第186話 日常と非日常の境界線
私が攻め、アリスが守る。
いつまで続くとも知れない魔術戦は消耗戦の様相を呈し始めていた。
(だけどこのまま行けば魔力量の差で私が勝てるはず。追い込まれてるのはアリスの方だ)
影糸を生成しながら私は内心で優勢を確信していた。このままいけば勝てるだろうと、今後の展開を読んだ私は……
「ふふ、そろそろ潮時かしら?」
三人目の決闘者の宣言に、思わず視線を奪われてしまった。
見ればエレノアはアリスに向けて、嫌らしい笑みを浮かべていた。確かに今の無防備な状況のアリスは格好の的だ。だが、どうするつもりだ? 今のアリスに魔術は効かない。お嬢様が身体能力でアリスに勝てるとも思えないが……
「さあ、パーティはお開きと致しましょう。これからは……喜劇のお時間です」
そう言ったエレノアはパチンと指を鳴らした。
すると、どこからともなく十何人という男達が姿を現した。
「それでは皆さん、お願い致しますわ」
私にはエレノアの意図が分からなかった。見学は禁止されている以上、これは明確なルール違反だ。そして、その上何を"お願い"するのかと疑問を浮かべる私に……
「さあ、その劣等血種に──死の粛清を」
「なっ……!?」
エレノアはどこまでも楽しそうに、その絶望的な宣言をするのだった。
「ま、待ってください! 助太刀は一人だけのはずです! これは明確な違反行為ですよ!」
咄嗟に抗議してみるが、エレノアはそれすらも予定の内だったのか心底おかしいと言った様子で高笑いを始めた。
「あはははっ! 確かに助太刀は一人に限定される。それは決闘のルールですわね」
「だったら……」
「でも、それは──"人"に限った話でしょう?」
可愛らしく首を傾げたエレノアの言葉の意味が、一瞬分からなかった。
だけど、周囲の人たちの表情を見て、悟った。
「まさかこの人たち全員……奴隷なのか?」
思わず漏れた言葉にエレノアは大げさに手を叩いて、褒めた。
「その通り! ルナさんは察しが良いですわね。ご褒美に私の奴隷にしてさしあげましょうか? あははっ、あはははははっ!」
確かに奴隷は人ではなく物として扱われる。だけど、こんなの……
「幾らなんでも……卑怯だろっ!」
「卑怯? おかしなことを言いますね。これは戦争ですのよ? 後ろから刺されたとしても文句は言えませんわ。それに、私はきちんとルールに則っていますわ。だって"奴隷を連れて来てはいけない"なんて、そんなルールはなかったでしょう?」
「ぐっ……!」
道理であっさり私の助太刀を許したと思ったよ。
つまり、こいつは最初から私の力なんて当てにしてなかったんだ。自分の奴隷達を使い、この場所でアリスを殺すつもりだった。
だけど……どうしてそこまでするんだ? アリスにそこまでの恨みがあるようには見えないけど……。
「ようやく化けの皮が剥がれたわね。"純血派"」
「あら、この状況でよく笑っていられますわね。"劣等血種"は自らの死の現実すら理解出来ないのかしら?」
「そう思うならさっさと彼らに命令すれば良いじゃない。だけど、その瞬間に私も容赦はしない。私はお前を……殺す」
「ふふっ、それは怖いですわね」
アリスの脅しに笑みを浮かべたエレノアは片手を挙げ、
「お前たち! 今すぐあの亜人を殺しなさい! 出来るだけ残忍な方法でね!」
周囲の男達に命令を下した。
それと同時に駆け出した男達は一斉にアリスへと向かう。
(これは……さすがにまずいっ!)
アリスの対抗魔術は確かに優秀だけどそれは魔術に対してだけだ。屈強な男達に組み敷かれれば華奢なアリスに逃れるすべはない。
反射的にアリスの下へ駆け出した私。
だが、その途中で私は強烈な違和感を覚えた。
それは私と戦っていたときから感じていた小さな違和感。
(……おかしい。なぜアリスはあの場所から動かない? 逃げるなら今しかないのに何で……?)
違和感は疑念を生み、疑念は注意を向け、そして私は気付いた。
「…………え?」
私の視線の先、そこにはアリスが足元で展開していたのであろう魔法陣の跡があった。一体いつから準備をしていたのか、その入念に書き込まれた術式はアリスの魔術起動を補助する力を持っていた。
「《──────侵犯者よ・慈悲を請え──》」
ゆっくりと足で地面に文様を刻むアリスは恐らく私との戦闘中から魔法陣を足元に描いていたのだろう。僅かに漏れ聞こえる詠唱に、魔法陣が活性かしていくのが分かる。
詠唱、魔法陣、そして魔力操作。
それは明らかに魔術師戦闘に特化した戦い方だった。
一つ一つは学生のレベルだとしても、それら全てが組み合わされば絶大な効果を発揮する。アリスの足元の魔法陣が一際強く輝いた瞬間……
「──【審判の刻】」
地面を這うようにアリスの魔法陣が訓練場を覆い尽くした。
何十人の男達と同じく、魔法陣の内側に立っていた私は……
「……ぐっ!?」
がくっ、と膝が折れ地面に倒れこんでしまった。
(何だこの魔術は……力が、抜ける……?)
まるで太陽光を浴びたかのように重く動かなくなる体。間違いなく、アリスの魔術の影響を受けている。重量を増す魔術か、身体能力を奪う魔術なのか……それは分からないが少なくともこの現象をアリスが起こしていることは間違いない。
そして、その現象は私だけでなく周囲の人間全てに同じ効果を与えているようだった。
「な、なに……この魔術……」
「魔術師相手に物量勝負はお勧めしないわよ。対多人数を考慮した魔術なんてそれこそ星の数ほどあるのだもの」
「っ……! アリス・フィッシャー!」
誰もが膝を付くこの異常な光景の中、アリスだけが唯一軽やかな足取りでエレノアの元へと歩み寄っていた。それに対して、エレノアは立ち上がることすら出来ないのか必死にアリスを睨み返していたのだが……
「今日学んだことは来世で生かすのね。そんなものが貴方にあるかは知らないけど」
「ま、待って……」
アリスが懐からナイフを取り出したところでその顔に恐怖が宿った。
自分は動けない中、少しずつ近づいてくる死を前に、彼女はようやく思い知ったのだ。まさに今、自分が殺されそうになっているその事実を。
「お、お金なら好きなだけあげる。奴隷も好きなだけ持ってっていいわ! だ、だから……た、助けて……」
「そうねえ……それはとてもとても魅力的な提案なのだけど……」
アリスはくるりとナイフを手元で一回転させると、どこまでも暗い無表情でエレノアに告げた。
「私、そういうのに興味はないの」
「う、嘘……」
「喜劇は楽しめたかしら? なら次は……」
そして、エレノアの目の前まで歩み寄ったアリスはついに……
「あ、アリス! 待って、駄目……」
私の静止すら意に介さないまま、
「──悲劇の幕を上げましょう」
無防備に晒されたエレノアの首を……刈り取った。
どこまでも無慈悲に。
そして、どこまでも冷徹に。
鮮血が宙を舞う中、アリスは変わらぬ無表情のままナイフを翳していた。




