第179話 師匠の忠告
師匠の家でティナの手伝いをしたり、シアやルカと一緒に遊んだりした休日。夕食も食べ終えてそろそろ帰るかとなった時に、師匠は私を呼び止めた。
「ちょっと付き合え、ルナ」
いつになく真剣な表情だったのが気になった私は師匠と一緒にテラスへと向かった。そこで月夜に向かって、おもむろに煙草を吸い始めた師匠はゆっくりと紫煙を口から吐き出していく。
妙に様になっているその仕草に私は眉を潜めるしかなかった。
私の記憶にある限り、師匠が煙草を吸っているところなんて見たことがなかったからだ。
「……煙草、吸うようになったんですか?」
「昔からだ。最近はお前らがいたから控えていたけどな」
「今も私はここにいるんですけど?」
「もうガキじゃねえんだから良いだろ」
いや、今も十分ガキなんですけど?
まあ、こっちの世界だと働き出したら一人前みたいなところがあるから自立していると言えば自立しているのだろう。だからって目の前で煙草なんて吸ってほしくないけどね。
「……学園はどうだ。楽しいか?」
「またいきなりですね。どうしたんですか? 教師としての自覚でも芽生えましたか?」
「ばーか。これは教師としてじゃなくて保護者としての質問だよ」
ふぅ、とため息にも似た様子で煙を曇らせる師匠。
「……俺は正直、お前が学園に来ることには反対だったんだ」
「え?」
師匠が唐突に漏らしたその言葉の意味が私には分からなかった。
「どうせ爺と何かしらの取引をしたんだろ? そのことには別に文句はねえさ。さっきも言ったようにお前はもうガキじゃねえ。自分のやりたいようにやればいい」
夜空を眺め、こちらに視線を向けぬまま師匠は語る。
「だけどよ……それがお前にとってどれだけ大切なことだろうと、いざとなったら尻尾巻いて逃げるんだぜ? お前が死んだら悲しむ人間は大勢いるんだからよ」
「……それはいざとなったらグラハムさんとの約束を破れってことですか?」
「それだけじゃねえさ。切り捨てられるものなら何でも切り捨てろ。仲間、友人、知り合い……もしくは俺とかな。つまりは自分が生き残ることを第一に考えろってことだ。結局、最後に自分の身を守れるのは自分だけだからな。他の誰かを助けようとするってのは基本的にハイリスク・ノーリターンな行為だ。お前なら分かっているとは思うけどな」
「……なんでそれをわざわざ私に言うんですか?」
「お前はそのことを分かっていながら、それをする馬鹿だからだよ」
愉快そうに口元を歪めた師匠はそこで始めて私に向き合った。
手すりに腰を預け、僅かに首を傾けて私を見る師匠。
「リンとシア。俺が知るだけでもこの二人をお前は助けている。影響を与えたってだけならもっと多くの人間が含まれるだろうな。ウィスパーなんか特にそうだろ。あれはほとんどお前の信者だぜ」
「信者って……そんなんじゃないですよ。ウィスパーと私は対等な友人です」
「そう思っているのはお前だけって話だよ」
瞳を閉じ、煙草の味を確かめるかのようにゆっくりと息を吐く師匠は一本目が燃え尽きるとすぐに二本目を取り出して口にくわえた。
「ま、それも全部お前の生き方だ。俺が文句を言えるような話じゃねえ。それは分かってんだ。分かってんだけどよ……どうしても言わずにはいられねえんだな、これが」
「それは……どうしてですか?」
「何でなんだろうなあ……まあ、強いて言うなら似ているからじゃねえかな」
「似ているって……私と師匠がですか?」
「ああ。お前を見ていると昔の自分を思い出すんだ。何も知らないただの馬鹿ガキだった頃の自分をな」
そう言って師匠は頭をかいた。もしかしたら恥ずかしがっているのかもしれない。いつになく饒舌な師匠の本音を久しぶりに聞いた気がする。
「お前は……なんていうのかな。例えるなら与える側なんだよ。救済にしろ、終焉にしろお前には力がある。だからこそ相手に生死のどちらでも与えることができちまう」
「そういえば前に師匠、言ってましたね。誰かの生死に関わるようなことはするなって」
「ああ。一言で言うならそういうことだな」
「師匠の言い分は分かります。でも……誰かを助けるのは別に良いんじゃないですか? それなら誰かに感謝されこそすれ恨まれるようなことなんてないでしょうし」
「ははっ、分かってねーな。生かすも殺すも結局は同じことなんだよ」
「え? 同じこと、ですか?」
「ああ。例えばの話だが、お前の助けた二人が将来歴史に名を残すような大犯罪者になっちまったらどうする? 二人を自由にしたお前にはその罪に対する責任が発生しちまうと思わねえか?」
「確かにその責任は私にもありそうですけど……そんなことにはならないですって」
師匠のあまりにも突飛な例え話に私は思わず笑ってしまった。
だが……
「なら将来二人が誰かを助けて、そいつが犯罪者になる可能性は? そいつでなくてもさらにそいつが影響を与えた人間なら? もしくはその子供が悪人でない保障はあるか?」
師匠は真顔のまま私に問い続けた。
さすがにそんな未来の話、私に分かるはずがない。押し黙る私に、師匠は私の答えを知ったようだった。
「まあ、さすがに今のは言い過ぎた例えだけどよ。俺が言いたいのはそういうことだ。別に人を助けるのが悪いとは言わねえさ。だけどその責任を取る羽目になるのは間違いなくお前だ」
そのあまりにも断定的な口調に、私はひとつ思い当たることがあった。
「それは……師匠の経験則ですか?」
「さあ、どうだろうな」
師匠ははぐらかしたが私には分かった。
師匠はあまり、というより全く自分の話をしてくれない。アリスだって自分と出会う前に師匠が何をしていたのか知らないくらいに秘匿癖がある人なのだ。
だけど、それだけ隠すってことはそれだけの何かが師匠の過去にあることに他ならない。今の口調から察するにそれは明るいものでないのだろう。
だけど……
「師匠の話、私には良く分からないです」
「ああ? てめえ、こんだけ話を聞いて感想がそれかよ」
「すいません。でも師匠だって悪いんですよ?」
「あ? 俺が? 何でだよ」
「だって……」
私は師匠の言い分を素直に聞き入れることなんてできなかった。
なぜなら……
「師匠は私達を助けてくれたじゃないですか。自分が人助けをしておいて、いまさらそんなことを言っても説得力なんてないですよ」
師匠の生き方を、私は知ってしまっているから。
誰かを助ける行為にはリスクが付きまとう。そんなことは私より長く生きている師匠のほうが良く知っているはずだ。それなのにそれを続けているってことは……
「確かに私と師匠は似ているのかもしれませんね。お互いにそれが馬鹿な行為だって分かっていて、それを選んでしまうんですから」
「…………」
師匠は私の言葉に肯定も否定もしなかった。
ただ煙草を口から離し、僅かに笑みを浮かべただけ。
「……分かったよ。もう何も言わねえ。好きに生きろや、不良弟子」
「ええ。あなたを見習ってそうさせてもらいますよ。不良師匠」
師匠がこの場で私に何を言いたかったのか、何をしてもらいたかったのか。それはぼんやりとしか分かっていない。だけど、私は私だ。誰に何を言われようともこの生き方を変えるつもりはない。
「っと、そうだった。最後にひとつ忠告しておいてやるよ」
「忠告ですか?」
「ああ。ありがたーい師匠様からのアドバイスだ。よく聞いとけ」
師匠は冗談めいた口調でそう言うと、
「アリスに気をつけろ」
「……え?」
私にとって、意外な言葉を残していくのだった。
「学園でのあいつの動向には注意しろ。もしも手遅れになったら……お前はきっと後悔するだろうからな」




