第204話 獅子王の力
「私は……男なんだっ!」
叫んだ瞬間、私は自分の中のあのスキルが発動するのを感じていた。
今まで何度試そうと思っても自発的には発動しなかったあのスキル。
(ここで来てくれたか……『獅子王』っ!)
実に一年近くぶりになるこのスキルの発動。その効果は相変わらず凄まじいものだった。
「なっ……!?」
驚愕する覆面の前で私は渾身の掌底を放つ。
突然加速した私は彼から見ればいきなり消えたように見えたかもしれない。それほどに今の私のステータスは上昇していた。
(吸血してない状態でもここまで動けるか……上昇率は吸血モードが2倍。獅子王は2.5倍ってところかな。こっちの方が性能は高いけど……)
枯葉のように吹き飛んでいく男を見ながら私は今の自分の能力を確認していた。
(魔法は……駄目だ。使えない。この分だと『再生』スキルも使えそうにないな)
単体で発動することが始めてだったが、どうやらこの獅子王は魔力関連のステータスに関しては補正がかからないらしい。単純に素の身体能力を上昇させるだけのもの。
それだけでも十分チートだが、どちらかと言えば魔法寄りの戦い方を好む私からすればこのスペックは若干扱いにくい。だけど……
(この場の全員を制圧するには……十分だっ!)
「はあっ!」
駆け出した私は真っ直ぐにアリスの元へと向かっていた。
近くで交戦していた覆面を殴り飛ばし、強引にスペースを空けると割り込むようにアリスを背後に回す。
「る、ルナっ!?」
「下がってて。アリスっ!」
意識を右手に集中させる。
魔法が使えないのは分かった。ならば……
「影法師──『月影』ッ!」
イメージするのは巨大な鉤爪。
最愛の友人の姿を思い浮かべた私は右手に獣の如き爪牙を創造していた。
そして、私はそのままそれを……
「はあああああああああっ!」
力任せに横殴りに振り切った。
そして、丁度私の前方5メートルに放射状にその破壊は巻き起こる。
嵐のような荒々しさを持って訪れたその衝撃は近くにいた覆面をまとめて吹き飛ばし、強引に下がらせていく。近寄ることを躊躇う覆面の前に立ち、私は……
「それ以上やるなら……次は殺すぞ」
威圧スキルと共に、その殺意を飛ばす。
私はアリスの味方をすると決めた。
そして、それは同時にそれ以外の誰かの敵になるということも意味している。だから私は覚悟を決めた。私が今の私のまま、自分の手を汚す覚悟を。
シアの時には躊躇してしまったが、次はない。
私は私の意思でそれを選ぶ。
「…………」
覆面は立ち塞がる私を前に無言で視線を交わし、そして……
「……引くぞ」
来た時と同じように一人の男の声に従い、ゆっくりとその姿を闇に溶かして行った。私の五感でも完全に感知出来なくなるところまで男達が立ち去ったことを確認して、私は……
「……はぁぁああっ」
大きく息を吐き、その場に思わずへたり込んでいた。
「ルナっ!? 大丈夫っ!?」
「う、うん。大丈夫。ちょっと気が抜けちゃっただけだから」
心配してくれるアリスに笑顔を返しながら内心で胸を撫で下ろす。
しかし……ああ、怖かった。まさか土蜘蛛以外にもあれほど怖い存在がいるとは思わなかった。怖さの種類から言うと全然別のものなんだけどね。それでも、人の殺意ってのは向けられるだけで精神力が削られるような気がしてくるよ。
「ひとまず、お互い無事で良かったね。アリス」
「うん……それはそうなんだけど……」
歯切れの悪いアリス。
何か言いたい事でも……ああ。そうか。アレのことか。
「ね、ねえ。ルナ。さっき言ってた『私は男なんだって』……あれってどういう意味なの?」
「そのままの意味だよ」
「いや、ルナは女の子じゃない。私は知ってるわよ。一緒にお風呂まで入ったんだもの」
「肉体的にはそうだね。でも私は精神的に男なんだ」
「???」
あはは。全く分かってないみたい。それもそうか。正直、私も自分でうまく説明出来る気がしないし。というか、これはもう前世のことも話した方が早いんじゃなかろうか。信じてもらえるかだけがネックだけど……うーん。
「……ねえ、アリス。アリスはこれから私が言うこと、信じてくれる?」
「ちょ、ちょっとやめてよ。そんな言い方されたら怖いじゃないっ」
いつになく真面目な私の雰囲気に、わたわたとアリスが慌て始める。
前髪をいじったり、視線をさまよわせたり忙しそうだ。というか、ちょっと焦りすぎじゃなかろうか。まるで対人恐怖症みたいだ。どんだけ対人経験が少ないんだよ。
でもまあ……アリスなら私の言うことも信じてくれるだろう。
今までアリスが私の言う事を疑ったことなんてほとんどないからね。私がアリスの大事にとっていたプリンを食べた時も、プリンは時間が経つと蒸発するんだよの一言であっさり信じちゃったし。
「アリス、私はね……」
「あーっ、あーっ! ちょっと待って! まだ心の準備が……っ」
覚悟を決めた私はアリスの静止をコンマ二秒で無視して、前世のことを語った。
私は自分ではない自分の記憶を持っていること。その時、私の性別は男だったこと。そして、その考え方や嗜好は今でも続いているということ。更にはいつか男に戻りたいということまで含めて。
「えっと……え? つまりルナは本当に男の子、なの?」
「男の子って歳でもないけど……そうだね。私は自分のことを男だと思ってる」
まだ混乱してるのか、整理がつかないらしいアリス。
だけど聡明な彼女のことだ。やがて全てを理解してくれるだろう。
「ひ、一つ確認したいのだけど……い、いいかしら?」
「いいよ。今まで黙ってたお返しに、どんな質問でも本当の事を教えるから」
「そ、それなら……そうね。ルナは自分を男だって言ったけど……」
「うん」
「ルナは……女の子が、好きなの?」
「………………」
……え!? そこっ!?
一番最初に聞くのがそこなのか!? アリス・フィッシャー!?
「え、えっと……」
「ど、どうなのよ?」
なんという言いにくいことを聞きやがるんだ。この金髪。
もっと他に確認することがあるだろうに。
だけど……仕方ない。本当のことを教えると私は言ってしまった。男に二言はないのだ。観念するしかない。
「そう……だね。私は女の子の方が好き、かな」
「それは恋愛的な意味で、よね?」
「……はい」
なんだよこれ。なんで私は事情聴取されてる容疑者みたいになってるんだ。
というかめっちゃ恥ずかしいんですけど。男が女を好きだと言う全く当たり前の普通のことを言ってるはずなのに、めっちゃ恥ずかしいんですけど。
「ね、ねえルナ。貴方はその……覚えてるかしら?」
「え? 何を?」
「あ、アレよ。ルナからしてきたのに忘れたの?」
アレ? アレってなんだ? 私、アリスに何かしたっけ?
いや、心当たりがないんじゃなくて、心当たりがありすぎてどれのことを言っているのかちょっと分からないのだ。
「ごめん。ちょっと何のことを言ってるのか分からない。アレってどれのこと?」
「だ、だからっ……」
アリスは恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、そして……
「ルナは私に、そ、その……キス……したじゃない……」
消え入りそうな声で、上目遣いにそんなことを言ってきたのだった。
「…………あ」
そして、私は思い出す。
アリスと過ごした日々の中、私はどうしても色欲が抑え切れない時があった。そういうときに私はアリスですっきりしてきたのだが……
(……やばい)
その時、私は女同士の友情の証だとアリスに言って誤魔化した。
確かに女同士のキスなら友情の証だと偽ることも強引すぎるがアリスに対しては可能だ。だが、今、私は自分から自分が男であることを明かしてしまった。それはつまり……
「る、ルナは……私のこと、好きなの?」
私が男として、アリスにキスしていたことの自白に他ならない。
薄暗い中でもはっきりと分かるほど顔を赤くしたアリスは私の答えを待っていた。それに対し、私は咄嗟に……
「あ、アレはそ、その……そうっ! 家族! 家族としての親愛のキスだから!」
そんな苦しすぎる言い訳を口にしていた。
ここまで本当のことを話しておいて、どうして最後の最後でそんな嘘を咄嗟についてしまったのか。肝心なところで臆病すぎるだろう、私。
たった一言、『好きだ』と、どうして言えないのか。
アリスに対して色々と複雑な感情があることは否定できない。それでも、私は確かにアリスのことを女性として好きなはずなのに。そうでなければそもそも獅子王だって発動したりはしない。
「そ、そうだったの」
「うん! そうだったの!」
だけど、私は訂正することも出来なかった。男に二言はないから。ではなく、単純にこれは私が臆病だからだな。情けない。
(はあ……一歩前進したと思ったのに……人はそう簡単には変われない、か)
自分の悪癖に落ち込む私はその時、気付くことが出来なかった。
「そっか……」
気落ちした様子で、瞳を伏せるアリスの姿に。
「そ、そろそろ帰ろうか。詳しい話はまた今度ってことで」
「え? ああ、そうね。そうしましょう」
いつまた彼らが帰ってくるか分からなかったので、私達はひとまず場所を移すことにした。そして、その途中、アリスが私に問いかけてきた。
「ねえ、他に何か私に隠してることはないの?」
「他に? そうだなあ……」
アリスに対して隠していること、か。
「ああ、そうえいばアリスはもう気付いてるかもだけど……」
「本当にまだあったのね。まあいいわ。これ以上驚くようなこともないでしょうし」
「私、実は吸血鬼なんだ」
「…………え?」
私の言葉にアリスはぴたりと、硬直し、
「ええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
飛び上がって驚くのだった。
うん。やっぱりアリスはこういう反応をしてこそのアリスだよね。
驚愕の表情に固まるアリスを前に、私は悪戯の成功した子供のように笑みを浮かべるのだった。




