず、ただ静かに私を睨みつけていた。
そして……軽く腕を振ると。それだけで私はトラックにぶつかったかのような衝撃と共に結界ごと後方に吹き飛ばされるのだった。
「勝てると思ったか? 吸血鬼の自分に勝てる奴はいないって、そう思っていたんじゃねえか?」
「ぐ……」
「まあ、それも分からない話じゃないけどよ。実際、大抵の人間はお前に手も足もでないだろうしな。だが、お前はもっと知るべきだ。自分以上に強いやつがいるという事実を。そして、それを恐れるべきだということを」
いつもの授業のように、言い含める口調で師匠は言う。
「なあ、勝てると思ったんだろ? 吸血鬼である自分に、そして……」
私にとって、まさしく青天の霹靂と言うべき、その一言を。
「『色欲』を持つ自分には、誰も勝てないってな」
「……………………え?」
師匠の口から飛び出した言葉の意味が、一瞬私には分からなかった。
なぜなら、それは吸血鬼であること以上に私にとっての大きな秘密だったから。まだ誰にも語ったことのない秘密。私のルーツとなる前世の罪。
それは本来なら誰にも分からないはずの事実だった。
そう……"普通の人間には"。
「人にはない力を持つ優越感は気持ちが良かったか? 何でも自分の思い通りになる全能感は心地良かったか? そりゃあ調子にも乗るよなあ。仕方ない仕方ない。だけど……それもここまでだ」
それは何度か考えたことのある推測。
私は前世の罪により『色欲』の罪を与えられ、この世界に落ちた。
ならば……"他にも私と同じように罪を与えられた人間がいるのではないか"?
「ほら、使えよ。『鑑定』を。今度はちゃんと見せてやるからよ。そして、理解しろ」
まさに言われるがまま、咄嗟に鑑定を発動した私は……見た。
【マフィ・アンデル 人族
女 32歳
LV27
体力:325/325
魔力:210/210
筋力:320
敏捷:234
物防:4250
魔耐:245
犯罪値:2150
スキル:『鑑定』『システムアシスト』『知能』『器用』『怠惰』『魔力感知』『魔力操作』『魔力制御』『土適性(74)』『光適性(82)』『狒々王』】
どこかで見たことのある歪なステータス。
そして、どこかで見たことのある特殊なスキル。
そう……それは……
「お前じゃ俺には勝てねえよ──『色欲』」
転生者のみが持つ、罪の証だった。




