第208話 従者として、主人として
自分のロッカーを開け、驚愕するクレア。
その様子を遠目から観ていた"彼女"は薄く、その口元に笑みを浮かべていた。
自分が認める人間以外は全て、この学園から去れば良い。
ここは選ばれた者のみが通うことを許された聖域。
平民上がりの劣等血種には最初から居場所などないのだと、驚きの表情を浮かべたまま固まるクレアをはっきりと嘲笑っていた。
そして……その隣に立ち、同じく驚愕の表情を浮かべる銀髪の少女にも。
自ら行ったその非道を前に、驚き、そして確かな後悔の感情を滲ませるその少女を前に……
「……ごめん」
事の一部始終を見ていた彼女は一度だけ、誰にも聞こえぬ声で小さく呟くのだった。
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驚くクレアを前に私が咄嗟に取った行動は彼女を安全な場所に向かわせることだった。誰にも見られないようにロッカーを閉じ、放心する彼女の手を引き校内を歩く。
どこに向かうかも決めぬまま、ただただ安全な場所を探して。
だが、入学して一ヶ月程度の私にはどこか安全な場所なのかすら分からなかった。だから……
「クレアお嬢様、ひとまずこちらに」
私が自然と向かった場所は、私にとって聖域とも言って良い場所だった。
『月夜同盟』
そう書かれたプレートをくぐり、以前に渡された鍵を使って入室する。
中はお世辞にも片付いているとは言えなかったが、贅沢は言っていられない。
私達は早急に話し合わなければならなかった。それも、絶対に誰にも邪魔されない場所で。
「あれは……なんだったのよ。一体、誰があんなことを……」
「お嬢様……」
あれほど明確な悪意を向けられて驚かない人間はいない。突然我が身に降りかかった火の粉にクレアはどうして良いか分からない様子だった。
珍しく、というより始めて見るクレアの動揺する姿に私は自分の失策を呪った。理由も分からぬまま殴られたような気分なのだろう。泣くことも怒ることもできず、ただ混乱するしかないクレアのその姿を痛ましく思った。
「申し訳ありません。クレアお嬢様」
だから私はクレアにまず謝った。
ひたすら頭を低くして、心の底から謝罪の言葉を口にする。
「今回の件は私の失態です。こうなることが予想出来ていながら対処出来なかった私に全ての非があります」
「……貴方は何か知っているのね」
「はい。これから私が知っている事をお話します」
クレアが素早く立ち直るには原因が必要だと思った。
そして、ここまで事態が進行してしまえば今更クレアに黙っている理由もない。むしろきちんと状況説明しないことの方が遥かに不義理と言えるだろう。
大恩ある彼女に対し、私は全ての事情を説明した。
まずは攻撃をしかけてきた人間が恐らく純血派の人間であるだろうということ。そして、アリスが純血派と小競り合いを繰り広げていること。そして、私は彼女の助けるためにここ数日活動していたこと。
更に……今回クレアが狙われた理由が自分にあるであろうということ。
私はエレノアとの決闘にも立ち会ったし、刺客の撃退にも直接手を貸した。私がアリス側の人間だと純血派に認識されるのは必然だ。そして、私が仕えるクレアも関与を疑われて当然の立場。
私がもっと早く事情を把握し、クレアから距離を置いていれば……そんな後悔の念が謝罪の形となって私の言葉から零れ落ちた。
全ての事情を話し終え、ひたすら頭を下げて謝る私に、クレアは……
「……なるほどね。事情は分かったわ。どうしてあんなことをされたのかもね。そこで、一つ疑問なのだけど……」
私の頬に手を添え、そっと上を向かせると、
「ルナ。貴方はなぜ、私に向けて謝っているのかしら?」
「……え?」
予想していた叱責を、予想していなかった言葉で告げるのだった。
「貴方の言いたい事は分かるし、私が貴方の立場だったら同じように思ったはずよ。だからこそ言わせてもらうけどね、そんなことを言われても困るだけよ」
先ほどまでの揺らぐ姿はどこにもなく、そこにはどこまでも真っ直ぐに私を見つめるクレアの姿があった。
「私は貴方といることを選んだ。あの日、貴方を雇った日からね。このくらいのことで解雇するなら最初から雇ってなんかないわ。だからルナが謝る必要はないのよ」
私の説明を聞いてなお、この現状を"このくらい"の一言で済ませるクレア。
器が大きいなんてものじゃない。クレアは最初から私の全てを受け入れてくれていたのだ。そしてそれはきっと最初から。私を雇ったときからクレアはきっと今と変わらない態度で私に接してくれている。
「むしろ私こそ謝るべきね。ルナが困ってる時に、私は何もしてあげられなかった。貴方の主人として情けない限りだわ」
「そんなこと……ないです……」
「……ルナ?」
クレアは私に多くのものをくれた。
アリスに遠ざけられ落ち込んでいたときも、クレアは一番の味方だった。
普段は意地悪で、ドSで、振り回されてばかりだけど、彼女は決して私を見捨てることはしなかった。
主人と従者。
ただそれだけの関係の私に、彼女はいつも真摯でいてくれた。
それに対し、私はどうだ?
気を使ってくれたクレアに甘え、私はアリスばかりを追っていた。しまいにはアリスとクレアを天秤にかけるようなことをして、クレアに恩を返すこともなくただ離れようとしていた。
そして、それさえも自分勝手な未練から結局中途半端にしてしまった。
不義理と言うならこれ以上のことはないだろう。従者なんてお金の為だけに始めたただのおままごと。一時的なもののつもりだった。だけど……
「クレアお嬢様。改めてお願いしたい事があります」
私は今、心の底からこの人の為に尽くしたいと思っていた。
「私を……貴方の従者にさせてください」
ただの名称としてではなく、本当の主従へと。
私はこの人を守りたい。
その想いがどこまでも強くなりすぎていた。
最早アリスへの想いと比べることなんて出来ないほどに。
「分かったわ。それなら私も敢えて言わせてもらおうかしらね……ルナ!」
「はいっ」
「今回の件は貴方に責任はありません。ですが、私に敵意を持つ人間がいることは事実。そこで私は貴方の主人として命令します」
いつもより畏まった口調でクレアは告げる。
私にとって臨むべくもないその命令を。
「貴方の全身全霊をもって、全ての外敵から私を守りなさい!」
それはほとんど始めてとなるクレアから"命令"だった。
忠なくば従者は従者足り得ず、信なくば主人は主人足り得ない。
「貴方を雇って良かったと、私に思わせてみなさい。ルナ」
最後に悪戯っ子のような笑みを浮かべるクレアに対し、私も笑み浮かべて答える。
「はい。お任せください。クレアお嬢様」
この時、私は始めてクレアと本当の主従になれたような気がした。
随分時間がかかってしまったけれど、随分と迷ってしまったけれど、ようやく私は向かうべきところを見つけられたようだ。
そう。何も難しく考えることはない。
私は昔からそうだった。
私は私の感じるままに、私は私のやりたいように。
つまり……
──アリスもクレアも見捨てない。
どちらか一方しか選べないなんてことはないはずだ。
だったら私は全てを手に入れる。
誰もが笑っていられるハッピーエンド以外は認めない。
例え……誰を相手にすることになろうとも。




