第210話 相容れぬ価値観
周囲を木々に囲まれた第三訓練場の一角で、私と師匠は向かい合っていた。
樹木のおかげで太陽光が遮られているのはありがたい。恐らく師匠は私の体のことも考慮してここを選んでくれたのだろう。
「……それで、話ってなんだよ」
外に出たついでと言わんばかりに煙草に火をつけながら催促してくる師匠。
それに対して、私は周囲に人影がないことを確認して、早速本題に入ることにした。
「アリスから話を聞きました。アリスがどうしてあんなことをしたのか。そして……師匠が何をしようとしているのかも」
「……へえ」
アリスから口止めはされていたが、どうせこの師匠には全てバレていることだろう。それに下手に遠まわしに言ったところで煙に巻かれるのがオチだ。それなら最初から真正面からぶつかってやる。
「師匠の研究の為には純血派が邪魔。それは分かりましたよ。だけど、他に法方はなかったんですか? こんな乱暴なやり方じゃなくて、もっと平和的な解決方法が」
「おいおい。俺は別にまだ何もしちゃいないぜ? 純血派と勝手にドンパチ始めたのはアリスだ。俺が悪いみたいに言われると困るぞ」
「確かにそうかもしれませんけど、貴方はアリスを止めなかった。アリスが先走る可能性くらい師匠なら良く分かっていたはずです」
「はっ、俺は別にアイツの親でも何でもねえんだぞ。アイツがやりたいことを止める権利なんてないし、アイツのしたことに対して責任をとる義務もない。それとも何か? お前は俺がアリスを監禁でもして、勝手に動けないようにしておけば良かったってのか?」
「何でそう極端なんですか。そうじゃなくてもっと話し合えって言ってるんですよ。私だって師匠がしようとしていることを知っていたなら手伝えましたし、こんなにややこしい事態になることもなかった」
元々自分勝手な師匠だけど、今日は特に変だ。
まるで挑発するかのような師匠の物言いに思わず私も口調が荒くなってしまう。
「手伝う、ねえ。実際こうして俺を止めようとしているじゃねえか。それなのに話してくれていたなら手伝いましたよって、幾らなんでもそれは良い顔しすぎじゃねえか?」
「手伝う気はありましたよ。師匠が私達に最初から全てを話してくれていたなら」
「はっ、自分のことを棚に上げてそれを言うかよ。お前だって吸血鬼だったことを俺達に黙ってたじゃねえか」
「それは……」
くっ、痛いところを突かれてしまった。
流石は師匠。口から生まれてきたのではないかと疑いたくなるような揚げ足取りだ。この人を説得するのは骨が折れそうだぞ。
「……少なくとも私はアリスをこのまま放置しておくことには賛成できません。このまま純血派から狙われ続ければ……アリスはいつか死んでしまいます」
「ま、そうだろうな。アリスは確かに優秀な魔術師だが、闇討ちされれば防ぎようもない。向こうが本気になればあっという間にあの世逝きだろうよ」
「っ! それが分かっているならなんで……ッ!」
「なんで止めようとしないのか、ってか? そんなん決まってるだろうが。それがアイツ自身の選んだ道だからだ。アイツは最初から死ぬ気で俺の役に立とうとしていた。なら、それを止めるのは野暮ってもんだ」
紫煙を燻らせながら、興味なさげに息を吐く師匠に、私はついに我慢の限界だった。
「野暮とかそんなことよりアリスの命のほうが大切に決まってるじゃないですか! 師匠はこのままアリスが死んでも良いって言うんですか!?」
まるでアリスの生死に興味がないかのような師匠の口ぶりに、私は声を荒げて問い詰める。そして、それに対する師匠の答えは簡潔なものだった。
「ああ」
たった一言。
なんでもないようにあっさりと首肯した師匠に、私は愕然とした。
それは師匠が嘘をついているようには見えなかったから。この人は……本気でアリスが死んでも良いと思っている。それが分かってしまったから。
「それがアイツの望みなら仕方ない。俺にはそれを止める権利なんてないさ。せいぜい純血派との抗争の火付け役として利用させてもらうだけでな」
そして、アリスをまるで物か何かのように言う師匠に対し、私は……
「……アリスは師匠の為にって……そう言ってたんですよ」
「あん?」
「それなのに……アンタは……っ」
師匠に詰め寄り、その胸元に手を伸ばし啖呵を切っていた。
「アンタはアリスの保護者なんだろうがッ! それならあの子の幸せを考えてやれよっ! アリスは……アリスは……ッ!」
思い返すのは昔、私に対して本音を零したアリスの姿。
孤独に震えながらも、私に手を伸ばしてきた、一人の少女の姿だった。
「アリスはこれまでずっと独りだったんだぞ! アリスには幸せになる権利がある! これまでの不幸を全部チャラにするような幸せな未来が待ってないといけないんだ! そして、それができるのは一番アリスの近くにいたアンタなんじゃないのかよっ!」
アリスが師匠を一番に想っているのは見ていれば分かる。
なんだかんだと良いながらも、アリスはずっと師匠と一緒にいた。そして、今は師匠の為にその命までも危険に晒して戦っている。その代償がこんな結末だなんて、私は認められなかった。
口調荒く詰め寄る私に対し、師匠は……
「……離せよ」
「え?」
「離せって、そう言ってんだ」
逆に私の手を取り、締め上げると瞬く間に私の体を投げ飛ばした。
回転する視界に、咄嗟に受身を取りながら地面を転がる。
そして、体勢を立て直したその先で見たのは……
「さっきから黙って聞いてりゃよお。幸せになる権利だの保護者としての義務だの勝手なことばかり言いやがって。自分の価値観押し付けて上から目線で講釈垂れてんじゃねえよ。一体お前はいつからそんなに偉くなったんだ? ああ?」
本気で怒りを露にする師匠の姿だった。
かつて師匠の言いつけを破って街に出かけたとき以上に深く、深く。まるで修羅のように怒気を滲ませる師匠はかつてない凄みをまとっている様に見えた。
「旅の途中でも感じたことだけどよ、お前ちょっと調子に乗ってんじゃねえか? 自分ならなんでもできる。自分なら誰にも負けない。だから、なんでも自分の思い通りになると思ってやがる」
「そんなことは……」
「ないと、そう断言できるか? お前は確かに強い。これまで何人も助けてきた実績がある。だけどよ、助ける過程でお前はその障害となった人間を何人も排除してきたはずだ。それはつまり、お前はお前の基準で助ける人間と助けない人間を選んできたってことだ。どちらも同じ人間のはずなのによ」
「……確かにそうかもしれません。だけど、この世にはいない方が良い人間は存在する」
「だからそれが調子に乗ってるって言ってんだよ。なんだ? お前は神にでもなったつもりなのか? ちょっと強くなったからって、何でも思い通りになると思ってんじゃねえぞ。ガキが」
軽く首を鳴らしながら、師匠は煙草を地面に投げ捨て足で踏みつける。
そして、私を見ると指をくいっと曲げて見せた。
「良い機会だ。久々に稽古をつけてやる。来いよ。もしもお前が勝ったらお前の言うとおり、アリスを止めることを考えてやるよ。俺の流儀には反することだがな」
それは明らかな挑発だった。
もしかしたら師匠は最初からそのつもりでこの場所を選んだのかもしれない。
いずれ私が止めにくることも想定し、動いていた。つまり……師匠には吸血鬼に勝つ算段があると見るべきだ。だが……
「その言葉……忘れたとは言わせませんよ」
これはまたとない絶好の機会だ。
ここで師匠を抑えることができれば、純血派との講和に向けて大きく進むことができる。これ以上アリスが戦う必要も、クレアが狙われる必要も、グラハムさんが心を痛める必要もない。
全員で同じ方向を見て、動くことができるようになる。
だから……
「……本気で行きます。うっかり死なないように注意してくださいね、師匠」
「はっ、言ってろ」
ここは絶対に負けられない。
負けるわけには……いかないッ!




