第180話 お嬢様はお年頃
休み明けの平日。
クレアと共に学園への登校中、私は師匠に言われた言葉を思い出していた。
『アリスに気をつけろ』
そう言った師匠の本意は私には分からなかった。詳しく聞いてもはぐらかすばかりで肝心の何に気をつければいいのかを教えてくれなかったからだ。
もともとその場の思いつきで話すような人だから本気にする必要もないのかもしれないけど……師匠がそう言った時の表情が妙に心に残っている。申し訳なさそうな、そんな顔。師匠らしくない珍しい表情だった。
(考えても分からないことなら考えないのが私の主義だけど……どうにも胸騒ぎがする)
体が重く感じるのはきっと昼間だからというだけではないのだろう。進むべき道を見失うことがこんなに辛いだなんて、久々に思い出した気分だよ。
今は昔のように生死のかかった状況にはない。だけど私を取り巻く人間関係はあの迷宮よりも複雑に絡み合っている。私は……リンの時と同じように選ばなければならないのかもしれない。誰の味方をするのかを。
「今日はなんだか人が多いわね」
「え?」
ぼんやりしていると、隣を歩くクレアが唐突にそう言った。
何のことかと周囲を見渡すと……なるほど、確かにいつもより人が多い気がする。それも圧倒的に女子生徒が多い。近くにいる生徒の声に耳を傾けてみると……
「ねえねえ、あの人誰だか知ってる?」
「確か剣術科二年の先輩よ! 私、聞いたことあるもん!」
「すっごく格好良いよねー、彼氏にするならあんな人がいいなぁ」
どうやら色恋関連のお話のようだ。どこぞの先輩がカッコいいだのかわいいだのどこの学校でもやっぱりあるんだな。
たぶん、クレアも聞こえていたと思うけど……
「……くだらない」
やっぱり興味なさそうだ。うん。いつものお嬢様で安心したよ。
とはいえ、人だかりは私達の目的地の方向に出来ているわけで教室に向かうためには近づかなければならない。私もクレアも人ごみが苦手なので、少しだけ遠回りして校舎に向かおうとしたのだが……
「おっ、やっときたか。おーい! 白い子ー!」
なにやら聞き覚えのある声で、聞き覚えのある名前というか愛称を呼ぶ声が聞こえてきた。どうにも嫌な予感を感じつつ振り向くとそこには……
「お前、来るのおせーよ。折角俺が朝練早めに切り上げて待ってたってのに」
剣術科の生徒らしく腰に帯剣したイーサンの姿があった。いつもの調子で馴れ馴れしく近づいてくるのだが……
「ちょっと貴方、うちのルナに何かご用事かしら?」
私の前で手を広げたクレアに阻まれてしまう。普通、こういうのって主従で逆だと思うのですが……まあ、大事にされている気がするしいいか。
「ん? お前、誰だ?」
「私はクレア・グラハム。この学園の一年生よ。貴族クラスのね」
イーサンが私服だったからだろう。相手を平民クラスの生徒だと判断したらしいクレアは両手を組んで、低い位置からなのにまるで見下ろすかのような態度でイーサンを見つめ返した。その視線には平民を相手にする貴族の絶対的優位が見え隠れしていたのだが……
「そっか、俺はイーサンだ。よろしくな」
「…………」
ああ、全く悪気はないのだろうけどイーサンの馴れ馴れしい態度にクレアが引きつった表情を浮かべてるぅぅぅぅ!
あかん。この二人はたぶん、相性が徹底的に悪いぞ。ここまでの短いやり取りでそれがもうすでに分かっちゃったよ。イーサンはそもそも遠慮と言う言葉を母親の腹の中に置き忘れてきたような性格だし、クレアはクレアで自らの立場に誇りを持っているタイプだ。
つまり、価値観が違いすぎる。決定的な亀裂が走る前に、私が間に入らなければ。
「ちょっとイーサン、こっち来なさい」
「ん? なんだ?」
私の手招きにのこのこと近寄ってくるイーサン。しかし、コイツ改めてみるとかなりでかくなってやがるな。私より頭一つ分は身長が高い。
「ちょっと屈んで」
「なんで?」
「いいから」
「ほい」
僅かに膝を曲げて顔を近づけたイーサン。
私はその瞬間に獲物を見つけたチーターのように俊敏にイーサンの耳を掴むと更に強引に引き寄せた。
「いてぇっ!? いきなり何すんだ!」
「何するはこっちの台詞よ。一体何のようがあってこんな目立つ待ち伏せなんかしてくれやがったのかしら?」
「目立つ? ……ああ、そういややけに人が多いよな。今日」
間違いなくお前が来たからだよ馬鹿が。
魔導科の近くで剣を持った人間が待ち構えていれば事情を知らない人間でも何事かと思うに決まっている。どうやらイーサンの見た目はこの世界の基準的にそれなりにクールに見えるらしく、それもまた注目に拍車をかけている。
「過ぎたことだしそれに関しては何も言わないけどね。今の私の立場分かってる? お嬢様と一緒のところに来られても困るだけなんだけど」
「ああ、やっぱりあのちょっと抜けてる感じの女がお前の主人なのか」
「そうそう。だから用件は速やかにお願い」
耳元でひそひそ話を続けながらイーサンに用件を催促する。
一体、何の用事でこんなところまで来たのか気になったのだが……
「いや、お前がなかなか部室に来ないもんだからよ。一体何をしてんのかと思って」
「し、ご、と、だ、よ!」
前に説明したはずなのにコイツ、すっかり忘れてやがるな。
「悪いのはこの頭か? この頭なのか?」
「痛い、痛いって! 何だよ、俺はただもっとギルドに顔出せよって言いに来ただけじゃねえか」
「だからそう出来ない理由はちゃんと話したでしょうがっ」
色々と足りないイーサンに一通りお仕置きした私は、蹴飛ばすように彼を送り出してやった。どんな用事かと思えばくだらない。私は今、お前なんぞと遊んでいる暇はないのだ。
「まったく……」
「ねえ、ルナ」
「はい。何でしょうお嬢様」
「貴方は……あの男とどういう関係なの?」
若干置いてけぼりにされていたクレアは私とイーサンの仲を疑っているようだった。別に、甘酸っぱい関係じゃないんだけどなあ。
「そうですね……一言で言うなら幼馴染ってやつですかね」
「幼馴染……そ、それでさっきのは何の用事だったの?」
「別に大したことじゃないですよ。ただあいつ等がやってるサークルに出席しろって言われただけで」
「あいつら……他にもお友達がいるの?」
「ええ。私を入れて5人ですね」
デヴィットは正確に言うならサークルのメンバーじゃないけど、それを言うなら私も同じことだ。
「……ルナはそのサークルに入りたいの?」
「え? えーと……まあ、そうですね。出来れば一緒にいたいとは思いますけど」
あそこにいけばアンナにも会えるしね。長い間会えなかった分、彼女にも何かしらの恩返しをしてあげたい。いや、恩返しなんて言う言い方も他人行儀か。私がただ、アンナと一緒にいたいだけだ。
「もしかして……ルナの気になる人がそこにいたり、する?」
「えっ!?」
ま、まさか顔に出ていたか!?
昔から散々言われてきたことなのだが、肌の白い私は照れたり恥ずかしがったりするとすぐに顔が赤くなってしまい感情が読み取りやすいのだと言う。もしかして、私がアンナを意識しているなんてこと……
「その反応……やっぱり」
バレてるっぽいぞぉぉぉぉ!
くそっ、しくった。まさかこのお嬢様を相手に私の恋愛感情を暴露してしまうとは。これは今後サークルには更に顔を出しにくく……
「ま、まあ。ルナも女の子だものね。そういう感情があるのは否定しないわ。うん。それが普通だものね。私も理解ある主人だもの。たまにはサークルに出席してあげなさい」
「え? い、良いんですか?」
「ええ。私はちゃんと従者のことを考えられる主人だもの。決して他人の恋愛事情に興味があるとか、そういうことではないわ。決して」
決してって二回も言ったよ。どうしても気になるんだね、お嬢様。
恥ずかしいから否定したいところだけど、皆と会える機会が増えるならそれも悪くない、か。
「ありがとうございます、お優しいクレアお嬢様。私は貴方の従者になれて良かったです」
「ええ、存分に感謝すると良いわ」
クレアは基本的に刺々しい性格だけど、優しさを持っていないわけではない。それがなかなか表に出てこないだけで、こうして彼女は私のような平民のことでもちゃんと考えてくれている。
「こ、こほん。良いかしらルナ、その代わりと言ってはなんだけど……進展があったらきちんと私に報告するのよ? 良いわね?」
……今回は6割近くが好奇心で構成された優しさのような気がしないでもないけど。




