第191話 零れ落ちた本音
学長室を出た私は考えをまとめながら教室に向けて歩いていた。
(まず、大前提となるのはアリスとグラハムさんの契約がすでに破綻しかかっているということ。元々捜索の対価として入学する条件だったのだから、アリスが今動いているのは完全に彼女の独断ということになる)
その時点で、アリスが何かしらの目的を持って動いていることは疑いようがない。グラハムさんの言っていたことを信じるならば、だが。
(あの場でグラハムさんが話を取り繕った可能性もなくはない。完全に信じるのは危険かもしれないけど……)
相手の本心が分からない以上、私は……クレアの言葉に従い、自分の中で信じたい方を信じてみることにした。ぼっちのクレアが言っていた処世術なんて当てになるかは甚だ疑問ではあるけど、私はあの言葉に感銘を受けたのだ。
(それにあれもこれも疑っていたんじゃ何も進まないしね)
最近、色々なことがありすぎて忘れかけていたのだが、私は元々そういうやつだった。悲観的に物事を予測し、楽観的に行動する。最悪の事態に対するシミュレーションが出来ているのなら、後は信じるだけで良い。
そう思うことに決めた。
(後は……最後にグラハムさんの言っていたことが気になるな)
私が学長室を出る前に、グラハムさんは私に一つのアドバイスというか情報を与えてくれた。それは、今期の入学者に偏りがあるということ。
(例年、その傾向にはあるけど今年は特に貴族向きの勢力図が出来上がっている……か。学内の派閥が出来るのも時間の問題かもしれないな)
そして、グラハムさんはその傾向に一つの予測を立てていた。
それは……
(貴族派の有力者がこの学園に入学しているから。その中心人物たる人間を見つけて和解策を打ち出せれば、この現状にも活路はある)
当面の目標はアリスの目的を探りつつ、その人物を探ることになるだろう。
今回の決闘騒ぎにしても動きが早すぎた。だから、その誰かは確実にこの学園にいるはずだと、グラハムさんは言った。貴族の生徒を束ね、アリスを攻撃しようとしている誰かが。
(現状、手がかりが少なすぎるけど……やるしかない。これにはアリスの未来もかかっているんだ)
「……ん?」
今後の活動を考えつつ、教室に向かって歩いていると、またいつかのように人だかりが出来ているのを見つけた。まさか、また決闘騒ぎか!?
慌てて教室へと向かうとそこには……
「…………っ」
ひそひそ声で話すクラスメイトの視線の先には普段、授業で使う黒板があった。そして、そこには……
『──亜人は森へ帰れ!』
そんな文字がでかでかと描かれていた。
いつもアリスが座っている席の真正面に。
それは明らかにアリスへと向けた誰かからの"攻撃"だった。
咄嗟にアリスの姿を探すと……いた。
アリスも先ほど来たばかりだったのか、部屋の奥からその文字を無表情に見つめていた。だけど……私が気付いてしまった。アリスの両手が硬く握られていることに。
アリスは嫌なことや辛いことがあると、我慢する癖があった。
そして、その時は決まって両手を握り締めるのだ。
何かを堪えるように。
何かから耐えるように。
そして……
「……っ」
アリスを見る私と視線があった。
そして、私を見た瞬間、アリスは逃げるように教室を駆け出して行った。
「アリスっ!」
黒板の方を何とかしなければいけないが、それより今はアリスの方が心配だ。
去っていく背中を追いかけるが、師匠に体も鍛えられているアリスは素の身体能力も高い。なかなか追いつけないことに焦れた私は割と吸血鬼としての本気でその背中に追いつき……
「アリス、待って!」
その手をようやく掴むことが出来るのだった。
だけど……
「離して!」
アリスは強引に私の手を払うと、そのまま止まることなく駆け出して行ってしまった。また今から追いかけても同じことの繰り返しだろう。アリスがもしも、私に見られたくない姿があるというのなら私はそれを見るべきではないのかもしれない。
「アリス……」
だけど……私は確かに見たぞ、アリス。
君の本心を。その欠片を。アリスが心の底から私を拒絶して、一人で戦うことを決めたと言うのならそれでも良かった。だけど……今のアリスは無理をしている。それが分かってしまったから。
(これはもう……退くわけにはいかないな)
アリスの去り際に見せた、その一筋の雫に……
──私は初めて、怒りという感情を覚えるのだった。




