第199話 ルナとノア
「それは……」
私を疑念に満ちた目で見つめるノアを前に、私は続く言葉を持たなかった。
だが、肯定も否定もしない私を見てノアは答えを得たようだった。
「誤魔化さなくて良い。ノアは真実が知りたいだけダ。それもルナの表情を見れば分かることだがナ。それでも……ノアはルナの口から聞きたい」
「……ごめん」
確かに、ここまで状況証拠を突きつけられて黙秘を貫くのも誠実ではない。ノアのことを友人として思いたいのなら、私は告げなくてはならない。
「そうだよ。私は……吸血鬼だ」
「……そうか」
短く漏らした言葉の続きが、今はとても恐ろしかった。
思い出すのはかつてウィルのパーティで私が吸血鬼だと皆にばれてしまった時の事。それまでずっと仲良くしていた人たちが急に私を怯えた目で見るのは辛かった。それが一般的な人間の反応だと分かってはいても、どうしても裏切られたような気分を覚え、自己嫌悪にも浸ったものだ。
だから……今度こそ私は受け入れなければならない。
ノアが私を否定することを。
静かに覚悟を決め、ノアの言葉を待つ私に……
「ルナ……さっきのごめんは何に対してのごめんダ?」
「え?」
ノアは真剣な顔で私を睨むように視線を向けていた。
基本的に感情の読みにくいノアだが、今回はそれがはっきりと分かった。
「それは……その。隠しててごめんってこと」
「現状の社会を見るに、それは当然のことだろう。隠せるものなら隠すべきダ。謝るようなことじゃナイ」
「それはそうかもしれないけど……やっぱり、隠し事ってのは良くないから。特に親しい人との間だと」
私はノアのことを友人だと思っていた。
だからこそ、自らの血を隠すことは不義理に値すると考えていた。だけど……
「ノアはそんなことで怒ったりはしナイ。ノアが気に入らないのは……」
ノアは私に近づくと、ぐいっと自らの腕を私の眼前に付き出し、告げた。
「その傷も血を吸えば治るのだろう? ノアの本にはそう書いてあったゾ。なのになぜノアを頼らナイ? それともノアの血では不足なのか?」
「…………え?」
咄嗟のことに思わず、困惑してしまう。
ノアは今……何て言った?
「え……え? 血を吸えって、え? それってノアのをってこと?」
「当然ダ。今この場にはお前とノアしかいない。自前の血液では効果がナイのだろう? だったらノアのを使うしかあるまい」
「だ、だけどそれってつまり……吸血鬼に血を差し出すってことだよ?」
「だからなんダ?」
「……怖く、ないの?」
まるで躊躇のないノアの行動に私は面食らっていた。
今まで私を受け入れてくれた人は確かにいたが、それは実力的に私を上回っていたり同じような他種族だった人たちばかりだ。レオンやウィスパーのような例外もいたが、彼らには色欲の魅了が影響していたようにも思う。
だから同じ性別で、私に簡単に押し倒されるくらいの腕力しかない、小さな女の子に受け入れてもらえるということが信じられなかった。
呆気に取られる私にしかし、ノアは、
「確かに未知の存在は怖い。だが……今、ノアの前にいるのはルナだ。ルナは怖くナイ。たとえそれが吸血鬼だったとしても、それは変わらナイ」
はっきりとした口調で、そう断言するのだった。
「……で、でも血を吸われたら死ぬかもとか、変な病気もらうかもとか、そもそも正体を知られた私がノアを殺そうとするとか、色々……可能性はあるでしょ……」
「ルナはノアを殺すのか?」
「ま、まさか。そんなことするわけないじゃない」
「なら大丈夫だナ。ほら、さっさと治療してくれ。見てるこっちまで痛くなってきそうダ」
「…………」
ほとんど強引に口元に押し付けられるノアの細腕に私は僅かに逡巡して……軽く口を付けた。
「ん? お、おおっ?」
そして、軽くノアの甘い血液を嚥下すると自分の体に力が灯っていくのを感じた。意識は鮮明に。五感も強化されていくのが分かる。
「す、凄いな。角が生えてきたゾ。触ってみてもいいか?」
「ん……いいよ」
恐る恐るノアが私の額に手を伸ばす。
そして、手が触れた瞬間、私は髪を触られるかのような柔らかい触感を覚えた。角を触れるのなんて初めての事だったから、なかなか新鮮な感覚だった。
「ほう……手触りは金属にも似てるナ。思ったより固い。一体どんな原理で生えてきてるんダ?」
「気付いたら生えてるからね。私もよく分からない」
「ふむ……なかなか興味深い体だナ」
そう言ってにぎにぎと私の黒い角を握ったり離したりするノア。
結構くすぐったいから早く飽きて欲しいところだ。
「ルナのここ……すっごく固い……」
しかも、なんかいかがわしい事をしている気分になってきたし。
ノアの好奇心はなかなか尽きない。まあ、天才ってそういうものかもしれないけどね。彼女が満足出来るなら、せめてもの罪滅ぼしに好きにさせよう。
「ん? 瞳の色も変わってるナ」
「ああ、そうみたいだね。自分でちゃんと見たことないから良く分からないんだけど」
「他に何か変わったところはアルか?」
「他には……そういえば魔法が使えるようになるよ」
「ほう。吸血鬼の魔法は長耳族に劣らぬと聞く。ちょっと見せてくれ。興味がアル」
ノアの期待に満ちた視線を受け、私は適当に魔力を固めて影槍を作ると、ノアにそれを見せてあげた。
「おお、流動性がアルのか……収束に特化した闇系統と移動に特化した風系統の組み合わせのようだナ。強度の方は……」
「あ、不用意に触らないでね。これ、結構危ないから」
型にもよるが、吸血モードの私が作り出した魔力は基本的に剃刀のような性質を持っている。ノアが手を切ったりしないように注意しながら、さらに念のため意識して形を球形に保っておく。
「ここまで自由に魔力を操作出来るのか……凄いナ。羨ましい限りダ」
「とはいっても出来る事は限られてるけどね」
私はノアに見せるよう、影を伸ばしていく。
だが、それも私の周囲5メートルを出るあたりで霧に変わり、霧散した。
「効果半径は狭いし、形を維持する為には常に魔力を放出し続ける必要があるから燃費も悪い。あんまり実戦的な魔法とは言えないと思うよ」
実際アリスと戦ったときも、あのまま続けていれば私が負けていただろう。あの時はノーマルモードだったからというのもあるけど、魔術的な能力では私が確実に劣っていた。
「そうなのか? 形が不定というのは、かなり有用な特性だと思うが」
「それも限度があるからね。あんまり容積の多い形だと、魔力消費量が酷いことになるし」
私が槍や糸のような形で運用することが多いのは、そう言った意味合いも含んでいる。月影だけは例外だが、あれはまあサイズのでかい土蜘蛛を相手にするために作った型のようなものでもあるし、普段の戦いではあんまり使う場面はないだろう。
「ふむ……見れば見るほど興味深い。もっと色々教えてくれ、ルナ」
そう言って私の手を取るノア。
そこに、恐怖の感情は欠片も感じられない。
ノアは本当に……私が怖くないんだ。
「? どうかしたのか?」
私の顔を覗き込むノアが心配そうな声を上げる。
「いや……なんでもないよ」
そんなわけないのに、私はそう返すことしか出来なかった。
油断すれば溢れてしまいそうな感情を胸に、私はノアの頭をそっと撫でつける。かつて、私を受け入れてくれた少女にするのと同じように。
「ありがとね……ノア」
「?」
ノアは何に対してのお礼なのか分かっていないようだった。
だけど、それでもいい。この感情はきっと私にしか分からないものだから。
穏やかな心地のまま流れていく静かな時間の中、私はこの小さな友人に心からの感謝を送った。この温かい気持ちを教えてくれた、友人へと。




