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吸血少女は男に戻りたい!  作者: 秋野 錦
第4章 王都学園篇

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第188話 人を信じるということ

 痛い。痛い。痛い……胸が、痛い。

 私は知らなかった。自分が信じていた人から拒絶されることがこんなに辛いことだということを。まるで私の中にいる誰かが暴れまわっているかのように、感情の制御が付かなかった。

 決闘を終えたアリスは蹲る私を一瞥すると、何も言わずに去っていってしまった。私はその事実がたまらなく辛かった。まるで、もうお前に用はないと言われているかのようで……


「ぐっ……う、ううぅ……」


 胸を押さえても、瞳から零れる涙を止めることが出来なかった。

 女の子に振られて、泣き喚くなんて男らしくないと分かってはいても、それでも胸の奥から溢れ出てくる感情を止め切れなかった。


「はあっ、はあっ、ああっ……あああっ!」


 一人になったからだろうか。さっきまでは何とか耐えていたものが全く抑えきれなくなっていた。呼吸すら間々ならないまま、私はみっともない泣き声を漏らしていた。


 でも……私はそれぐらいにアリスのことが好きだったんだ。

 本当に本当に、心の底から大好きだったんだ。

 今まで面と向かって言ったことなんてなかったけど、もしも言うことが出来たならもっと違う結末になっていたのだろうか? 意味のない仮定に、更に悔恨の念だけが募る。


 私にとってアリスはただの友人じゃない。心の支えになっていた大切な人なのだ。私が今、こうして生きていられるのはアリスとの約束があったから。また会おうって、アリスは私に言ってくれた。

 そして、彼女はその約束通りに私を助けに来てくれた。

 私にとってアリスは本心から信じられる数少ない人物の一人だった。

 アリスのためなら私は命を賭けられる。彼女のためならどんな困難だろうと立ち向かえる。ただ、彼女と一緒にいられるのなら……私はどんな代償でも払う覚悟があった。


 だけど……アリスにとってはそうではなかったらしい。

 彼女にとって、私は"本心を打ち明けるに値しない"人間だったのだと、そう思ってしまったらもう駄目だった。


「私は……なんでっ……どうして、こんな……っ」


 止め処なく溢れる涙は私の感情そのものだった。

 まるで身を切り裂かれるかのような痛みは、現実としてここにある。

 その痛みに私は改めて思い知らされたのだ。

 私がどれだけアリスのことが好きだったのかを。


 私を無表情で見つめるアリスの顔を思い出す。それだけでアリスと過ごした日々がまるで嘘で塗り固められた虚構のような気がしてきた。

 私はアリスの過去を知らない。私と会う前に彼女が何をしていて、何を想い、何を夢としてきたのか、その全てを私は知らない。だから、私と過ごしたアリスを本当のアリスなのだと信じることがどうしても出来なくなってしまっていた。


 本当のアリスはどんな子なんだ? 彼女の言っていた言葉の意味は?

 分からない……何も分からないんだ。私には。


 もしかしたらアリスはずっと仮面を付けて過ごしてきたのかもしれない。私と一緒に暮らしていたアリスは私がかつてつけていた仮面のように本当の自分を隠した分身(アバター)だったのかもしれない。

 それはとてつもなく恐ろしい妄想だった。

 そんなはずはないと、そう思いたいのに疑惑は尽きない。

 それが真実だと証明する術が何もないからだ。


「私は……どうすればいいんだよ……」


 アリスとの距離を詰めるために弄した作戦だったのに、結果は散々だった。前よりも更にアリスのことが分からなくなってしまったのだから。

 答えもなく、行く当てもなく、私はふらふらと夢遊病者のように彷徨っていた。


 いつの間に降り始めていたのか、周囲には雨が降り注いでいた。

 そんなことにも気付かないほど、今の私は放心していた。

 まるで悪い夢の中を彷徨っているかのような感覚の中……


「……ルナ?」


 私は彼女の声を聞いた。

 咄嗟に顔を上げると、そこには傘を差したまま驚きの表情を浮かべ、こちらを見るクレアの姿があった。


「お嬢、様……」


「ちょ、ちょっと貴方こんなところで何してるのよ!」


 駆け寄ってきたクレアは私を傘の中に入れると、そっと頬に手を触れた。


「すごく冷たくなってる。一体今まで何を……いえ、今はとにかく屋敷に戻りましょう。急ぐわよ、ルナ」


 クレアは私の手を取ると強引に歩き出した。何かをする気力すらなかった私はされるがままにクレアの後を追う。そして、いつもの通学路を通ってクレアの屋敷に戻った私は更に強引にバスルームへと連れて行かれるのだった。


「ほら、こっち。一緒に入るわよ」


「い、いえ……一人で大丈夫ですから」


「何言ってるのよ。今のルナを独りに出来るわけないでしょう」


「で、でも……」


「恥ずかしいならバスタオル巻いててもいいから。ほら、早く入らないと風邪引くわよ」


 強引に私をバスルームに連れて行き、あれよあれよと言う間に私を湯船へと放り投げたクレア。


「ほら、肩までつかりなさい」


 隣に入ってきたクレアは私の頭を掴むと、強引に湯船へと沈めてきた。彼女自身も、やっぱり恥ずかしさはあるのか体にバスタオルを巻いていた。普段あれだけ誘っておいて……まあ、私も色々と爆弾を持っているからこの配慮は有り難い。


「…………」


 冷たくなっていた体が少しずつ温まっていくのが分かる。だけど、どうしても気分だけは上向きになれなかった。


「それで? 一体何があったのよ」


「……すいません。今は……言いたくないです」


「あのね、貴方は主人である私を置いて独断行動をしていたのよ? 少なくとも職務怠慢のいいわけくらいはするべきじゃないの?」


「…………」


「……はあ。まあいいわ。何があったのかは聞かない。その代わり、今日一日は私の言う通りにしなさい。分かったわね?」


 クレアは私が何をしていたのか、深く聞きだすことはしなかった。本当ならクビにされてもおかしくないミスだったのに、彼女は私を許してくれた。

 小さく頷いた私にクレアは、


「良し、それならまずは髪を綺麗にしましょう、折角綺麗な髪をしているんだからね。泥だらけのままにはしていられないわ」


 優しく微笑むと、甲斐甲斐しく私の世話をしてくれた。

 本当なら主従が逆だが、主人がそうしろと命令してくるのだから仕方ない。


「次はそうね……たまには一緒にご飯を食べましょうか」


 それからもクレアは私に命令を続けた。

 だけど、それは全て私に何かをさせるためではなく、私にいつもと変わらない日常を過ごさせるためのものだった。風呂に入り、ご飯を食べ、そして就寝。

 いつもならまだ仕事している時間だったが、今日はクレアの命令もあって彼女の部屋で一緒に寝させられることになった。


「ちょうどこんな感じの抱き枕が欲しかったのよね」


 そう言って、私に抱き付いてくるお嬢様。

 楽しそうなその様子に、思わず頬が緩む。


「やっと笑ったわね」


「……え?」


「今日、一日ずっと笑ってなかったから。うん。やっぱりルナには笑顔が一番似合うわね」


 そう言って私の頬をつついて来るお嬢様。


「はは、可愛い。こうしてると、私たち、姉妹みたいかもね」


 クレアに深い意味はなかったのだろう。だけど、その"姉妹みたい"という言葉は私の顔を曇らせるのに十分な意味を持っていた。


「お嬢様は……どうして私に良くしてくれるんですか?」


「え? 急にどうしたの?」


 ぽかんとした顔で私を見るお嬢様。確かに少し急すぎたかもしれない。

 私は少しだけ逡巡して、


「……私は今日、ずっと信じてた人に裏切られたんです」


 今日会ったことを、おぼろげながらもクレアに語ることにした。

 私に出せなかった答えを、もしかしたら彼女なら持っているかもしれないと。そんな淡い期待と共に。


「その人は私に優しくしてくれました。今のお嬢様のように、私に居場所をくれたんです。私はそれが嬉しかった。だけど……今はもう、彼女がどんな理由で私に接していたのか、それも分からなくなってしまったんです」


 腕で視界を塞ぐと、あの無表情なアリスの顔が浮かんできた。


「それは私にとって大切な記憶だったんです。誰にも汚されたくない……私の一番大切な思い出なんです。それなのに……」


 それを彼女本人に踏みにじられてしまった。


「分からない……分からないんですよ、お嬢様……私には彼女が何を考えているのか、何をしようとしているのか、どうして……私をこんなにも避けるのか」


 気付けば鼻声になっていた私に、クレアはそっと手を触れてきた。

 私の手を握るクレアの手は暖かく、全てを包み込むかのような優しさを持っていた。そして……


「……他人の考えていることが分からないのなんて当然よ。私たちは自分自身以外の何者にもなれはしないのだから」


 ゆっくりと、言い聞かせるように言葉を紡ぎ始めた。


「だからこそ、誰かを信じるっていうことは素敵なことなの。そう思える人と出会えたことを感謝すべきね。私から見ればルナは十分恵まれているわ」


「でも……裏切られました」


 拗ねた子供のような口調でそう言う私に、クレアは少しきつめの言葉を返してくる。


「裏切られたから? だから何だって言うのよ。貴方が本当にその人のことを信じていたというのなら、最後の最後まで信じてみせなさい。それが本当の意味での信じるってことなんじゃないの?」


「…………」


 クレアの言いたいことは分かる。

 だけど、それは……もう一度裏切りのリスクを抱えるということだ。またあの痛みを味わうことになるかもしれない。それが私には怖かった。


「それにね、貴方は分からないと言うけど、裏表のない人間なんて……ルナくらいしかいないと思うわよ。どんな人にだって本音と建前がある。そして、それを使い分けて暮らしているの。だからその人がルナにとって別人のように見えたことだって全然不思議なことじゃない。だって、それは両方とも彼女自身の一部なんだから」


 どんな人にも裏表はある。

 クレアは否定したが、私にだってそれはあるのだ。私の場合、単純にそれを他人に見せていないと言うだけで。


「ルナは私に聞いたわね。どうして私に良くしてくれるのかって、それはね……」


 そっと私の体を優しく抱きしめたクレア。

 私には彼女が続ける言葉が何となく分かるような気がした。

 たぶん、ほっとけないからとか、可愛らしいからとかそんな風なことを言うのだろう。無言のまま、クレアの言葉を待つ私に……


「それは……ルナが私に優しくしてくれたからよ」


「……え?」


 クレアは私にとって予想していない言葉を告げるのだった。


「私……優しくしましたか?」


「あれ? 自覚なかったの? まあ……優しさっていうのは本来そういうものなのかもね」


 私の言葉に苦笑を浮かべるクレア。そして、


「ルナは私の為に戦ってくれた。私の事情を知らなくても、私の味方をしてくれた。それが自分自身のためなのだとしても、私はそのことを"嬉しい"と感じたのよ」


「それは……」


「分かってる。ルナにはルナの事情があるってことくらいね。でも、人付き合いってそういうものじゃない? 相手の考えていることが分からない以上、私達は自分の中にある相手を信じるしかない。そして、その基準になるのはやっぱり自分自身の感情なのよ」


 瞳を閉じ、しみじみと語るクレア。


「私はルナが傍にいてくれて嬉しかった。ルナが私に仕えてくれて嬉しかった。私のために戦ってくれて……嬉しかった。ルナにそのつもりがなかったのだとしても、私が感じた感情だけは"本物"よ」


 そこだけは譲れないと、強い口調でクレアは言う。


「貴方もそうなんじゃないの? その人のことを大切だと思った貴方の感情も、偽者だと思う?」


「そんなわけ……」


「ないわよね。だったらもう少し、彼女のことを信じてあげたら良いんじゃない? 自分の記憶にある、彼女のことを。どっちが本物なのか分からないなら、自分で本物を決めちゃえばいいのよ。それが人を信じるってことだと、私は思う」


 そう言ってくらっと来そうなほど可愛らしい笑顔を浮かべるクレア。

 どこまでも純粋なその笑顔に、私は何も言えなくなってしまった。


 だって、それは裏切られたことすら飲み込んでひたすら相手を信じろという究極論だ。裏切られても裏切られても、信じ続ければ自分の中ではそれこそが真実となる。詐欺に引っかかったら目も当てられなくなりそうな思考回路だ。

 でも……


「……それも、良いかもしれませんね」


 彼女になら、騙されてみても構わない。そんな風に思う自分がいた。

 もしかしたら悩みすぎて自暴自棄になってしまったのかもしれない。だけど、終わりの見えない思考の迷路を彷徨い続けるよりはずいぶんとマシだ。


「……ありがとうございます。お嬢様。私、もう少し頑張ってみることにします」


「ええ。それが良いと思うわ」


 そう言って優しく微笑むクレア。


「ああ、それと言い忘れていたのだけど、明日から一時的に貴方を従者から解任します」


「え?」


「実はカレンからたまには遊びに来なさいと誘われていてね。明日から向こうの家に厄介になることになっているの。通学距離が伸びるから、肌が弱いルナはこれまで通りここから通いなさい。学園では出来るだけ私と一緒にいてもらうけど、それも強制はしないわ。ま、言うならちょっとした休暇期間ね」


「それって……」


 私に何の連絡もなく、そんな急にお泊り会が決まるわけがない。誘われていたのは本当かもしれないけど、それを決定したのは多分……


「……重ね重ね、お礼申し上げます。クレアお嬢様」


「大げさね。これまで働かせすぎた分の補填をしてるだけよ。感謝されるようなことじゃないわ」


 なんでもないように語るクレア。

 だけど、今はその優しさがとても有り難かった。

 さっきとは別の意味で目頭の熱くなった私は、そっと瞳を閉じて誤魔化す。


 私は今、この人の従者になれて良かったと心から思った。そして、クレア・グラハムという人物を心から尊敬した。出会って間もない私に、ここまで真剣に話をしてくれた彼女に、深い感謝を捧げ……私は新たに覚悟を決めた。


 ──私はアリスを信じる。


 私と一緒に過ごしたあの日々のアリスを。

 それだけが今の私に出来る唯一のことだから。

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