第189話 アリスの使命
朝、目が覚めるとすでにクレアの姿はなかった。
主人より長くベッドを占領してしまったことに申し訳なさを感じつつ……
「んっ、ん~~!」
大きく伸びをして、体の調子を確かめる。
昨日の戦闘のせいか、体の一部に違和感がある。影法師の影響で右腕にも引きつるような痛みがあるし、万全の体調とは言いがたい。だけど……頭の中はここ数日の中で一番すっきりしていた。
「……良し。今日も一日、頑張ろう!」
自分で自分に言い聞かせると、私は早速行動を開始することにした。
クレアからはメイド業のお休みを頂いているし、かなり自由に動くことが出来るようになった。その間に何をどうするかだけど……まずは、"あの人"のところへ行くべきだろう。
手早く制服に着替えた私は、すぐに学園へと向かうことにした。こんな朝早くから誰もいないだろうけど、恐らくあの人ならあそこにいるはずだ。
目的地に着いた私はノックを二回、相手の反応を待ってからその部屋へと入室した。
「失礼します……グラハムさん」
そう、学園の長であるグラハムさんの元へと。
「おお、お前さんか。こんな朝からどうしたんじゃ?」
私を見たグラハムさんは嬉しそうに笑顔を浮かべて私を迎えてくれた。だけど……今日の私は彼と談笑しに来たわけではない。
「実は少しだけ聞きたいことがありまして」
「聞きたいこと? なんじゃろう?」
全く心当たりがないといった表情のグラハムさんに、私は告げる。
「グラハムさん……貴方がアリスと交わした"本当"の契約内容を私に教えてください」
「…………」
私の言葉に、グラハムさんは黙り込んだ。
その様子に確信を持った私は更に問い詰めるような口調で話を続ける。
「私は以前、アリスは私を探す助力の代償に自ら入学することになった聞きました。だけど……正直、ずっと違和感があったんですよね」
あの人見知りのアリスが自ら進んで学園に入学するはずがない。例え、入学することになったとしても目立たないように謹んで行動するはずだ。それなのにここ最近のアリスの行動を見るに、他の目的があることは疑いようがない。そして……それはきっと、このグラハムさんにも関係するものだ。
「アリスは入学することを条件にされたんじゃない。"契約を果たす為に、入学する必要があった"。私はそう考えています」
アリスとグラハムさんが結んだ本当の条件。それは分からないけれど、この学園でアリスが何かをしようとしていることは明らかだ。つまり、ただ入学することだけが条件ではなかった。
私に隠していた真実。
その発端はここにあったのではないかという私の推理は……きっと間違っていない。目の前で私を静かに見つめるグラハムさんの表情がそれを物語っていた。
「……お前さんはそれを知ってどうするつもりじゃ?」
「もちろん、私はアリスの味方をします。彼女に何かしらの達成目標があるのならそれを手伝うし、本意でない活動をさせられているのならそれをやめさせる」
「ふむ……なるほどのう。じゃが、それだと儂とお前さんが交わした契約も破棄せざるを得なくなるんじゃないかのう?」
「それならそれで構いません。父の件は自分で何とかします」
実は父の捜索に関してはウィスパー達にも協力依頼を出しておいた。だから、全く当てがないというわけでもない。それでもグラハムさんの捜索網が使えなくなるのは痛いけどね。
「私はずっとアリスに助けられて来ました。だから……今度は私が彼女を助ける番なんです」
断固とした意思を言葉に込める。
私の意思が固いことを悟ったのか、グラハムさんは大きく息を吐くと学長椅子の背もたれに体を預けた。そして……
「儂とアリス嬢の契約内容は部外秘。他の誰にも語ってはならんことになっておる。じゃが……それ以外のことなら、少しだけ話しても良いじゃろう」
私を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと語り始めた。
「まずは確認なんじゃが、お主は純血派という言葉を知っておるか?」
「えっと……単語だけなら聞いたことがあります。でも言葉の意味までは知りません」
「それは一部の魔術師を指す名称じゃよ。読んでそのまま純血派。つまり、血統こそを至上とする魔術一派のことじゃ」
グラハムさんの話では、この国の魔術師には幾つかの派閥があるらしい。人が集まれば派閥が出来るのは自明の理。それはこの魔術師世界も例外ではないようだ。
「国粋主義を掲げ、保守的な活動を推し進めるのが血統派じゃ。これは魔術師の血を何代にも渡り、保護して来た貴族出身の魔術師に多い。貴族派などと呼ばれることもあるくらいじゃからのう」
「そして、それと対立するのがマイナ、ってわけですか?」
以前、耳にした単語からそう推察するのだが……
「いや……それは奴らが自分たち以外の魔術師──とりわけ、突然変異的に才能を開花させた一般魔術師に対して口にする蔑称じゃよ。劣等血種……つまりは血において劣る者共という意味でのう」
劣等血種……つまり、亜人であるアリスもこれに当たるというわけか。決闘の際に彼女たちが口にしていた言葉の意味がようやく分かってきたぞ。
「貴族の世界を大きく二分するなら、それは貴族を主とする『血統主義派』。そして、一代限りの魔術師で構成される『才能主義派』じゃな。そして、その両者はその源流から相容れぬ存在。一言で言えば仲が悪いんじゃよ」
「なるほど……昨日の決闘もそれが原因だったんですね」
「いや、そういうわけでもないんじゃよ」
私の言葉に、グラハムさんは待ったをかけた。
「この二つの派閥は確かに仲が悪いが、昔からある派閥故にお互いの領分を定めてうまく住み分けしておる。そうそう決闘騒ぎなどにはならんものよ」
あ……そういえば確かに、決闘騒ぎは数年ぶりだという話を聞いたぞ。それに入学して一月足らずのペースで決闘なんかしてたら生徒があっという間にいなくなってしまうか。
「でも、それならどうして……」
「これには昨今の魔術師業界の潮流に関係しておるんじゃ」
「魔術師業界の……?」
「さっきも言ったように、主な派閥はこの二つじゃ。じゃが、それでも全員が同じ思想を持っておるわけではないからのう。派閥の中にも更に幾つかの派閥が出来ておるのじゃ」
派閥の中に派閥……や、ややこしい話になってきたな。
「特に昨今では平民の貴族化……いわゆる成り上がりが増えてきておるからのう。こういった者達は所属としては才能主義派に当たるんじゃが、その領分が貴族派のものと被っておるのじゃ」
「……えっと、つまり……?」
「聞いたことはないかのう? 成り上がりの貴族は、元の貴族から良い顔をされておらんという話を」
グラハムさんの言葉に、私はセスの話を思い出していた。カレンお嬢様も成り上がりの一族。だからこそ、周囲の風当たりが強いのだとセスは言っていた。
「貴族に与えられる領土、分配金には限度がある。本来もらえるはずだった褒章をどこの馬の骨とも知れぬ平民上がりに奪われれば頭にも来るじゃろうのう」
「でも……それは正当な権利なのでは? どんな貴族だって最初は領地なんて持っていないんですし……」
「それは正論じゃな。じゃが、世の中は正論ばかりでは回らんものよ。そして、既得権益を奪われることを危惧した血統派の中から……動き始めるものが現れたのじゃ」
「動き始めるもの?」
「分からぬか? つまり……成り上がりの貴族を排除しようとする一派じゃよ」
「……え?」
排除。その不穏な言葉に、思わず声が漏れた。
だけど……嘘だろ? 誰かが出世しただけで、その人を害そうって言うのか? そんな馬鹿みたいな発想があるわけ……
「驚くかもしれんが、そいつらは確実におる。数こそ多くはないがのう。じゃが、儂らの台頭を才能主義派による攻撃じゃと受け取るものも少なくはないのじゃ。誰だって自らの地位を脅かされれば反撃にも出ると言うもの。この動きは予想の範囲内でもある。そして、動きが活発化してきたその一派には近年、固有となる名称が与えられた。それこそがお主も知っておる──『純血派』じゃよ」
「……っ」
アリスと決闘していたエレノア。彼女は自らを純血派だと肯定していた。
そこでようやく、彼女がアリスを殺そうとしていた理由に思い至った。アリスはハーフエルフだが、れっきとした王国民だ。そして、その類まれなる魔術師としての才能は誰の目から見ても明らかなもの。純血派からしてみれば、自らの障害になるかもしれない"敵"だったというわけだ。
「でも……いや、まさかアリスは……」
そして、今の話を聞けばアリスがしようとしていたことにも推測がつく。
「もしかして……自分から純血派に喧嘩を売っていた? あの貴族ばかりのクラスで?」
物騒なことを考えている一派だ。そいつらにマークされるのがどれほど危険なことなのか、分からないアリスではないはず。そうでなくても派手に目立てば、普通の貴族からも反感を買う。現にうちのお嬢様だって……
(……クレア、お嬢様?)
クレアの名前を思い浮かべた瞬間、何かが引っかかった。
アリスがあそこまで目立つ行動を取った理由。それは逆に考えて見れば分かりやすい。もしも、そうしなければどうなっていた? もしもアリスが学園に入学しなかったなら、どうなっていた?
「……まさか……アリスが入学することになった本当の理由って……」
私は反射的にグラハムさんの顔を見た。
そして、そこに浮かぶ"申し訳なさそうな顔"を見た瞬間……
「アンタっ……! アリスを"囮"に使ったのかッ!」
今までの口調を捨て、咄嗟に目の前の老人に詰め寄っていた。
もしもアリスがいなければ他の生徒が相対的に目立つことになっていたはず。そして、その場合一番目立つのは……あのクラスでアリスを除いて成績が一番良いのは……クレア・グラハム。即ち、この人の孫娘だ。
クレアが学園で優秀な成績を残すことくらい、グラハムさんには最初から分かっていたはずだ。だから"対策"しようとした。自分の地位で出来る最大限の権限を持って、彼女に危害が加わることがないように取り計らったのだ。
クレアの性格があまり友好的でないことも、彼なら知っていたことだろう。そして、そんな闇があることを知らないクレアが普段のまま学園生活を送っていればどうなったか……今のアリスの位置に、彼女がいたことになる可能性は高い。
そして、そう考えれば他のことにも納得がいく。
例えば……
「私をクレアの付き人に仕立て上げたのも、近くに優秀な護衛が欲しかったからか? 確かに自分の孫が可愛いのは分かるよ、だけど、そんなの……」
私の言葉を、グラハムさんは否定しなかった。
即ち、それは私の予想が当たっていることの証明に他ならない。
だけど、そんなのって……
「幾らなんでも……アリスが可哀想じゃないか……っ」
アリスは私の為に戦っていたわけではなかった。
だからこそ、彼女は私を遠ざけようとしたのだ。
彼女はずっと……
──クレアの為に戦っていたのだ。




